26話。彼と彼女の事情
「え!? 暁秀も東京の学校に行くの!?」
「そうなった」
「へぇ~なら一緒だね!」
「そうみたいだな」
「そっかそっかぁ。えへへ。知り合いがいて良かったぁ」
そう言いながら笑顔を見せてくる環。彼女はもともと件の高校に進学する予定だったので、俺が後追いした形になる。
しかしなんだな。この表情を他の男にも見せればかなりの人気が出るだろうに……と思わなくもない程には良い笑顔である。
『俺が好きだったボーイッシュな神社の娘が、他の男に女の貌を見せていた件について』
一見すればNTRモノに見えなくもないが、そもそもその男は環の彼氏でもなければ婚約者でもないので、実際はNTRではない構文ですね。
『これで何故か「裏切られた」とか言って泣きながら歯ぎしりをした挙げ句、逆ギレして催眠を仕掛けるのが最近のトレンドじゃよ』
マジか。色々終わってるな最近。
片思いを拗らせすぎて、一緒にいるだけのところを勘違いして泣いたりするのはまだしも、催眠を掛ける大義名分にはならんだろうに。
『お主の場合は勘違いでもなんでもないがの』
手を出したわけでもなければ鷹白家からナニカ言われているわけでもないから誤解ですね。
『手を出していない、とな?』
出していない。向こうからもナニもない。
医療行為はしているがそれだけなので、誰に憚ることなく清い関係である。
『人間基準で言えば十分美少女と呼べるであろう同年代の女子からこれほどまでに分かりやすいOKサインを貰っているのにナニもない、じゃと? まさかお主、ETか?』
世界広しといえども自分が生まれる前から憑いていた神様から地球外生命体扱いされた人間は俺くらいだろう。
つーかアンタ、一昨日ナニしたか忘れたのか。
『てへぺろ』
あらやだ可愛い。
あざとい神様は観ていて飽きないが、今は環の件である。
無論俺とて環が健康的な美少女であることに異論はない。それなりに付き合いがあるし、何より同年代の退魔士などそうそういないので邪険にするつもりもない。
それはそれとして。ぼんやりではあるものの、一応前世の記憶を持つ俺が中学生の彼女を異性として見ることはない。当たり前の話だ。
なので俺が彼女に向ける感情は、近いところに住んでいる親戚の娘に向けるような感じと言えばわかりやすいだろうか。
『わかりやすいような、わかりにくいような』
人間関係なんてそんなもんでしょう。
なにより環の場合は家庭の事情というものがある。
環の実家である鷹白家は、ウチと同じく辺鄙なところにあるしがない神社である。
その経済状況は、二年前のウチと大差ない状況であった。
具体的には、10日ほど前に行われた第二回干眼祭りの賠償金を利用してようやくトイレが母屋の中に収納され、本体も洗浄機能付き水洗式トイレに変わった程度と言えばわかるだろうか?
『これまたわかりやすいような、わかりにくいような』
俺も自分で言っててそう思いました。
ともかく、彼女の実家である鷹白家もその辺の神社と同様に経済的な余裕があるわけではない。
加えて、鷹白家を継ぐのは環ではなく弟くんなので、必然的に環はどこかに嫁に出されることになる。
つまり環は、神社の常識に則って、嫁に行った先から鷹白家に対して金銭的な援助をするよう求められているということだ。この辺は千秋と一緒だな。
もちろん鷹白家の人たちとて環の幸せを願っているだろうから、環が不幸になるような相手に嫁がせるようなことはしないだろう。
だから向こうからみて自分たちと同じような『しがない神社』であるウチは環の相手として選択肢に含まれないというだけの話である。
ウチとしても俺の妻となった人の実家から仕送りがないのは厳しいので、お相手にはそれなりの経済基盤が求められるというのもある。
『お主ならいくらでも稼げように』
それで、俺が死んだらどうするんです?
いつどこで死ぬかわからないのが退魔士業界である。
それはレベルが高い俺だって例外ではない。
もし俺が死んだ後で子供がまともに育つ環境ができていなければ、御家断絶一直線。
最悪は千秋が継ぐことになるが、折角他の家に嫁いで神社の面倒事から解放されているであろう千秋を、俺の都合でこの道に戻すのはさすがにどうかと思うわけでして。
最悪の場合に備えて出戻っても生活するのに困らないよう家を新築したりしているが、それはあくまで保険でしかないのである。
保険は使わない方が良い。ならばその保険を使わない為に必要なのは何かといえば……。
『やはり金、か』
そう、金なのだ。
愛情と金を両立できるのが一番なのだが、そんな贅沢を言える身分でもなし。
そんなわけで、どれだけOKサインを出されようとも、鷹白家を抱え込むだけの甲斐性が無いことを自覚している俺が環に手を出すことはないのである。
『向こうは中津原家が色々と手を回しておるから問題ないと考えておるようじゃがな』
俺に中津原家を頼る意思がないのでノーカンです。
つーか、ことあるごとに頼っている俺がいうのもなんですが、あの家は俺に甘すぎませんか?
