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【4】

 赤くマークのついたトークアプリを眺め溜め息をつく。マークの中には数字の四。

 返事のない相手に重ねて送ることをしないあの人には珍しく、既読にすらならない俺に四つもトークを送ったことになる。通話の着信も何度か来ていたが、そのどれにも俺が対応することは無かった。


「はぁ……」


 連絡を無視するなんて、子供じみたことをしている自覚はある。だが分かっていてもどうにもできないのだ、このモヤモヤは。

 瞳を閉じるたびに浮かぶのは、凛々しくも美しい天沢の姿。手入れの行き届いた長いサラサラの髪、艶々の肌。立ち振る舞いやその身なりを見れば、一目で育ちの良さが分かる。

 自分のようなその辺の石ころが隣に立って良い相手ではないことも重々承知している。だからこそ告白を受けたその時は、瞬時に断ろうと思ったのだ。それでも彼から向けられる優しさや甘さに、そんな過去の自分をすっかり忘れていた。だが現実は無慈悲を容易く突きつけてくる。

 そう……彼の隣に立つことを許されるのは、本来あの男のような全てを兼ね備えた人間であるべきなのだろう。

 一昨日の夜、突然目の前に現れた男。

 俺より頭ひとつ分背の高い天沢と並んでも、見劣りすることのない長身と体躯。明らかに裕福だと分かる仕立てのいい生地を身に纏い、その表情には己への自信が溢れ出ていた。

 どこにも自信がなくて直ぐに下を向いてしまう自分とは何から何まで違う、別世界の人間だと思った。それがまさか、自分の恋人の婚約者だなんて。


「無理に決まってる」


 あんな完璧な男に自分が勝てるわけがない。結局、オメガにはアルファ、アルファにはオメガ……ベータの自分に割り込む余地なんて始めからなかったのだろう。

 天沢も最初から、結婚までの間の遊びのつもりで俺を揶揄っていたのかもしれない。そこまで考えて、自分の愚かさに目頭が熱くなった。

 天沢とは、まだほんの短い期間しか一緒に過ごしていない。それでも彼が、気軽に人を弄ぶようなことをする人間ではないことだけは分かる。そうと簡単に分かるほど、それほどまでに自分は天沢に大切にされてきたのだから。

 だからこそ、だからこそ────


「せめて……カイリさんの口から聞きたかった」


 あまり自分のことを話さない天沢だが、彼の出自が一般家庭ではないことは見れば直ぐに分かる。冷静に考えれば、家が家なら、それもオメガであるならばアルファの許嫁がいるのは今も昔も当たり前にあり得ることだった。

 一昨日の夜天沢が語気を荒げて言ったように、家が勝手に決めたことだから従う気など全くないのだと、そう彼自身の口から聞けていたら受け取り方も大きく違っただろう。

 でも天沢は言わなかったし、むしろ彼───美原貴也の存在を隠そうとしていた。つまりそれは、避けて通れない未来だからなのではないか。そして自分は、いつかその日が来た時……天沢から手を離されてしまうのではないのか。

