5話。軍人娘の事情
「監視の件につきましては了解しました。詳細は後ほど上司の方を交えましてお話をさせて頂きたいと思います。本日はお疲れ様でした」
「あ、うん」
咲良は監視対象である西尾暁秀本人から己に割り当てられた任務、つまり彼の監視を認めるような言質を与えられたことに驚いてしまい、流れるような所作で立ち去っていく暁秀を引き留めることができなかった。
暁秀の背中はもう見えない。これから追いかけようにもそんな雰囲気でもない。
「これは、どうなんだろう?」
暁秀や彼に憑いている神様が予想したように、咲良が語尾に「ッ」を付けていたのは意図的なものであった。
咲良が無理をしてまでそんなことをしたのは、彼女が所属する組織である国防省は特殊作戦群心霊災害対策課のプロファイラーから『彼は体育会系が好みだと思います』と報告が上がっていた為である。
根が真面目な軍人である咲良や、それを監修した彼女の上司らにとって、体育会系はああいう感じだったのだ。
「はぁ。監視自体は否定されなかったし、態度からも嫌われてはいないと思うけど、そもそも監視するって時点で気分は悪いよね。てっきりなにか条件を付けてくれるかと思ったけど完全に素通りされちゃったし。このままだと何も解決しない……」
暁秀と神様から『裏を感じない』と評価された咲良だが、そんなことはない。当然彼女には彼女の思惑があって暁秀に接触をしている。(尤も、暁秀らにとっての【裏】とは、政治や宗教的にドロドロとしたもののことなので、咲良個人にそういう意味での裏がないという彼らの判断は間違っていない)
組織と個人の思惑についてはさておくとして咲良の事情に話を戻そう。
まず、咲良は自身が置かれている状況を正しく理解していた。
自分が特定の宗教組織に所属していないことの危うさも理解しているし、他のメンバーが自分を己の所属している宗教組織に取り込もうと画策していることも理解しているし、上司が自分の扱いに困り始めていることも理解しているし、なによりこのままでは遠からず【呪い】によって死んでしまうことも理解していた。
「今までは父さんが護ってくれた。でもこれからはそうはいかない」
今はまだ一介の協力者として異界に潜っている咲良だが、この学校を卒業した時点で彼女は正式な軍人となる。
また、退魔士としての力をもつ咲良は卒業後特殊作戦群という機密性の高い部署に配属されることが内定しているので、通常の部隊に所属している父との接触が制限されてしまう。(実際は現時点で特殊作戦群に所属しているようなものだが、未成年&学生と言うことで色々と便宜を図ってもらっている状態)
そうなった場合、咲良は自分の意志で自分が所属する宗教組織を選択しなければならない。
問題はそこだ。
「誰を選んでも角が立つって、どうすればいいの……」
咲良の所属先である特殊作戦群心霊災害対策課に所属しているのは、当然退魔士としての力を持つ者だけである。
咲良と彼らの最大の相違点は、咲良以外のメンバーが神社やお寺の関係者であることだろう。
彼ら彼女らは、名門と呼ばれるような家に退魔士としての力を持って生まれたものの、家を継ぐには素質が足りなかったり、秘伝を託すには能力が足りなかったり、分家を継がせるには人格的な問題があったり、そのまま家に残っていたら家督争いの原因になる可能性があったりと、様々な理由で家から追い出された人間たちであった。
当然実家で培った力を使って新興宗教を興したり、犯罪を犯したり、敵対する組織に所属した場合には実家や実家が所属する派閥から追手が放たれることが確定しているので、そちらにはいけない。
かと言って今まで退魔士として生きてきたので、それ以外の生き方を知らない。
追い出した方も自分の家の関係者が宗教団体を興したり、他の派閥に流れたり、心霊犯罪を犯されては困る。
国としても退魔士としての力を持つ者がブラブラしているのは勿体ない。
そんな三者の都合が一つになった結果新設されたのが、この特殊作戦群心霊災害対策課である。
実家を追い出された者は国家公務員としての社会的立場と己の能力を使える職場を見つけ、追い出した方は家族を所属させる事で国に協力している姿勢を示すことができ、国は退魔士という労力を得る。
三方良しとはこのことだ。
ただし、実家を追い出された側は追い出した側に対する恨みを抱いていることを忘れてはならない。
