偽造証明④
本当は少し前から神殿には着いていた。けれどあまりに王女の姿が眩しくてつい見とれていたのである。
拝殿に響き渡った証人の名にロージアはようやくハッと我に返った。
いけない、いけない。感嘆している場合ではなかった。早くエレクシアラのもとへハルエラを送り届けねば。
「遅れてしまってすみません! 今日呼ばれていた証人です!」
ぺこりと詫びて代書人はロージアの敷いた花弁の道を駆けていく。最後までそれを見守ると証言台に上る彼女からそっと離れ、王女の肩に舞い移った。
「力強い論述でしたわ。さすが未来の国王です」
「ご覧になっていたのですか? なんだか急に照れてきました」
ねぎらえばエレクシアラは赤くなってもじもじする。だがすぐに毅然とした目を取り戻し、公爵家に相対した。
裁判はまだ終わっていない。とどめの一撃はこれからだ。
「はーっ、ちょっとだけ待ってもらえますか? 喋ること全部飛んじゃってて……」
裁判場の中央で顔を覆ったハルエラが深呼吸を繰り返す。なんとか息が整うと彼女は「よし!」と自らの頬を張った。
「改めまして代書人ハルエラ・スプリンです! 今日は私が亡きダーダリア・アークレイ公爵夫人の恋文捏造に関わった経緯をお伝えさせていただきたく存じます!」
証言が始まると被告席のオストートゲは目も当てられぬ様子になる。全身はわなわな震え、顔面は蒼白になり、呆けたように立ち尽くした。
リリーエはまだ平静だったが、父と同じく場の流れからは取り残されたままである。支配できないものをただ眺めている。碧眼をぽかんと開いて。
「私はちゃんとした事務所を持たない下請けの代書人です。私にはブーンさんという親しい仕事仲間がいて、時々彼の依頼を手伝っていました」
ハルエラは語る。真似のしづらい筆跡で難儀している代筆依頼があるのだとブーンに相談されたこと。彼に代わって筆を執ったのがハルエラであったこと。次にブーンと会ったのが彼の葬式だったこと。
「ブーンさんは私が恋文を納品した数日後、暴漢に襲われて亡くなりました。彼を殺した犯人はまだ捕まっていないそうです」
キナ臭い話に人々がざわめく。今や疑いの眼差しは容赦なくアークレイ家に注がれた。
「私はブーンさんの死と恋文の代筆依頼には関連があるのではと考えました。なぜならこの依頼には最初から不正の臭いがしたからです。
ラブレターの代筆そのものは珍しい仕事ではありません。でもブーンさんは『昔書かれたものに見えるように古びた紙とインクを使って書いてほしい』と言ったんです。私は変な依頼だから断るように忠告しましたが、ブーンさんは報酬に手をつけてしまったからと聞き入れてくれませんでした」
死した知人を悼んでか、ハルエラがしばし黙り込む。だが証言は終了せず、彼女は顔を上げて続けた。
「この仕事をしていると偽造と無縁でいられません。特に多いのが遺書の改竄、土地や財産に関する虚偽の文書の作成でしょうか。私はなるべく怪しい依頼は受けないように心がけておりますが、それでも断れなかったときは誰が書いた文章か後になってもわかるように仕掛けを施しているんです」
おお、とロージアは未来の母の賢明さに感心する。ハルエラは「まず一つ」とその仕掛けを解説した。
「ギエテの詩をわざと間違って引用したこと。これは誰の目にも同じ誤りかつ教養深い人々には印象に残りやすいものにしました」
ゴシップ紙に恋文の記事が載ったとき、彼女が自分の仕事だと確信したのはこの箇所がそのまま掲載されていたからだったという。ほかの文言は汎用性が高いので決定的な判断材料にはならなかったと。
「そしてもう一つ。使用した便箋が元々は私のものだったこと。これは今から直接裁判員さんにお見せします」
ハルエラはエレクシアラを仰いで「あの、今、私の仕事道具ってお持ちですよね?」と問いかけた。王女はこくりと頷いて足元の暗がりを示す。
「こちらに全部揃っています。机に並べればいいですか?」
「あ、いえ! 王女殿下のお手を煩わせるわけには!」
慌てて証言台を下りるとハルエラは原告席に駆けつけた。机の下から大きな鞄が持ち上げられ、中の書類が十数枚ほど取り出される。
見たところそれは彼女の本来の字で綴られた、偽造恋文とは無関係の仕事のメモや下書きだった。ただ裏面はすべて例のマーブル模様であったが。
「マーブル紙は特殊な溶液に浮かべた染料を紙に吸着させる技法で作ります。だから石版や木版の染物と違い、一枚一枚必ず別の柄に仕上がるんです」
言いながらハルエラは目を凝らしてマーブル紙を並べ始めた。正しい向きと順番があるらしく、時々上下左右に回転させている。
「一枚と言っても溶液を入れる箱が大きいので染める紙も大きいです。一枚のマーブル紙を裁断してできる便箋の数は十六枚。私がここに並べたのが十五枚なので残りは一枚ですよね!」
