14話。対鬼戦4
――時は環と早苗が風鬼との戦闘を始める前まで遡る。
「ドーマンセーマンドーマンセーマン!」
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
「オン・アニチ・マリシエイ・ソワカ!」
今、俺は何を見せられているのだろうか。
『詠唱、じゃな』
ですよねー。
そう、つい先ほど「最強の鬼を召喚する」と宣言した陰陽師たちは今、一心不乱に詠唱を行っているのだ。
俺の目の前で。
いや、せっかく罠に嵌めた相手を前にみんなで詠唱とか、正気か?
『じゃから、これから召喚するんじゃろ? その最強の鬼とやらを』
最初から召喚しておけよ。
『まったくじゃな。ちなみになんじゃが、この間に殴ったら駄目なんか?』
正直そうしたい気持ちはありますけど、それをやるとこの人たちって負けを認めなくないですか?
『それはあるかもしれんの』
でしょう? 当然、負けを認めなければ何度でも絡んでくるだろう。
そして次からはもっと悪辣な罠を用意されるかもしれない。
そうなると、俺はまだ何とかなるにしても早苗さんや環が即死するような罠を仕掛けてくるかもしれないじゃないですか。
『かべのなかにいる』
はい。それをやられたら俺も死にますね。気を付けます。
『うむ』
神様に“俺はまだ何とかなる”という油断慢心を諫めてもらったところで、現実を見よう。
数人がかりで一心不乱に行っていることから、彼らが召喚しようとしている鬼がかなり高位な存在だということは理解した。
つーか真言の中に摩利支天真言があったので、この時点で向こうが召喚しようとしている鬼がわかったまである。
『ヒントはホモォ』
池袋に対する酷い風評被害を見た。
というか、噂では801と810を一緒にすると御腐人たちにキレられるそうですよ。
『なんでよ?』
なんでも池袋の801は美しい幻想なのに対し、下北沢の810は醜い現実だから、とか。
『そんなん知らんわ』
同感です。
「「「元柱固具、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神、奇動霊光四隅に衝徹し慎みて五陽霊神に願い奉る」」」
俺と神様がリアルと妄想の間に存在する分厚い壁に思いを馳せている中、それまで真言だったり九字だったりドーマンセーマンだったりと各々がバラバラに唱えていた詠唱が、一つに重なっていく。
「「「夜行招来急急如律令!」」」
そして有名なフレーズである急急如律令が唱えられると共に、地面に大きな五芒星が現れた。
周囲から魔力が集まり、その魔力が大きな人、否、鬼の形を形成する。
少しして、五芒星の上に現れたのは、大きく、黒い鬼であった。
その鬼は黒かった。
頭からつま先まで黒かった。
髪の色も皮膚の色も真っ黒で。
吐きだす息も黒いように思えたし。
着ている服も黒一色。
唯一、瞳の色だけが赤かった。
「「「これぞ我ら陰陽寮が切り札、隠形鬼!」」」
『しってた』
ですね。陰陽師が召喚する最強の鬼で摩利支天と関係ある鬼とまでわかっていれば、その正体に当たりをつけることはそう難しいことではない。
問題は鬼の名前ではなくその強さだ。
「さぁ、隠形鬼よ! そこな若造に分際を教えてやれぃ!」
「神道系の大家である中津原を下し、協会と教会に屈辱を与えた若造を我らの手で打ち倒す!」
「これが、我ら陰陽師こそが国防の要であることを満天下に示す第一歩となるのだ!」
『……つまらぬ仕事だ』
この後の展望に思いを馳せて意気軒高となっている陰陽師たちと裏腹に、自分が子供の躾をするために呼び出されたということを知った鬼は、ただただ憂鬱そうに呟いた。
まぁ、気持ちは理解できる。
隠形鬼とは、飛鳥時代からその名を轟かせる鬼であり、陰陽師が使役するとされる鬼の中でも上位に位置するであろう鬼である。わざわざ数人掛かりでその鬼を呼び出して何と戦わせるかと思えば、子供の躾ときたもんだ。
なにが悲しくて上位の鬼たる自分が子供の躾などしなくてはならないのか。
隠形鬼からすれば『自分でやれ』と言いたいところだろう。
だが、やる気がなくともその格は本物だ。立ち姿。威風。なにより無意識に垂れ流されている魔力の濃さは、少なくとも深度3の異界に生息しているような妖魔に出せるようなものではない。
最低でも深度4、もしかしたら深度5の異界にいる妖魔に相当するかもしれない。
アレは間違いなく俺を殺しうる【敵】だ。
と、俺はそう見ましたけど、実際はどんな感じです?
『なんじゃぁ、てめぇ? パクリか? 妾のパクリか?』
神様に相手のレベル測定をしてもらおうと思ったら、全身真っ白な神様が全身真っ黒な鬼に対してシャドーボクシングっぽいナニカをしていたでござる。
まぁ、色合いだけ見れば綺麗に反転させた感じになっているからな。
でも向こうはどう見ても3メートルを超える大男なので、神様のパクリではないと思いますよ。
『そうか? まぁ、確かにの。そんじょそこらの阿呆どもに妾のような可憐さと妖艶さを兼ね備えた美女を真似ることなどできまいが!』
急に上機嫌になる神様。情緒不安定かな?