よしんば恨みを抱いていないにしても、実家を見返してやりたいという思いは多かれ少なかれ全員が抱いている。
そんなところにどこの色もついていない娘さんが放り込まれればどうなるか。
答えは単純にして明快。取り合いである。
ある者は「彼女との間に生まれた子が強ければ」と。
ある者は「新たな血を入れる切っ掛けになれば」と。
ある者は「彼女を新興宗教の教祖にすればいい」と。
咲良の周囲にいる者たちはその他いろいろな理由を掲げて咲良を取り込もうとしていた。
当然咲良に与える餌は彼らが実家から取り寄せている術具。その中でもメインは軍から支給される【呪い】に対抗できる護符よりもずっと強力な効果を持つ護符である。
これに困ったのが、この年になるまで「特定の宗教に染まることを良しとしない」という軍人の鑑のような教育を受けてきた咲良であった。
個人的な好き嫌いは別としても、各々の家庭の事情に巻き込まれたくない。
でも護符は欲しい。
新たな宗教を興すなど真っ平御免だ。
でも護符は欲しい。
誰を選んだとしても、選ばれなかった人との間に隔意ができることは確実である。
でも護符は欲しい。
「隔意くらいならまだましかも」
選ばれなかった人間が選ばれた人間を暗殺しそうで怖い。
「というか、するでしょうね。あの人たちなら」
これまでの経緯から、咲良は特殊作戦群心霊災害対策課に所属している先達たちの人間性を全く信用していなかった。
いまだ高校生でしかない咲良が、そんな妄執とも言えるモノを宿した人間と一緒になりたくないと考えるのは、極々当たり前の話であろう。
同僚や先輩と深く関わるのは危険だ。
かと言って宗教組織に所属しないと死んでしまう。
悩んだ末に咲良が選んだのは、そういう妄執を抱いていない人間。
つまり家を継ぐことが確定しているが故に精神的に余裕があるであろう神社やお寺の長男であった。
それもただの神社やお寺ではなく、退魔士としての実績がある家の人間でなくてはならない。
嫁入りした家の宗教に染まることになるが、それに関しては諦めるしかない。
神社はお金がない場合が多いらしいが、それは自分が稼げばいい。
咲良にはそんなことが些末な問題と言えるほど嫌なことがあるのだ。
「あんな死に方は絶対に嫌!」
死に方を選べる人間は幸福だというが、あんな、数日苦しんだ挙句に体内から爆発するような死に方を選ぶなんてありえない。
【呪い】で死んだ人間を思い出しては身震いする日々。
彼女が恐怖で身を震わせるのは当然のことだ。なにせあの死に方は、軍人が特定の宗教に染まることを疎んじていた父親でさえ「アレを避けるためなら仕方ないと」納得するほどに凄惨な死に方なのだから。
咲良の方針は決まった。
しかしそうそう簡単に神社やお寺の後継ぎと接触できるわけではない。
それどころか、彼らと軍や特殊作戦群は商売敵のような関係なので、接触した時点で双方からスパイ扱いされてしまう危険性がある。
どうしようかと悩む咲良に、課長がとある機密情報を教えてくれた。
曰く、最近教会や国に目を付けられた少年がいるということ。
その少年はとある神社の長男であること。
その少年の家は最近母屋を新築したり、神社の改修にも手を付けているくらいには金銭的に余裕があるということ。
その少年はすでに深度3の異界を幾度も攻略しているほどの実力者であること。
その少年は中津原家との繋がりがあること。
その少年は春に育英高校に入学するということ。
さらにその少年は体育会系女子が好きそうだということ等々。
咲良にとって有用な情報を沢山教えてくれた。
「それだ!」
まさしく天啓だった。
その少年は特定の宗教を信じていない咲良が思わず神に感謝するくらい完璧な存在だった。
深度3を幾度も攻略しているということは、【呪い】を恐れていないということだ。
即ち軍が開発している【呪い】避けの護符よりも高性能なナニカを持っているということだ。
それさえあればあの凄惨な死に方をしなくて済む。
家を新築しているのも良い。
お金がなくても自分が稼げばいいという思いは嘘ではないが、咲良も現代っ子なので自宅のトイレがボットン式なのは嫌だった。
「乗るしかない、この大波に!」
そうと決まれば話は早い。咲良は他のメンバーに知られぬよう、課長や課長の意を汲んで動いている比較的穏当な性格をしていた女性の先輩などに対象の話を聞きにいった。
その際、既に件の少年の周囲には何人かの女の影が存在することを知ったが、咲良は諦めなかった。