ハルエラが何を言いたいのか、ロージアにももう理解できた。マーブル紙は隣り合うそれと模様の続きが一致する。たった一枚短い手紙を持っていただけのリリーエたちはこれに気づかぬままだっただろう。
「なるほど。どうやらこちらの恋文はパズルの最後のピースで間違いないようですわ」
エレクシアラが恋文を裏向きに伏せ、四行四列のマーブル紙を完成させると裁判員が次々に自席を立って確認にやって来た。セイフェーティンも高座から覗きに下りて、また厳かに戻っていく。
もはやアークレイ家に可能な言い訳はなかった。法廷を閉じるべく大神官が被告席に最後の問いかけを発する。
「原告側の示した論拠に質問や指摘したい矛盾はあるか?」
オストートゲもリリーエも声を失ったままだった。だがここで何か言わねば負けが確定するのである。大きく喉を震わせたのは鬼気迫る顔の父だった。
「何もかも全部間違っている……! 何かの罠だ、こんなものは……ッ!」
オストートゲは証人もマーブル紙の柄合わせも視界に入れようとはしない。まるで見なければ存在しないと現実を否定するように。
「そうだ、私は知らない! 全部こいつが、リリーエが一人でやったのだ! 私はこいつに騙されただけだ! 初めに手紙を持ってきたのだってこいつが……ッ!」
絶叫は情けないとしか言いようのないものだった。自分だけでも助かろうと父は被害者のふりを始める。あるいは本当に己は加害されていると信じているのかもしれなかった。
「いいえ! その人も共犯です! 私が今日遅れてきたのはアークレイ家のお屋敷に捕まっていたからですし!」
ハルエラは声の限りにぶちまける。二日前、神殿帰りにリリーエたちの手にかかって敷地で監禁されていたこと。なんとか地下から命からがら逃げてきたこと。
「ふざけるな! なんの証拠があって貴様ッ!」
恫喝はさして長くは続かなかった。おそらくは父の目が傍聴席から躍り出たツインテールのメイドの姿を捉えたからだ。
「その証言は私ができます! お屋敷でハルエラさんを見つけたのは私ですから!」
公爵家の暗部はすっかり表に晒されたようである。オストートゲは「外へは出るなと命令したのに使用人が何をしている!」と怒り狂ったが、その光景は見る者の不信を買っただけだった。
エリクサールは目を開けたまま気絶でもしたのか腕組みの姿勢で瞬き一つしない。傍聴席のカニエは頬を真っ白にして震えていた。
まっすぐに立っていたのはリリーエだけだ。
温かな春の日差しのごとき柔らかな笑みを浮かべて。
「君は何か申し開きしたいことはないのか?」
セイフェーティンの問いの後、異母妹は裁判場を見渡した。
透き通る青い瞳がきらきらと異なほどに輝く。うふふと小さく声を立てるとリリーエは原告席を見つめて言った。
「ございませんわ。わたくしの完敗です。完璧に対策したつもりでしたのに、便箋が落とし穴とは思いもよりませんでした。王女殿下の仰せの通り、代書人ブーンに恋文代筆を依頼したのはわたくしリリーエ・アークレイです」
異母妹は正直に己の罪を告白する。しかしその表情は少しも悔しそうでなく、むしろ爽やかですらあった。
「お、おまえ…………」
オストートゲが愕然とリリーエを振り返る。これ以上事実を歪曲できないと悟ってか、父はがくりと崩れ落ちた。
終わったのだ。ロージアは被告席を見て目を伏せる。
次いで場内に響いたのは大神官のよく通る声だった。
「裁判員諸君! 原告側の論拠にこそ正当性ありと思った者は挙手せよ!」
満場一致で掲げられた手にワッと傍聴席が沸く。割れんばかりの拍手喝采に包まれる中、セイフェーティンは高らかに王女の勝利を宣言した。
「判決を言い渡す! オストートゲ・アークレイ及びリリーエ・アークレイは故人の私的文書を偽造して不当にロージア・アークレイを追放した! よって有罪であるとする! ひとまずは三ヶ月の拘禁刑を命じるが、余罪追及が完了すれば極刑は免れないと思え!」
神殿騎士がオストートゲとリリーエを引っ立てていく。しばらく父の抵抗の声が響いたが、それも間もなく遠ざかった。
二人はすぐに王宮の地下牢に繋がれるだろう。法に従ってこの先の捜査権は宮廷警察へと移り、より詳しい捜査がなされる。
罪人は地位を守るべく金を積むかもしれないが、聖女ペテラの御旗を掲げて王女が勝ち取った有罪だ。なかったことにされる心配はあるまい。
(いえ、王女ではなく王太女だったわね)
敗者が去るとロージアは勝利を祝してまた黄金の花弁を散らした。大喜びでそれらを拾う傍聴人を眺めつつセイフェーティンに耳打ちに行く。
「兄か妹、次のお世継ぎに相応しいと思うほうに花びらを捧げるべしと言ってくださる?」
もちろん一人一票で、と頼めば彼はただちに従った。
一時間後、エレクシアラが黄金に埋もれたのは言うまでもない。