8話。模擬戦1
その文書は、入学式前に彼らの自宅へと届けられた。
『入学式の後、我が物顔で日ノ本の主神面している盗人共に分際を教えて差し上げます。一切の遠慮は不要ですので持ちうる力の全てを向けて来てくださいな。今の貴方がたにそのような力があれば、の話ですが』
本当はもっと長々と、かつ厭味ったらしく書かれていたのだが、その部分は割愛する。
重要なのは、日本に於ける国津神系の大家である中津原家の娘が、天津神を奉じる神社の関係者である自分たちに喧嘩を売ってきたということのみ。
「弘埜! あの小娘だけは絶対に殺すぞ!」
「ええ。中津原なんてただ古いだけの家だってことを証明してみせましょう!」
新入生総代として教員や来賓の前で挨拶をした松岡椿は、幼馴染であり婚約者でもある畔藤弘埜と共に鬨の声を挙げた。
椿の実家である松岡家は、東方三社が一である鹿島神宮の大祝にして鹿島新當流の使い手として名高い松岡兵庫を祖先に持つ松岡本家から分かれた家で、歴史としてはおおよそ1000年の歴史を持つ神道天津神系の名家である。
その名家の子息である椿と婚約を結んでいる弘埜の実家の畔藤家は、家が興された時期は松岡家よりもやや遅く、その歴史はギリギリ800年程度の家であるが、鹿島神宮と繋がりが強い香取神宮の分家であった。
今更言うまでもないことではあるが、鹿島神宮が祀る神は天津神の中でも名高い建御雷であり、香取神宮が祀る神は経津主である。
両者とも国津神を下して葦原中国を平定した神であるため、二柱を祀る二人にとって国津神とは征服された側の神でしかない。故に彼らは国津神系の神を奉じる神社に対して「征服された弱者が自分たちと同格なはずがない」と考えていた。
そんな彼らにとって目の上のたん瘤的な存在が中津原家であった。
彼の家は、国津神系の家でありながら1200年を超える歴史を持つ故に世界的にも有数の名門として扱われる家であると同時に、深度5相当の異界を管理しているという噂もあれば、退魔士としての実績もあるため、世間的な評価は松岡家や畔藤家を大きく凌いでいる家である。
それだけでも面白くないというのに、最近になって中津原家は深度4相当の異界からしか採取できないような素材を使った術具を量産していたり、中津原家の小娘が幾度となく深度3の異界を攻略しているという情報まで流布されているのだ。
このため神道に詳しくない者や、天津神系に含むところがある組織などからは『神道の代表は中津原家』という戯言まで聞こえてきている始末。
天津神系の家に生まれ育ち、この歳ですでに深度2の異界も攻略している実績を以て周囲から俊英と持て囃されてきた2人にとって、これらの評価は屈辱以外のなにものでもなかった。
いずれ化けの皮を剥いでやる。
それは彼らだけではない。天津神系の神を祀っている神社の関係者にとって共通した想いであった。
(その機会が来たっ!)
実のところ椿や弘埜は――なんなら彼らの親たちも――中津原の小娘、即ち早苗が深度3の異界を攻略しているという情報はブラフだと考えていた。
とはいえ、協会に対して稀にではあるものの、深度3相当の異界でしか取れないような素材を提出している実績があるのは事実だったので、思考の片隅に「もしかしたら本当に攻略している可能性もあるのかもしれない」という思いもあったことは否定しない。
だがそれとて中津原の精鋭を付けているか、もしくは中津原家の先達がこれまで作成してきた術具によるドーピングに近いモノを行っていると確信していた。
「矮小な先人が造り上げた道具頼りの小娘がっ!」
そこにきてこの挑発である。二人が切れないはずがなかった。
もちろん早苗はそのような術具による能力の底上げにあたるような行為はしていない。
それは、彼女自身が身の丈に合わない装備を持つことで己の中に油断や慢心が生まれてしまい、そこから足を掬われる可能性があることを理解しているからだし、なにより彼女らが奉じる神と共にある少年から「装備に頼るとそれが通用しないときに大変なことになる」と忠告を受けていたからだ。
そんな道具に頼ることを良しとしない早苗でも、彼らの主張を聞けば「異界に潜るのに己が使える最良の武器を装備して何が悪いのか」と一笑に伏すだろう。
身の丈に合った装備を整えることは退魔士にとって当たり前の行為であり、それを怠る方が阿呆なのだから。
それは早苗だけではない。すべての退魔士に共通する常識である。
故に、彼らが早苗を『道具頼りの小娘』と罵倒したところで誰の心にも響かない。
椿と弘埜の意見など、その程度の意見でしかなかった。
さらに救えない事実がある。
「見せてあげるわ! 日ノ本の主神たる天津神の、その中でも武神と謳われる二柱の力をねっ!」
弘埜がそう宣言するや否や、椿が持つ建御雷を祀る鹿島神宮に伝わる神剣を模した長刀に弘埜の術式が上乗せされる。
建御雷の力を宿す剣に経津主の力を上乗せすることで出来上がる疑似神剣。
これこそが、彼らの切り札。
「これこそ韴霊剣。貴様ら国津神を滅ぼす神剣也!」
この剣は、対日本の妖魔、特に国津神系の術式や使い魔に対して圧倒的な力を発揮する神剣である。
ときに深度2の異界の主ですら切り裂くことを可能とするこの神剣を、鹿島新當流を修めた椿に使用させることによって、彼はただの少年から圧倒的な力を発揮する暴力兵器へと成り上がることができるのだ。
こうなった際弘埜の役割は、椿の剣にバフを掛けつつ彼を近接戦闘に専念させるための補助をすることとなる。
