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第三章 8

 僕は学校の屋上に立っていた。


 まさか、こんな形できみとの約束を果たすとは思わなかった。きみは覚えているのだろうか。僕はちゃんと覚えている。あの時はこんな恥ずかしいことできないと思っていた。けれど、今ならそれができる。


 どうしてかって。それはもうきみのことを覚えているのが僕しかいないからだ。もうみんな忘れてしまった。きみと仲が良かった白坂さんを筆頭に、もう誰もきみの名を口にしない。


 夏のそよ風が僕の前髪を揺らす。部活動に励む人たちの威勢のいい声が響いてくる。いつもと変わらない学校の日常風景。そこにもう、きみは存在していない。それは姿かたちだけではなく、もうきみという存在自体がこの学校から抹消されている。そんなの死んだも同然だ。


 山の向こう側に沈もうとしている夕日を僕は見つめた。

 きみとの出会いはあの空き教室から始まった。幹人の代わりにきみのところへお見舞いに行き、僕はきみの病気を知った。パンケーキも食べに行った。何度も病院に足を運んだ。山にも登った。きみと学校をさぼって海にも行った。ちゃんと僕は覚えている。きみが生きていた証を叫ぶことができる。


 僕の身体は震えていた。武者震いだろうか。

 今まで抑え込んでいた感情は限界を迎えていた。身体の奥底から湧いてくる感情は僕の想像を凌駕していた。


 ――篠田心愛がすきだぁぁああ!

 僕は叫ぶ。それは強く、言葉だけではない想いをのせて。


 部活動の生徒、指導する教師、様々な人の視線を奪う。みなが指をさしている。僕にはそんなことどうでもよかった。今更体裁なんて気にしない。スマホは何度も震えていた。分かっている。もう精神的健康はイエローよりも悪くなっているのだろう。もういいんだ。


 だから、僕は叫び続ける。

 ――世界のばかやろうおおおぉお!


 僕の声がこだまして街中に響いていく。

 校内放送が鳴った。


『屋上にいる生徒、すぐさま叫ぶことをやめなさい。繰り返します……』

 僕は毛頭やめるつもりはなかった。


 人々は面白がり、僕にスマホを向けている。笑い声、心配する声、様々な反応が僕の耳に届く。これで本当に終わりだ。


 屋上のドアが開けられる音がした。後方から「何をしている」という図太くて鋭い声が聞こえた。

 夕日が僕の頬を照らす。僕は息を吸った。腹部に溜めた空気を思いっきり吐き出す。


 ――絶対にきみを忘れない!

 汗が全身から溢れ、滝のように流れる。

 僕は夕日に手を翳した。


 僕だけはきみのことを忘れない。どこかにいるきみを必ず見つけだす。だから、どうかそれまで生きていてくれ。


「やめなさい」

 その声をきっかけに僕の身体は取り押さえられる。必死に抵抗するのも虚しく、僕は数人の大人にあっさりと拘束された。体のあちらこちらが軋む。僕は顔を歪めた。とても太刀打ちできない。結局、僕ら子どもは、大人の言いなりになるしかないんだ。そう、思うと僕は悔しかった。これでは生かされているだけではないか。今までとなにも変わらない。


 そうだ、僕は変わりたいのだ。今までの自分を捨てて。

 僕は腹に力を入れた。

 ――生きろ! 心愛!


 強く、そして鋭いものだった。誰も理解してくれなくたっていい。僕だけがわかっていればいいんだ。僕はもう決めた。もう何に対しても迷わない。


 この強い心を授けてくれたのは、紛れもない彼女だ。

 薄れゆく意識のなか、僕は何度も彼女の名前を呼んでいた。



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