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第四章 2

 ことの顛末がわからぬまま、僕らは古びたアパートの前に立っていた。平日の昼間だからなのか、住宅街は閑散としている。周辺にはこのアパートとは似つかわしくない高層マンションが立ち並ぶ。その高層マンションたちに見下ろされるようにしてひっそりと二階建てのアパートは立っていた。


 おじさんは篠田と書かれた表札の呼び鈴を鳴らす。応答はなかった。聞き耳を立てる。部屋のなかに誰かがいる気配はない。


 おじさんは汗を拭う。アンドロイド管理局という刺繍が入ったねずみ色のつなぎは確かに暑かった。おじさんが、僕もその恰好をした方が信用してもらえるとのことだったので、二つ返事で袖を通したのだが、こんな耐久戦になるのなら断っておけばよかった。


 おじさんは足をぱたぱたさせる。どうやら、イラついているようだ。それもそのはず。かれこれ一時間はここで待たされているのだ。


「ここが最後の砦なのによ」

 焦りを具現化した声が響く。

 言葉通り、ここが彼女へとつながる最後の砦だった。ここがもしダメなのなら、もう打つ手がなくなる。


 篠田心愛へと繋がる情報はすべてブロックされていた。ある程度のアクセス権限を有しているおじさんでさえ、彼女の情報を覗き見ることはできなかった。そこで、すぐさまおじさんは僕の父に電話をかけて、仮契約者権限で居場所を特定できないかと尋ねるが、父はあまりいい返答をしなかった。というのも、父は十一年前の事件が尾を引き、かなり厳しい条件のもとで今回の仮契約にこぎつけたという。なので、彼女へとつながる情報はほぼない。ましてや、居場所を特定するなんてできるわけがないとのことだった。


 頭を悩ました末の妙案は、もう一人の契約者の存在だった。それが篠田夫妻だったのだ。篠田夫妻は以前住んでいた一軒家を売り払い、郊外のアパートに移り住んでいた。子どもが四年前に他界しており、現在は夫婦で二人暮らしをしているとのことだった。


 じりじりと焼くような暑さは着実に僕の体力を奪っていた。

 一筋の汗が頬を伝う。


「あの……」

 僕らの背後から声がした。


 振り返ると、ファッション雑誌をそのまま切り抜いたような人がそこに立っていた。ファッションに詳しくない僕には女性が身につけているものが一体どういうものなのか分からなかったが、とにかくこんな古びたアパートに住むような人の格好ではない。それは確かだった。


「失礼ですが、篠田さんでしょうか?」


「ええ、そうですが」

 女性の目は懐疑的だった。それに、外見は繕っているものの、ところどころに疲れの色が見える。


「こういうものです」

 おじさんは名刺を女性に差し出す。

 それを受け取りながら女性はこう言った。


「もう契約は今週で切れるはずですよ」


「それがこちらの手違いもあり、お手数ですが少しだけお時間を頂けないでしょうか?」


「まあ、それなら……」

 そう言って、女性はこちらに視線を向けた。


「あの……」


「あっ、彼はインターンシップの子で、良ければ彼にも現場の空気を知って欲しくて連れてきました。ご迷惑でしたら、彼だけ先に帰らせますが……」

 女性は少し考えてから、「構わないわ」と言った。


 室内に入ると、蒸し暑さがこもっていた。女性はすぐさま窓を開けて、扇風機をまわす。見る限りでは、六畳一間といったところだろう。部屋には物が少なく、生活感はあまりなかった。ここに夫と二人暮らしているようには見えない。


「そこらへん適当にかけてください」

 僕はおじさんが座った横にこしかける。


「えっと、そちらの方の名前を伺ってもいいかしら」

 女性の視線が僕に注ぐ。


「あっ、えー僕は山田と申します。よろしくお願いします」

 おじさんの苗字も空田だから、へたに同じ苗字を口走れないと思い、適当に思いついた名前を告げた。そして、僕は深々と頭を下げる。

 顔をあげると女性は悲しげな表情を浮かべていた。


「ごめんなさい。山田さんのような若い方をお見掛けすると、どうも悲しくなってしまうの。うちの娘もあのまま何事も無かったら、あなたくらいの年齢になっていたのかなって想像してしまって」