 深い深い溜め息がもう一度漏れる。

 時計を見れば時刻は夕方の五時を指していた。指定された時間まではあと二時間。

 今日あの二人は、昼からずっと一緒に居るはずだ。今こうして俺が、赤いマークのつくアプリを眺めて悩んでいるこの時も、きっと。


 奇しくも今日は、俺たちが付き合って三ヶ月が経つ記念日だった。



 ◇



 指定されたホテルの前には辿り着いたものの、どう考えても場違いでしかない雰囲気に尻込みしてドアに近づけずにいた。

 そうして途方に暮れて立ち竦む俺に、耳通りの良い甘さを含んだ声が聞こえた。


「隼太」

「カイリさん……」


 ホテルの入り口から出てきた天沢は、俺と目が合うとホッとしたように柔らかく笑んだ。そのまま走るように足早に近づいて来た彼が、俺の目の前にスッと手を差し伸べる。


「来てくれて良かった……行こう」


 反射のように、俺はその手を取ろうと腕を上げる。でも、


「俺……」


 天沢の後ろでは、まるでホテルそのものが煌びやかな宝石のように輝いている。その輝きは、ちょっと奮発して行くテーマパークの眩しさなどとは格が違う。


「カイリさんみたいに、入れないですよ……こんな、凄いとこ……」

「隼太、」

「……俺とは住む世界が、違いすぎて、」


 そこまで言ってふと、視線を上げた。


「───ッ、」


 俺を見る天沢の瞳が大きく揺れていた。でも、それも一瞬のこと。スッと俺から視線を外した天沢は、少し強引に俺の肩を抱き促す。


「行こう。部屋まで案内する」


 揺れた天沢の瞳、逸らされた視線。肩を抱かれ寄り添っているはずなのに、いつもよりその存在が遠く感じるのは……。


 間違いなく俺は、天沢カイリを深く……深く深く、傷つけた。





「まったく、カイリも過保護だねぇ。お迎えが要るとか子供じゃないんだからさ」


 目の前で手に持ったグラスを傾けながら苦笑する美原に、俺は唇を噛み締める。


「俺が勝手にしたことだ、余計なことを言うな」


 所謂スウィートと呼ばれるハイクラスの部屋に辿り着き、アイボリーの布地に金糸の刺繍が美しい大きなソファに腰掛けてもまだ、天沢の手は俺の肩を掴んでいた。

 乗せられた手の力が俺の悔しさに比例して強くなる。まるで守ろうとするかのように寄り添う天沢に、しかし俺は甘え縋ることができないでいた。

 とにかく今は、自分の存在が惨めで仕方なかった。


「俺は遠回しに言うのが苦手だから、さっさと用件を言おうか。まあ、大体内容は分かってると思うけど、俺の婚約者と遊ぶのはもうこの辺りでやめてくれないかな? カイリも、今日親たちと話していい加減分かっただろ? どちらの両親も、俺たちが番うことを望んでる」


 番。それは、オメガとベータでは決して結ぶことの叶わない絆。そんなものを持ち出されたらベータである俺に勝ち目なんてないじゃないか。視線が落ちたまま上げられない俺の頭は、更に項垂れた。


「俺はお前と番う気なんてない」

「いい加減にしなって。俺じゃないアルファと番った方が地獄をみるよ?」


 美原がそう言った瞬間、天沢が目の前のローテーブルを思い切り叩いた。


「だから! なぜ俺がアルファと番うこと前提なんだ!」


 そんな天沢を、美原が口角を上げて冷めた目で見つめる。


「何言ってんの? そんなのカイリがオメガだからに決まってるだろ」

「オメガはアルファ以外を選べないって言うのか!?」

「当たり前だろ、まさかカイリは本気でベータの彼と一緒になれると思ってるわけ? 幸せになれるって?」


 美原は今度こそ隠さず鼻で笑って見せた。


「アルファのフェロモンに勝てると思ってんの? 反応せずにいられるって? ヒートの時に、アルファを誘わずにいられるとでも?」

「いられるさ、隣に彼さえ……隼太さえいてくれるのならッ」


 俺の肩に回された手に今まで以上に力が入った。


「俺は自分の気持ちをバース性で諦めたくない。そんなもので諦められる気持ちなど、無いに等しい」

「俺のカイリへの気持ちが、無いものだって言いたいわけ?」

「じゃあお前は、もしも俺がアルファやベータであっても欲しいと思ったか? どうしても俺でなければならない理由はあるのか?」


 そこまで言われて初めて、余裕を浮かべていた美原の表情に難色が浮かんだ。


「俺は例え隼太がアルファであったとしても、ベータであっても、オメガであってもこの手で抱きたい。抱きしめて、腕の中に閉じ込めて、俺だけのものにしたい」


 真隣りからジッと色素の薄い瞳に見つめられ、全身の熱がカッと上がっていく。


「俺は隼太が隼太だからこそ欲しいんだ。そこに性別なんて関係ないんだ」


 肩を抱いていた手がゆっくりと滑り落ちて、その先で捕まったのは俺の掌。隣からぎゅっと抱きしめるように腕を回されたまま、両手を握られ自分と彼の熱が溶け合う。

 それは、なんだか泣き出したくなるほどに優しい温度だった。


「隼太、俺の気持ちはちゃんと伝わってるか?」

「カイリさん……」

「貴也のこと、ちゃんと俺の口から伝えられなくてすまなかった。隠せるものなら、ずっと隠し通していたかった。変に気にしてほしくなくて、不安を感じさせたくなくて……でも結局そのせいで隼太を傷つけてしまった」