半ば暴走状態となる椿と、それをコントロールする弘埜。二人のコンビネーションは深度2の異界を攻略するにふさわしい実力を兼ね備えていた。
ただし、現時点に於いて彼らのそれが通用するのは、あくまで深度2の異界までである。
「神剣? それが?」
天津神系の大家が見せた切り札を前にして、恐れおののくどころか呆れ声を上げたのは、つい先ほどまで殺意に満ち溢れていた少女こと鷹白環であった。
実家が僅か600年と少々の歴史しか持たないことや、身内に退魔士としての力を持つ人間がいなかったことで神器や術式にも明るくない環からすれば、各々の家に伝わる秘伝の術式とはある種の憧れであった。
だが、しがない神社に生まれた異端児は、椿が構える淡く輝く剣を見て一度は目を輝かせたものの、すぐにその輝きがメッキに過ぎないことを理解してしまった。
確かにその神剣は強いのかもしれない。
国津神系列の術者に対して絶大な効果があるのかもしれない。
だが足りない。
道具の価値は使い手の力量次第で大きく上下する。
使い手が未熟なら如何なる神剣も“なまくら”だし、使い手が達人であれば“なまくら”もそれなりの効果を上げるものだ。
それに鑑みて彼らはどうか。
足りない。神剣を強化する弘埜の力量も、神剣を扱う椿の力量も圧倒的に不足している。
まず、すべての基準となるレベルが足りない。
これがないとどれだけの宝刀神剣を用いても宝の持ち腐れにしかならない。
翻って、現在椿のレベルは神様基準で10相当。
弘埜に至っては9相当である。
これは退魔士としては一般的であるものの、年齢を考えれば上位と言っても差支えはないレベルだろう。
だが「そのレベルで神剣を使いこなせるのか?」と問われれば、正直首を傾げざるを得ない。
実際問題、この剣を使おうとすると椿は半暴走状態になるのだから、椿に剣を使いこなせていないことは明白であった。
さらに鹿島新當流は今年15になったような子供が極めることができるような浅いモノではない。現在椿が修めているのは、ギリギリ中伝に至るかどうかのところでしかなかった。
つまるところ、現時点では体も技も未熟な椿に神剣は使いこなせない。これが全てである。
早苗を『装備に頼る小娘』と罵倒しておきながら、その実彼らこそが誰よりも装備に頼っているという皮肉。しかもそれを使いこなせていないとなれば第三者から失笑されてもしょうがない。
「まぁ、今の貴方たちにできるのはその程度が限界でしょうね」
「なにっ!?」
「椿、挑発に乗らないで!」
ましてその事実に当人たちが気付いていないというのだから、とんだお笑い草である。
「挑発? 違いますよ。事実をありのまま伝えただけです。環さん」
「応ッ!」
早苗の呼びかけに応えて二人に襲い掛かる環。
その速さは今まで椿が戦ってきた中で最強の存在、即ち深度2の異界を構築していた主をはるかに上回る。
「なっ!」
「速いっ!」
当たり前だ。
確かに早苗や環は、深度3の異界を攻略する際、暁秀に同行を依頼している。
それはいざというとき――異界に仕掛けられた罠に引っかかって二人がダメージを受けたときや、異界の主のレベルが30に相当するときなど、本当にどうしようもないとき――に暁秀が全部片付けるためであり、妖魔を討伐した際に生じる【呪い】に対処するためでもあるので、安全が保障されているという意味では十分すぎるほどの助力を受けていることは否定できない。
しかしながら、今やレベル26相当となった早苗と、レベル24相当になった環の2人には、深度3の異界を攻略できる力があるのもまた紛れもない事実なのだ。
退魔士の戦いは魔力の戦い。どれだけ濃い魔力を纏うかで勝負は決まる。
「速ければ良いというものでは「はい、どーん」……ぐはっ!」
深度2の異界など鼻歌交じりで攻略できる環と、神剣モドキを使って何とか攻略できる椿と弘埜。両者がぶつかれば、勝つのは当然前者である。
「椿っ!?」
無策で突っ込んできた環を迎え撃とうとした椿は、神剣ごと演習場の周囲を囲っていた結界の下まで弾き飛ばされた。当然、重傷。一目見て戦闘を継続できるような状態ではないことは明白であった。
「あのガキ! 真正面から神剣をぶち破ったとでもいうの!?」
なんて馬鹿力! と、まるで交通事故に巻き込まれたかのように吹き飛んだ椿を見て狼狽する弘埜。
だが模擬戦とはいえ今は戦闘中。まして彼女の敵は、この戦いを己が祀る神の前で行われる御前試合と認識している早苗である。
神に奉じる戦いに殉じている早苗に、隙を晒している弘埜を放置する理由はない。
「実力差は理解できましたか?」
「ひっ!」
いつの間にか間合いを詰めていた早苗によって頭を掴まれた弘埜は、次の瞬間。
「がっ」
アイアンクローの状態で持ち上げられたかと思ったら、そのまま地面に頭を叩きつけられていた。
「さようなら。生きていたらまた会いましょう」
こちらも間違いなく重傷。椿ほどではないだろうが、回復には時間がかかるだろう。
少なくともこの模擬戦の最中に立つことは不可能だ。
この模擬戦を見ていた教師や上級生は誰もがそう理解していたし、それは純然たる事実であった。
「お嬢! 次行くよ、次!」
「えぇ。私たちの戦いはまだこれからです」
模擬戦開始から二分も経たぬうちに重傷者2名発生。
それはいともたやすく行われた蹂躙劇。
それを成した早苗と環は、今しがた自分が叩き潰した2人に一切目を向けることなく次なる標的に目を向けるのであった。
閲覧ありがとうございました。