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第一章 6

 篠田心愛が退院して間もなく、再び入院することになった。


「また、入院なんて、やっぱあいつどっかおかしいんじゃねーのか」

 最近野球部に顔を出していないからか、幹人の黒々とした肌が薄くなったように感じる。手を団扇のようにしてぱたぱたと仰ぎながら、ロイドはどう思うと問われる。


「うーん。でも、本人は盲腸だって言い張っているからね」

 昨日までの篠田さんはいたって元気だった。というのも、篠田さんは基本的に辛くても辛いという表情をしないし、持ち前の明るさだけでどうにか押し通してしまう強引さがある。


 これなら、確かに篠田さんが病気を隠したくなる気持ちも分からないでもない。それでも、僕以外、特に仲のよい白坂さんや幹人には伝えるべきだと今でも思っている。


 僕はあのパンケーキ以来、うんともすんとも言わなくなったスマホを見つめる。篠田さんからの連絡は『今日はありがとう』という文字から止まっていた。


 画面とにらめっこしたところで何も変わらないのは分かっているけど、何もしないよりはましだった。こちらからラインをしたら返してくれるかもしれないという考えもよぎったが、それはなんか負けたような気分になるのでやめておいた。


 そもそも、僕は何を期待しているのだろうか。元からラインを頻繁にするような仲でもないのに、これでは思い上がりも良いところではないか。


 あの無責任に放たれた言葉は今でも僕の心を惑わせている。

 僕と篠田さんはただのクラスメイトだ。

 それ以上は何もない。


 幹人は勢いよく机を叩いて立ち上がる。

 僕は体をびくつかせ、顔を上げると、幹人は親指を立てていた。


「今日あいつの病院行こうぜ!」

 少し間をおいて、僕はゆったりと告げる。


「先生も言ってたでしょう。今日は面会謝絶って」

 不信感を確信へと変えてしまいそうなその言葉はずっと心に引っかかっていた。面会謝絶ってそんなに病状が悪いのだろうか。良からぬことばかり考えてしまう。


「あいつってさ、何でも隠そうとすんのよ。だから、きついなんて絶対に言わないしなー」

 幹人は椅子に倒れこみ、天を仰いだ。


 野球に没頭していたときには見せなかった繊細な表情を見せ、坊主頭を掻きむしりながら、「わかんねー」と嘆く。


「本当に何も知らないの?」

 予想だにしないところから声がした。


 声のした方に顔を向けると、腕を組んだ西尾さんが立っていた。凛とした佇まいは、誰もが目を引くもので、どうしてかあの放課後にみた少女の姿と重ねていた。胸を張り、どこまでも真っすぐな瞳は黒縁眼鏡のレンズ越しにこちらを見ている。


「あやちゃん、それってどういう意味?」

 幹人の口調はおちゃらけていたが、顔は真剣そのものだった。


「空田くんは篠田さんに何度も会っているのに、やけによそよそしいなって思っただけ。クラスの子たちも何か隠しているじゃないかって勘ぐっているわよ」

 刺々しい言葉の中にも高貴な香りが漂う。彼女の真面目さが言葉を通して伝わってくる。


 西尾さんが言っていることは一理ある。というのも、篠田さんの人柄から察するに、お見舞いに来てくれたクラスメイトをぞんざいに扱うはずがなかった。むしろ、好意的にあの時はありがとうくらいあってもおかしくはない。それなのに、それがなかったとなれば、篠田さんが意図的に避けているとしか考えられない。


 余計な配慮が疑心を生んでしまっている。

 考える前に、言葉が口を飛び出していた。


「まあ、嫌われているからね」

 そう言うと、西尾さんは目を丸くしていた。どうして、そんな表情をするのだろうか。


「いや、それはないだろ。むしろ、好かれているくらいだ。お前は気がついてないのか」

 幹人は真に迫るような表情で、僕を見つめていた。その顔には悔しさのようなものも滲んでいる。どうしてそんな表情をするのだろうか。

 僕は幹人から目を逸らす。


「篠田さんはああいう性格だからね。僕が嫌いでもそんなところ表には出さないだろうね。でも、現に学校では全く話さないし、一目瞭然だと思うけど」


「そんなことねーと思うけどな」


「私もそう思う」

 ここでいくら言葉を重ねたところでこの人たちが手の平を返すとは思えない。時間が解決するかと、時計にちらりと眼をやる。


 もうとっくに昼休みは終わっている時刻だった。

 あれ、チャイムは鳴っただろうか。


「それに……」

 西尾さんの言いかけた言葉をかき消すように教室の引き戸が勢いよく開けられる。だんという音と共に、白い夏服が揺れた。


 ――ビックニュース!