 女性は目じりに溜まる涙を払った。


「心中お察しします。差し支えなければ、少し娘さんの話を訊いてもいいですか?」

 何もかもを包み込んでしまいそうな優しい声だった。

 女性は噛みしめるように頷く。


「ええ、構いませんわ。娘は優しい子だったので許してくれると思います」


「それでは、遠慮なく……」

 厳かさを言葉に滲ませてから、おじさんは静かに語り始めた。


「篠田さんのお話を伺っていると、とても娘さんは愛されていたんだなと感じました。どんなお子さんだったんですか?」


「一人娘でしたので、お転婆で、元気が良すぎるくらいでした。部活動は陸上部に入っていて、成績はそれほど残せなくても、欠かせない存在だったみたいで。あの子のいる景色はいつも明るかったんです。周りを笑わせるというか、元気を出させてくれるというか。そういう子だったんです。だから、まさか私たちよりも早くいなくなってしまうなんて思いもしませんでした。本当に不慮の事故だったんです」

 女性は咽び泣いていた。


 悲しみが一室に漂い、僕はなぜアンドロイドが必要なのかという一端を目の当たりにしていた。そして、僕もその空気に同調するように悲しみを抱えた。ただ、僕のものは女性のような濁りのない悲しみではない。彼女は本当の彼女だったのか、という猜疑心からくるものだった。


「前の家はどうもあの子の匂いがして、もう住んでいられませんでした。契約で来てくれたアンドロイドの方には相当苦労かけたと思います」

 おじさんはかぶりを振った。


「いえいえ、それが彼女らの仕事ですから。少しでも心の痛みが和らいで頂けていたのなら幸いです」

 女性は何度か頷いてから語りだす。


「私たちのわがままで、娘と同じ名前にしたんですよ。アンドロイドの方からすると迷惑だったのかもしれませんが、本当にあの子が帰って来たみたいでした。部屋が明るくなって、会話も弾むようになって、今まで通りの生活が戻ってきた気さえしました。でも、それは本物とは遠い何かだと気がついてしまったんです」

 女性はハンカチを取り出し、口元をおさえた。


「大変申し訳ありません。それはこちらの不手際で」

 おじさんは見計らったように頭を下げた。

 僕もそれに倣って頭を下げる。


「いやいや、頭をあげてください。契約の際にそういう話はあったので。でも、まさか本当に病気になってしまうなんて思わなくて。誰が悪いとかじゃないんですけど、また娘を失ってしまうんだと思うともうお見舞いにも行けなくて」

 涙が止まらないようだった。


 失うという言葉が僕の心に翳りをつけた。アンドロイドはそういう運命なのかもしれない。誰かに必要とされて、でも、それはそのアンドロイド自身ではない誰かを求められ、自分ではないはるか向こうにいる誰かを必要とされる。そうして、役目を終えたら静かに消え去っていく。

 

 彼女はちゃんと篠田心愛をやっていたのだろう。

 でも、そうだとしたら――。


「すみません。自分の話ばかりしてしまって。それで何でしたっけ。不備か何かがあったんでしょうか?」


「いや」と目を伏せて、おじさんは語りだした。


「不備と言いますか、お聞きしたいことがありましてね。いえいえ、篠田さんが悪いわけではありません。全てはこちらに責任があります。というのは、契約していたアンドロイドが諸事情により、どこにいるのか分からなくなってしまってですね」


 僕は女性とおじさんの顔を交互に見た。


「それはどういうことですか? 彼女は病院にいると聞かされていますが」

 おじさんは口元をぎゅっと結んで、一拍おいてから口を開いた。


「別にそこまで心配することではないんです。よくあることなんですけど、なんせ彼女の管理を新人に任せていたもので、ある程度の経験者ならすぐにリカバリーを取るのですが、お恥ずかしながらそのリカバリーでも新人がやらかしてしまって」

 おじさんは後頭部を触りながら軽く頭を下げる。


「それで、彼女の位置情報や入院先の情報をすべて削除してしまったもので、どこにいるのか分からなくなってしまったんです。急遽、バックアップのデータを復元させたのですが、それが正しいものなのか分からなくてですね…良ければ彼女の入院している病院などの情報があったら開示して頂けないかというお願いに参りました」