 俺の顔を覗き込む天沢の顔はあまりに優しかった。

 大切にされていた。ほんの少しだって傷つけぬように、真綿に包むようにして優しく優しく愛されていた。

 たまにあまりの溺愛ぶりにいたたまれなくなるほど、とてつもなく大切にされているのだとちゃんと知っていた。それなのに俺は、婚約者の存在があることに嫉妬して、それを天沢本人の口から聞けなかったことに腹を立てて。自分の自信のなさからくる不安な気持ちを持て余して、結果身勝手にも天沢に拒絶としてただ投げつけた。


「俺……俺ね、カイリさん」


 俺には、彼にずっと言わなければいけないと思っていたことがある。握りしめられている両手に俺は力を込めた。


「あの、あのねカイリさん、俺───」


 だが俺が想いを口にするその間際、怒鳴り声よりも体に響く声が落とされた。


「何勝手にふたりの世界に入ってんだよ」

「ッ、」

「人が黙って聞いてれば……」


 美原の目が爛々と紅く光った。


「ぅゔっ、」


 ぶわりと熱い膜のようなものが全身に襲いかかる。それは熱気にも似た、アルファからの確かな威嚇だった。

 まともに自身の体で受けとめたのは初めてのことで、喉を絞められているような感覚に落ち入り息をすることすらままならない。


「隼太!? ……貴也ッ!」

「ねえ、ベータ君。俺知ってるよ? キミ、カイリの押しの強さに流されただけなんだろ?」

「ッ、」


 息苦しさに床に片膝をつき倒れ込むと、美原が長い足でソファから立ち上がり俺を見下ろす。その瞳は、軽蔑の色をしていた。


「お……れは、おれ……は、ちゃん……と、カイリ、さん……を」

「隼太、無理してしゃべるんじゃない! 貴也、今すぐやめろ!」


 蹲る俺の隣に膝をついて寄り添う天沢を認めた美原の目が、更に鋭く吊り上がった。


「じゃあ俺にも見せてくれ。そして証明してくれ、そのお前たちの想いの強さってやつを!」

「貴也ぁあッ!」


 隣から悲鳴のような声が上がった。と同時に俺の喉は解放され、今度は天沢の様子がおかしくなった。


「かっ、カイリさん!?」

「うっ、ぐぅうっ!」

「カイリさんッ!!」


 先ほどまで俺を心配し寄り添っていた天沢は、しかしいま自身の体を強く抱きしめて呻き声をあげる。何かを恐れ、そして耐えるかの様に……。


「さあ、ベータ君。キミに何ができるのか見せてくれ」


 そう言って美原は高らかに笑った。天沢は、床にへばりつき叫んだ。


「あぁ"ぁあ"ッ!!」


  信じられないほど甘い匂いが鼻腔を突き抜ける。


「ああ、本当に良い匂いだな、カイリは……」


 腕を広げ、天を仰ぐ美原はその香りに陶酔していた。

 部屋中に漂う花の蜜を溶かしたような香り。肩を揺らし荒く吐き出される天沢の呼吸と、澄んだ湖の水面の様な瞳はいつもと違い熱に浮かされていた。

 これは……、


「カイリさんっ、」

「ぁ……あぁあ……」

「カイリさん!」

「ひっ、……ああぁああぁッ!」


 これは、ヒートだ─────


「さあ、俺からカイリを奪ってみせなよ、ベータ君」



 その微笑みは、悪魔そのものだった。



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