 肩で息をした細身の体が目の前に現れる。その姿にクラス中が注目した。自称情報屋を名乗るサッカー部のお調子者の中原だったか、川原だったかどちらか憶えていないが、みんなからは、はらっちと呼ばれている。


 自称とは付けたものの、彼の情報網はなかなかのもので誰も知らないような情報を週刊誌のように持ってくる。この前も、美術の下山先生と体育の真島先生が付き合っているという情報をいち早くつかみ、もう結婚するらしいと言い当てたのも彼だ。


「でた、はらっちメモ」

 はらっちはメモをぺらぺらと捲り、あるところで手をとめた。


 みなが固唾を呑んでいるのがわかる。さっきまであった昼休みの弛緩した空気とは一変して、今はぴんと糸が張ったような緊張感が漂う。


「この学校で二人の生徒が消えた」

 その言葉はあまりにも唐突で、現実離れしていた。けれど、誰もはらっちが嘘をついているとは思っていないようだった。


「今、緊急の職員会議をやっていて、消えた生徒は俺らの一個上の学年らしい。そんで、一人はここ最近不登校になった生徒なんだけど、もう一人は……」

 はらっちはばつが悪そうに鼻を掻いて、仕方がなく口を開いたように見えた。


「ないんだって」


「何が?」

 クラスの誰かが声をあげる。


「誰一人として覚えていないんだって」


「はぁ? そんなわけないだろ」

 さすがに今回の情報はあまりにも突飛すぎて、信じるにも信じ難いものだ。

 隣にいた西尾さんの結ばれた髪が揺れる。


「その話が本当なら、一つ気になることがあるわ」

 凛とした横顔を見つめる。黒縁眼鏡をしているから、気がつかないけど、西尾さんは愛嬌のある顔をしている。その口元が再び動く。


「誰も知らないのなら、何でその生徒がいなくなったってわかるの?」

 矛盾していると幹人はまるで自分が閃いたように煽った。


「違うよ。あるんだよ。その生徒の名簿も、顔写真も。でも誰一人、仲良かったやつも、親ですら分からないと言っているらしい。確かにそこにはいたという証拠があるのに、誰も知らないなんておかしいだろ?」

 はらっちの鬼気迫る表情は恐怖心を掻きたてた。


 何か分からないことが今目の前で起こっている。そんな漠然とした不安が教室を飲み込み、誰もが口を開けなくなっていた。


 しんとした教室の端にいる圭太が目に入る。圭太は恐怖というよりも、そのことを誰よりも悲観しているように見えた。その表情は見てはいけない気がして、すぐにそこから視線を逸らす。


「それで、そいつのことを調べてみたんだ」

 明らかに嫌悪感を顔に滲ませた。

 僕はその先に紡がれることを分かっていたように思う。


「そいつは少しずつ……学校を休むようになったんだ。いや、不登校とかそういう理由じゃない。入院し始めたんだ。それで、いつの間にか消えた。まさに煙のようにね。なんかさ、これ……」

 みな同じ人のことを思い浮かべていたはずだ。僕もしっかりと、昨日まで明るい表情を振りまいて

いた彼女の横顔を思い出していた。そんなことが起こるはずがないという想いとは裏腹に、どこか腑に落ちてしまうところがあった。


「嘘だよ!」

 悲鳴のような叫びだった。

 白坂さんは再び小さく嘘よと呟く。

 誰もが目を伏せて、はらっちですら、顔を上げられていない。


「俺たちはあいつのこと忘れないようにしようぜ」

 はらっちは絞り出したような声を出す。


 おそらく、僕も含む全員が少しも疑うこともなく信じていた。その妙な連帯感に気を取られていた僕は、耳元でささやかれる言葉に体を硬直させた。


 ――話したいことがあるから、放課後、図書室で待っているわね。


 西尾さんは小さく手を振ってすぐさま背を向けた。呆気にとられていた僕は、その姿をずっと追った。姿勢はぶれることなく、彼女の席にたどり着くまで保たれていた。西尾さんが椅子を引いた瞬間、榎田先生がつかれた表情を連れて教室に入ってきた。


 心の整理がつかぬまま、榎田先生の柔らかな言葉が耳に流れていた。



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