『本当に今更じゃな。それに甘すぎるもなにも、宗教的には連中の祭神である妾が憑いておるお主こそ正当な巫にして現人神ぞ。妾の意思を衆目に伝えるのが連中の務めであることを考えれば、中津原家が妾と意思疎通できるお主に全面協力するのは当たり前のことじゃろうが』
神様が実在することの影響を真正面から受けたパティーンですね。
『お主を取り込むことができれば中津原家は名実共に日本有数の神社となる。その意義を考えれば、今この時に嫁がこないことが不自然とさえ言えるわな』
それはまぁ、ね。
早苗さんのときに神様から説教されているし。ここで嫁を差し出して「また人柱? お前ら、懲りてないの?」なんてことになったら面目とか色々丸潰れだからね。
『じゃから早苗が自然に距離を詰めることに期待しておるんじゃろうよ』
早苗さんもねぇ。状況が状況だから恩に着てくれているのもわかるし、俺に特殊な目を向けてくれるのも分かるんだが、如何せん彼女も中学生だからな。
恋愛対象として見るのはちょっと厳しい。
『かー! この草食系男子が! そんなことじゃからこの国の出生率が上がらんのじゃぞ! もっとこう「グへへへへ、周りの女は全部俺のモノだ!」みたいなハーレム主人公ムーヴをかまそうとは思わんのか!?』
そんなざまぁされそうなムーヴは御免です。
あぁ、もちろんざまぁした後に被害者面してハーレムを作るような真似もしませんよ。
『な、なんじゃと!? このままでは妾の「東京の高校に通ったら今まで俺にだけ女の貌を見せていた神社の娘がいつの間にか知らない男にNTRされていたので神様の力を使って復讐します!」計画が台無しにっ!?』
計画というか企画というか。
とりあえず、復讐するなら神様の力を使っちゃあかんでしょ。
自分の力でやれ自分の力で。
『自分の力でやれるような奴はそんな発想には至らない定期』
そりゃそうでなんでしょうけど。
いつの間にか怪しい企画に参加させられていた環が不憫でならない。
『元々こやつはお主のおかげで生きておるんじゃし、何よりお主が退魔士として鍛えたおかげでタダで高卒資格を取れるんじゃぞ? それくらいは協力してもらわんと、のぉ?』
のぉ。じゃないでしょ。
あ、そういえば。
「環が向こうで生活している間、家の人の食費とかは大丈夫なのか?」
「ふぇ?」
現在鷹白家の食費を稼いでいるのは、俺の目の前でまだ見ぬ高校生活に思いを馳せている少女である。
俺が知る限りでは、環は普段早苗さんと組んで毎週土日限定で深度2や深度3の異界に潜っている。
月の稼ぎは二人で大体20万前後だったはず。二人で割るから大体10万だな。
早苗さんはそれを自分で稼いだお小遣いとして貯金し、環は家族の食費や、自分のスマホの料金や、弟の服代や靴代。あとは諸々の出費にそなえて貯蓄していたはずだ。
月10万の収入がなくなると考えれば相当厳しいと思うのだが、その辺は大丈夫なのだろうか。
『一度上げた生活水準を戻すのは至難の業じゃからな』
ほんとそれ。ウチの場合はまだ千秋や芹沢嬢という稼ぎ手がいるが、環の弟くんは退魔士じゃないからな。
食費を捻出するために借金とかしそうで怖いのだ。
「あぁ。えっとね。一応貯金もあるし、学校に通いながらでも稼げるみたいでしょ? お嬢に聞いた感じだと毎日やれば土日限定で異界に潜るよりも稼げるみたいだからさ。それで稼いで仕送りとかする予定」
「ほうほう。そんなに稼げるのか」
小遣い程度だと思っていたが、考えを改める必要があるか?
「らしいよ。なんでも学校が管理する異界で【魔石】や素材を集めたりするんだって。移動の時間もないから放課後にパパッとやれそうなんだよね」
「なるほどなー」
学校が管理する深度がどれくらいのものかは知らないが、人間に管理できている以上、最悪でも深度4以上ではないのは確定である。
『深度2の中盤から深度3の中盤くらいじゃろか』
そんな感じでしょうね。
そこに毎日通えるのであれば、確かに土日限定で異界に潜るよりは稼げるかもしれない。
というか、学校が準備する退魔士の仕事も今の環にかかれば放課後の部活動と大して変わらないのな。
『まぁ、所詮は学生にやらせる仕事じゃからの。深度2の異界で無双できるこやつからすれば大した脅威にはならんじゃろ。早苗と組めば猶更よ』
それもそうか。逆に早苗さんと環が組んで出来ない仕事を学校に持って来る奴がいたら、ソッチの方が問題だな。
『じゃな』
「もちろん東京の協会にいい仕事があればそっちを優先するつもりだけどね。あ、もしよかったら暁秀も一緒にやらない?」
「お、そうだな。時間があったらやるか」
学校が用意する仕事なら無駄に目立つこともないだろうし。
ソコソコ稼いで仕送りする分には悪くないかもしれないな。
『それ、フラグじゃぞ』
ははは。上手いことをおっしゃる。
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