課長からまだ諦める時間ではないと言われたからだ。
課長がそう断言した根拠はもちろん、件の少年こと西尾暁秀と最も仲がよいとされる少女、鷹白環の存在だ。
客観的に見て、しがない神社の長女でしかない鷹白環にとって西尾暁秀は何が何でも確保すべき優良物件だが、西尾暁秀にとって鷹白環とはなんの得にもならない存在である。
というか、彼女に手を出せば自動的に鷹白家というお荷物を抱え込まされることになるので、経済的に余裕があるわけではない暁秀からすれば鷹白環とはなんとしても距離を置かねばならない存在である。
それをしないのは彼女が中津原の令嬢である早苗と仲が良いから……ではない。
そもそも鷹白環と中津原早苗は暁秀を介して出会っているのだ。
むしろ中津原早苗と関係を持つことを考えれば鷹白環は邪魔だろう。
故に中津原早苗の存在は暁秀が鷹白環と距離を置かない理由にはなりえない。
では何故暁秀は邪魔にしかならない鷹白環と距離を置こうとしないのか。
答えは一つ。西尾暁秀は鷹白環のような女性が好みだからだ。
いくら力があるとはいえ、所詮は思春期の子供である。
性欲を完全に我慢出来る筈がない。
かといって手をだせばもれなく不良債権がついてくる。
貧乏暮らしを知っている暁秀からすれば絶対に手を出せない案件だ。
中津原早苗に至っては言わずもがな。
最速の機能美を再現したかのような体型に性的興奮を覚えにくいのはもちろんのこと、中津原家という名家の看板は暁秀が穢せるほど軽くない。
つまり暁秀は美少女二人に囲まれている中で常時お預けをされている状態なのだ。
近くにいるのに手が出せない。
そんな生殺し状態におかれていることで、彼はかなり悶々としているはず。
そこにオールフリーを掲げる咲良が介入すればどうだろうか。
少なくとも咲良の家は貧困世帯と呼ばれるような家ではない。
さらには元々咲良が考えていたように共働きだってできる。
なにより咲良は環と系統が似ているが、環が持っていないものを持っている。
この状況で落とせない筈がない。
課長から自信満々にそう告げられた咲良は、確かな自信を抱いて暁秀に接触することができた。
その結果は課長や自分が想定したものとはかなり差異があったが、それも初対面であることを考えれば悪くはないはずだ。
課長はそう言うだろうし、咲良だってそう思う。
だが実際に暁秀と接触した咲良には一つの懸念があった。
「初対面から欲望むき出しでこられても困るのは確かなんだけどさ。でも、何もないっておかしくない?」
咲良とて女子である。男性から向けられる視線に疎いわけではない。むしろ周囲の大人たちから煩悩交じりの視線を向けられることが多いので、同年代の男子としか接触したことのない、所謂普通の少女よりも鋭敏な感覚を持っていると言っても良い。
その鋭敏な感覚が告げるのだ。『彼は自分を異性と認識していなかった』と。
もしかしたら気のせいかもしれない。
だが軍人たる者、退魔士たる者は、一度覚えた違和感を気のせいで片付けてはいけない。
それは彼ら彼女らにとっての常識である。
「……一度課長に確認してみましょう」
故に咲良は頼りになる大人である課長に一度確認を取ることにした。
――咲良から見れば真面目で聡明でありながら、必要とあらば色仕掛けも許容するだけの器を持つ人生経験豊富な課長でも知らないことはある。
たとえば仮想敵の筆頭である鷹白環がファッション僕っ娘であることを知らない。
たとえば暁秀が体育会系に対して何ら思い入れがないことを知らない。
たとえば課長や咲良が考えている体育会系には男の興味を惹く要素、所謂【萌え】の要素が極めて薄いことを知らない。
たとえば暁秀には早苗の家柄に怖気づく理由などないことを知らない。
たとえば暁秀が溜め込んでいるはずの熱いパトスは定期的に発散されていることを知らない。
たとえば暁秀にとって理想の女性とは白い和服が似合う少女のような存在であることなんて知る由もない。
対象を攻略する為に必要な情報を知らない課長は、咲良にどのようなアドバイスをするのか。
その課長からアドバイスを受けた咲良はどのように動くのか。
「私は負けない。絶対にッ!」
咲良の命と将来を懸けた戦いはまだ始まったばかりである。
呪いによる死に方のイメージは、北〇の拳の新血愁みたいな感じ。
数日苦しんだ後に内側から弾けて死にます。
閲覧ありがとうございました。