いや、不機嫌になるよりは良いんですけどね。
で、レベルなんですけど。
『あぁそれな。向こうのレベルは49相当ってとこじゃよ』
49か。俺よりも低いが、このレベル帯になると誰もが上位者を殺す技術を持っているので油断慢心はできない。
と、言うわけでアレを出します。
『ふむ。まぁ、よかろ。見ている連中の目は妾に任せておけい』
お願いします。と、その前に確認をしておこう。
「隠形鬼に問う」
『なんだ? 気は進まぬが命は命である。殺さぬよう手加減はするが、それ以上のことは期待するな』
おぉ、ちゃんと返事をしてくれるのか。
しかも手加減までしてくれるとか。
良い奴だな、コイツ。
『それが鬼として良いことかどうかは分からぬがの』
まぁ、俺に損がなければ良いではないですか。
そんなわけで質問である。
「質問です。俺が貴方を討伐した場合、この国にとって良からぬことは起こりますか?」
『……ほう』
いくら式神が継承できるからと言って、このレベルの鬼をポンポン呼びだせるわけがない。数人の詠唱が必要だったことも併せて考えれば、この鬼は本当の意味での切り札だろう。
これが陰陽師の切り札というだけならばいい。
だがこの国の切り札というのであれば話は別だ。
この戦闘で切り札を失った陰陽師が今以上に落ちぶれることになろうと、それは彼我の力関係に気付かずに暴走した連中の自業自得。
依頼? 早苗さんの挑発? 知ったことではない。
依頼に関しては、己の実力を省みずに依頼を受けた輩が阿呆だし、挑発に関しては子供の挑発に乗った輩が阿呆なだけ。
だが、隠形鬼が陰陽師だけではなく、日本の霊的組織全体から見た切り札であった場合はそうも言っていられない。
『まさか、こんなところで霊的国防兵器を壊すわけにはいかんからの』
その通り。俺が隠形鬼を討伐した結果、彼が存在することで保たれていた封印が解かれたりするのはもちろんのこと、国防的な意味合いでも霊的な抑止力となっている存在を失うことになるのは控えなければならない。
それがこんな私闘であれば猶更だ。
そういった考えから一応確認を取ったのだが、向こうはそのことに気付いているだろうか?
「恐怖でおかしくなったか?」
「現実を見るのだな。貴様ごときが討伐できる存在ではないわ!」
「殺されないと思って調子に乗ったか? その代償は重いぞ!」
『……』
隠形鬼の召喚に成功した時点で勝利を確信したのだろう。
木端陰陽師たち何やら囀っている。だが、隠形鬼は無言のままだ。
おそらく彼は俺の魔力を推し量っているのだろう。
彼クラスになれば、目の前の相手が魔力を外に出さないよう隠蔽していることくらいはわかるはず。
同時に、どれだけの魔力を隠しているかはわからずとも、俺が自分と同じ位階に立つ存在だということも理解しているだろう。
もし理解していなければ? その油断を突いて殺すだけの話。
もし殺してはダメだと言われたら最後の止めを神様に譲ることになるのだが、はてさて。彼は一体どのような存在なのやら。
『……結論から言えば、ここで我を討ち取ったところで国防に支障が出ることはない。そもそもこの場にいる我は分霊であるし、なにより我という存在は国防の為に在るわけではない』
「ほほう。それは良いことを聞けました。正直に答えてくれたことに感謝します」
『なに、この程度はな』
あくまで陰陽師の切り札ってわけだ。
質問に対して素直に答えてくれただけでなく、しっかりとこちらの質問の意図を汲んだ回答してくれたことも好感がもてる。そういう意味では悪い鬼ではないのだろう。
惜しむらくは彼を召喚した相手は俺の敵だってことだろうか。
「隠形鬼?」
「一体なにを?」
「……あぁ、そういうことか」
「「どういうことだ?」」
「元々隠形鬼は武人気質な所がある。それ故、我らの敵とはいえ子供を一方的に嬲ることに抵抗があるのだろう。かといって命令に逆らうつもりもない。だから質問に答えた。言わば手向けというやつだな」
「「なるほどな」」
『……ふぅ』
なにやらコント染みた問答をしている陰陽師たちに呆れるような視線を向ける隠形鬼。
あんな連中に召喚されたということに同情する気持ちがないわけではないが、彼を召喚した陰陽師たちが俺を敵認定しており、さらには俺のことを死なない程度に痛めつけると宣言している以上、俺から連中に与える慈悲はない。
ただし、最初に攻撃を行うのは俺ではないのだが。
先生、お願いします。
『任せよ。……真の邪神は眼を殺す! 喰らえ、干眼の呪い!』
『なにっ!?』
「「「ぎゃぁぁぁぁぁ!! 眼が、眼がぁぁぁ!!」」」
閲覧ありがとうございました。