9話。弟子の教育についてのあれこれ①
時は少し流れて5月中頃。
「御神体を持ってきました! これで30万……じゃなくて、西尾さんの弟子にして貰えるんですよね?」
そう言って差し出されたのは長さ30センチくらい、幅20センチくらい。高さ10センチくらいの木箱であった。
普通ならもっと仰々しい儀式と共に手渡されるモノだが、雫さんにそんな意識はなさそうだ。
『うむ。神体に対する敬意よりも、現金が欲しいという欲望が圧倒的に勝っておるわ』
それだけ困っていたんでしょう。
実際母娘で夜の商売をする覚悟もしていたみたいですし。
恐らくだが、俺がいなかったら妹の千秋もこんな感じになっていたんだろうなぁと思うと、彼女が漏らした欲望も可愛く見えるから不思議である。
『でた、シスコン』
良いじゃないですか。誰が迷惑するわけでもないですし。
『まぁの』
そう。GW中に実家に帰って妹と芹沢嬢に訓練を施したり、二人と一緒に深度2の異界を攻略して退魔士としての経験を積ませつつ生活費を稼いできてから学校に戻った俺を真っ先に出迎えたのは、軍の命令で俺を監視しているはずの東根先輩でもなければ、実家に戻らずに異界に潜って生活費を稼いでいた環や、中津原家の行事があって実家に帰っていた早苗さんでもなく、休みに入るなり即座に実家に帰省して、どう説得したかは知らないが神主である自分の爺さんを説得して無事に御神体を持ち帰ってきた河北雫さんであった。
「もちろんです。約束は守りますよ。あ、とりあえず30万円渡しておきますね」
約束は守るモノ。
彼女が御神体を持ってきた以上、俺もその覚悟には応えねばなるまい。
「ありがとうございます!」
『ここだけ見れば30万で御神体を売り渡しているように見えるの』
切り取り駄目、絶対。
ちなみにだが、あくまでこの30万は手付なので、御神体の質によっては大幅なプラスも考えていることを彼女はまだ知らない。
『またしても何も知らない河北さん』
ぬか喜びをさせるのは良くないですからね。
『つってもこやつは30万でも十分以上に幸せでいられそうな気もするがの』
今はそうでも、時間が経つにつれてもっと欲しくなるもんですよ。
だって人間だもの。
『確かにの。で、レベリングはするんか?』
モチのロンです。
卒業前までに彼女を最低でもAランクまで育てないと、俺が嘘を吐いたことになりますからね。
ちゃんとレベリングはしようと思います。
『あん? 有象無象の連中にどう思われようが別に問題ないのでは?』
実に神様的なご意見ですこと。
でもね、考えてごらんなさい。
『ほむ?』
嫉妬や怨恨からくる事実無根の噂であればまだしも『右も左も分からない神社の娘にできもしないことを言って御神体を掠め取った』なんて悪評が立ったら、数年後この学校に入学するかもしれない千秋の評判に関わるじゃないですか。
『結局それか』
それですね。
あと、もう一人鍛える人が居るんで、そのついでだと思えばそれほど面倒でもないんですよね。
『誰よ?』
東根先輩です。
『あぁ。アレか。軍と繋ぎをつけるためにもアレを育てたって実績はあった方が良いものな』
ですね。
あと最近気付いたんですが。
『なんぞ?』
最近深度2とか深度3の異界が増えているじゃないですか。
『らしいの』
近代化による自然破壊にともなって要石が破壊されたせいなのか、はたまた一般市民にまで『妖魔が居るのが当たり前』という認識が浸透しているせいなのかは知らないが、世界中で異界が増加傾向にある。
それは日本も変わらない。
早苗さん曰く、ここ数年で深度2や深度3の異界が増えているらしく、中津原家にも協会から調査依頼や攻略の依頼がひっきりなしに来ているらしい。
増加する異界に対して退魔士は不足したまま。
結果的に異界はどんどん増えていく。
世はまさに大異界時代。
『ただの地獄じゃな』
一般の方々や政府からすればそうでしょうね。
そこで、圧倒的大多数の人たちが抱える不安を余所に俺は考えたのである。
これだけ異界があるのであれば、異界に赴いた際、必ずしも目についた素材を根こそぎ回収するよりも、攻略を優先した方が稼げるのではないか、と。
『今更?』
いや、お金が落ちてたら拾うでしょ?
深度2の素材ですら一つ1万前後で売れるんですよ?
深度3なら5~10万ですよ? 拾わないと損でしょ?
沢山拾ったら邪魔になるでしょ?
邪魔になる前に売るでしょ?
一回帰還したら再度突入するのも面倒でしょ?
素材を売ったお金で美味しいものを食べた方が幸せになれるでしょ?
今まではそんな感じでしたが、その考えを改めるときがきたのですよ!
『そら(素材を拾って持ち帰る手間を考えれば、さっさと攻略した方が儲けが出る)そうじゃろうよ』
そうなんですよ。
一つ5万~10万円の素材も捨てがたいですけど、そもそも深度3の異界を攻略したら最低でも5M円ですからね。
あと、少し前までは深度3の異界を攻略できる力があると知られたら面倒になると思って攻略を自粛していましたけど、今や俺にそれができるだけの力があると知れ渡ってしまっているでしょう?
『実際にはかなり前からじゃがな』
その辺はまぁいいとして。
周囲に知られているなら攻略を自粛する理由がないじゃないですか。
『一応妹のレベルが低くて、軍やら協会に深度3の素材を渡したくないって理由もあったが……今やあやつもレベル20相当じゃからなぁ』
そうなんですよ。この調子なら今年中、遅くとも来年にはレベル30を超えるかもしれません。
『その可能性はあるのぉ。で、そこまで行けば妹にも深度3の素材を使って造られた武器は通用しなくなる。じゃからお主が深度3の異界を避ける理由はないってことかの?』
その通りでございます。
レベリングをするにしても深度2の異界でチマチマするよりも深度3の異界でやった方が早いし、なによりお金になりますからね。
そこら中に攻略して欲しいと願われる異界があって、俺に自粛する理由が無いのであれば率先して攻略した方がいいかなぁと。
『ほんとに今更じゃのぉ。ま、それもお主らしいと言えばお主らしいか』
俺らしさとは一体。
神様に俺というニンゲンがどう思われているのかは後で聞くとして。
有言実行を旨とする俺は、御神体を差し出すという宗教的な禁忌を冒してまで俺の弟子になりたいと言ってきた河北さんを正式な弟子と認め、手ずから鍛えることとしたのであった。
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