エピローグ
春の足音が聞こえた。
路肩に残った雪から流れでる水が、僕の踏みしめる足元を濡らす。
春の陽気に綻んだ世界は、とても眩しかった。
波風立たぬ日々もこの一瞬だけ、僕の心を別世界へと運んでくれる。
そんな日に出会ってしまえば、僕はたちまち学校をさぼり、あてのない旅へと出る。
あらゆるしがらみを放り捨てて、いつもと違う電車に乗り込み、見慣れない風景を楽しむ。
そして、辿り着いた先は海だった。
立ち入り禁止と書かれ、ロープが張られた先へと向かう。
何の躊躇いもなかった。
誰の足跡もない砂浜に、痕跡を残して、僕は凪いだ海を見つめた。
霞んでいた世界が輪郭を取り戻していき、栄養不足に陥っていた心が呼吸をするように膨らんでいく。
束の間の息継ぎだった。
――今年もなんとかやっているよ。
小さく放たれたその言葉はさざ波のなかに消えていった。
春は生命の息吹を連れてくる。
その感触は母を思い出させてくれた。
もし、母が生きていたら、僕になんと声をかけてくれたのだろうか。
そんなことを夢想する。
心の痛みを和らげてくれるようなそよ風が僕の前髪を揺らした。
僕は海に一礼をして、踵を返す。
頭上から降り注ぐ太陽を睨んで、砂浜を踏みしめていく。その途中で、砂とは違う感触が足元にあった。
僕はゆっくりと自分の足をどけて、その下にあるものを拾い上げる。
薄汚いメモ帳のようなものだった。
ぺらぺらと捲っていくが、ほとんどの文字が濡れていたせいでつぶれていた。
こんなものを拾ったところでどうしようもないと、捲っていた手を止めかけたときだった。
僕は思わず、息をのんだ。
――アンドロイドのようなきみに告白する。
今まで判別できなかったことが嘘のように、その文字だけがくっきりと浮かび上がっていた。
僕の心は震え、涙が流れた。
どうしてこんなにも悲しく、そして切なくなるのか分からない。感情は波のように押し寄せてくる。
僕はそのページだけをちぎり、丁寧に折っていく。紙ひこうき状になったところで、僕はそれを軽くつまんで海の方へと飛ばした。
その紙は風に煽られて、空高く舞い上がっていく。
それはまるで桜の花びらのようだった。