 感情という感情を切り捨てて、できるだけ業務的におじさんは説明していた。


 女性もそれには納得したようで、すぐに彼女の入院している病院の情報が僕らの目の前に差し出された。


 ――五目星ごもくぼし病院。

 おじさんは目の前にある紙とスマホの画面を見比べてから、「ありがとうございます」と告げた。


「いえいえ、これくらいなら」

 女性はそう言って、微笑んでいた。


「あと、一つだけいいですか?」

 おじさんがそう切り出すと、女性は首を傾げた。


「この病院に移った際に必要な申請はこちらに届け出ていますか?」

 女性は目を見開いて、口元を手で覆った。


「すみません……まだでした。突然、彼女がそうしたいと言ってきたもので。私たちも引っ越しとかで忙しくて。すぐにやりますね」

 おじさんは立ち上がろうとした女性を手で制す。


「この変更はこちらでやっておきます」


「本当ですか。助かります」

 女性が頭を下げる。


 僕は女性の後ろにあるコルクボードが目に入った。一枚の写真が貼られてある。少女がこちらに向かって白い歯を見せていた。光が反射して、細部までよく見えなかったが、それは僕の知っている篠田心愛のような少女だった。


 帰りの車内は西日に照らされていた。

 おじさんは険しい表情で前を見つめている。


「なんで、本当のことを言わなかったんですか?」

 静かな車内に僕の声が響いた。


「ああ、あれか。あれは、篠田さんがまだ、彼女が指名手配されているって知らなかったからだな。あの家にはテレビもラジオもなかったし、スマホも持っているかどうかさえ分からなかった。そんな人に、いきなり彼女が捕まりそうだなんて言えるわけないだろ。それに、いずれは記憶も無くなるわけだしな……今は余計なことをしない方が何かと動きやすい。それだけだ」

 おじさんは目を細め、無精ひげを撫でた。


「そんなことよりも、お前さんは嬉しくないのか? これでやっと、彼女に会えるかもしれないんだぞ」

 確かにそうだと僕は思った。でも、不思議と喜びよりも、不安の方が勝っていた。この先彼女に会って、僕はなにをすればいいのだろうか。なにができるのだろうか。そういう迷いが彼女に近づくたびに大きくなる。


「篠田心愛は悪いことは絶対にしない。それは、昔の彼女を知っている俺が保証する」

 おじさんの言葉は力強かった。


「いいや、違うんです」


「何が違うんだ?」

 おじさんは右にハンドルを切り、車は交差点を右折した。

 こっちは確か駅の方だ。


「分からなくなってきたんです。彼女がどんな人で、どんなものが好きで、どうなりたかったのか」

 情けない。僕はいつまで経っても成長しない。みんなは着実に歩んでいっている人生を僕はまだ歩めていない。


「そんなもの俺だってわからんよ。だから、俺たちは生きているんだろ。分からないから、知りに行くんだろ。それでいいじゃないか。何も難しく考えるな。お前さんが信じる道を突き進めばいい」

 迷うのはきっとそのものを大切にしたいからだ。もし、何かを取り違えて、台無しにしてしまったらと考えるから、不安という呪縛に囚われる。知っているんだ。分かっているんだ。でも、足がすくむ。こわい。その一歩は未知の世界への一歩だから。


「おじさんは……」

 口に出してしまってから後悔した。


「行かないよ。分かっていると思うが、俺は管理局内ではよく思われていない。もし、俺が動けばきっと悪い方に転がる」

 おじさんはハザードランプのボタンを押す。

 そして、車はゆっくりと減速していった。

 助手席の窓の向こう側には、多くの人が行き交う駅があった。


「彼女との最期を一心に託したぞ」

 おじさんの声は震えていた。


 気丈に振舞っていた糸が切れたように、おじさんから悲しみが流れていた。

 僕は想像した。

 彼女が生きてきた歴史を。


 多くの人の涙を笑顔に変え、生きる力を分け与えてくれる彼女の姿を。

 そんな彼女は病気になり、そして犯罪者にされた。

 あまりにも酷いではないか。


 滴が僕の瞳から頬を伝って膝に零れる。

 僕しかいない。

 僕が世界中にこの想いを伝えなければならない。


「絶対に救ってきます」

 僕は背中を叩かれる。


「よく言った! 今これしかないけど、持っていけ。それで、もし足りなくなったらこれを使ってくれ」

 おじさんは財布から、十枚ほどの札束とクレジットカードを差し出してきた。それは想いを託されたように感じた。


 僕は深々と頭を下げる。そこに込めた感情は様々なものだ。到底、ありがとうなんて言葉だけでは表現し切れない。


「これはお前さんにしかできないことだ、胸張って行ってこい!」

 僕はその言葉を背中に受けて、駅へと走り出した。



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