偽造証明③
ああ良かった。ロージアに宣言した通り、なんとか勝訴に持ち込めそうで。
筆跡の参考資料に渡されたのが古い帳簿だったので公爵家がどんな理論を展開するかは読めていたが、オストートゲから例の台詞を引き出すまで生きた心地がしなかった。
だがもうドキドキしなくていい。思い描いた理想の形は整ったのだ。あとは彼らが最後まで気づけなかった穴をつつくだけである。
「真に注目するべきはアークレイ家から提出された恋文の便箋です」
エレクシアラは高々と物証を提示した。貴族女性が好んで使う非常に優雅なその用紙は、裏面が数種の染料を不揃いに流したマーブル模様になっている。定番の文具であるから見過ごした者が多いだろう。実際ロージアほどの人でもこの柄の便箋が古くから存在すると誤解していた。
「マーブル紙と呼ばれるこのような紙を作る技法が、いつ頃どのような経緯で生まれたか皆さんはご存知でしょうか?」
尋ねれば被告席も裁判員席も静まり返る。答えられる人間はここにも一人もいないようだ。己には偽恋文の詳細を聞いた瞬間知れたことだが。
「神国に世界で最初のマーブル紙が誕生したのは十五年前、先代女王であったわたくしのお祖母様が身罷られた年のことです」
エレクシアラは顔色を変えたオストートゲを一瞥した。ダーダリアが本当に不義の子供を産んだなら恋文は二十年以上昔のものでなければおかしい。
指摘された矛盾に対し、公爵家から即時の反論は出なかった。直感で下手な言葉は返せないと察知したゆえの沈黙だろう。
「お祖母様は民も知るように派手好きな方でした。特にドレスにはこだわりが強く、様々な柄のレースや布を作らせておいででしたわ」
年嵩の貴族たちの脳裏には遠い日の記憶が甦ったらしい。拝殿のあちこちで溜め息に似た「ああ……」という声が響く。
女王の治世にペテラスの服飾技術は百年進んだと言われていた。問題の多い人ではあったが大きく時代を変えた人でもあるのだ。だから皆「このくらいのマーブル模様はあの時代からあっただろう」と思い込んだわけである。
「晩年のお祖母様は模様染めの布にご執心だったようです。お亡くなりになる直前までお気に入りの職人に新しい技法を研究させておりました。絞り染めのショールやハンカチが衣装室の奥に眠っているという貴婦人も多いでしょう。お祖母様の持ち物は当時の流行の最先端でありましたから」
そこまで告げるとエレクシアラは「さて」とひと呼吸ついた。前提の共有が終わったことをぐるり眺めて確かめる。
「十五年前、お祖母様が贔屓にする職人の中に染物工房の親方がおりました。彼はお祖母様に『マーブル模様の布が欲しい』と頼まれて試行錯誤していたのですが、不運にも品が完成したその日にお祖母様がお隠れになったのです」
先代女王の喪に服したときエレクシアラはまだ四歳の幼子だった。だが幼いなりにあの頃の混乱はよく覚えている。
黒一色に染まる都。心無い数々の言葉。祖母が死ぬと不満を溜め込んでいた貴族たちはエレクシアラを軽んじるようになった。
掌返しは己だけに起こった出来事でもなかった。祖母の寵愛を受けた人物は多かれ少なかれ窮地に陥ったのである。
「十分な報酬を得られなかった親方は新技術で負債を補填しようとしました。しかし喪が明けると派手な柄布は全然見向きされなくなっていたのです」
先代女王への非難が増すほど社交界のドレスは落ち着いたものに変わった。祖母のスタイルは趣味が悪いと追放されてしまったのだ。
かつての流行を支えていた職人たちはどんな気持ちでそれを眺めていたのだろう。想像すると自分の胸まで痛くなる。
「親方は『布を染める』のは諦めました。彼は見抜いていたのです。貴婦人が避けているのはドレスや帽子、アクセサリーがお祖母様に似ることだと。身に着けるもの以外でなら豪奢で珍しい柄はまだまだ重宝されていると」
エレクシアラは右手を挙げて合図した。すると壁際に控えさせた護衛騎士のノイワンが紙筒を持って駆けてくる。
「マーブル紙の特許を認める書状ですわ。発行日は十五年前の七月です」
ノイワンは書状を持って裁判員の席を回った。そこには日付だけではなく、政府に認可された技術が一年以内に開発されたものである旨が記されている。
エレクシアラはオストートゲを睨み据えた。そうして彼がこちらに射た矢を射返した。
「ペテラに誓い、故人の筆跡を得られたのは、殺されたロージア公女のほかはリリーエ嬢だけなのですよね?
恋文が公爵夫人の生前は存在しなかった便箋に書かれており、明確に偽物であるとわかった以上、偽造はリリーエ嬢が主導して行ったとしか思えませんが?」
告げた結論は裁判場をどよめかせる。するとそのどよめきを抑えつけるかのように大きな怒声がこだました。
「作り話だ! その書状こそ偽物だろう!?」
焦りと屈辱の滲む顔でオストートゲは不遜に叫ぶ。「十五年前の王女殿下はたった四歳、たかが染物職人についてそこまで詳しく知るはずがない!」と。
侮辱的な彼の誹りにエレクシアラは暗い怒りを燃え立たせた。
「知るはずがない? そんなわけないでしょう?」
思ったよりも声は冷たく反響する。
思い出したのはエレクシアラが何をしても祖母との同一視をやめない大勢の貴族たち。悪い芽が伸びる前に摘んでしまおうと必死な。
何度も何度も女王の悪行を言い聞かされた。見えない鞭で叩かれ続けた。
それなのに、誰が何を知らないと?
「わたくしは王族の末席に着く者として常に先代女王の治世に責任を感じてきました。あの時代に何が起き、どうすれば危機を防げたのか、今から取れる施策はないか、ずっと考えてきたのです……!
幼い頃の話だろうとわたくしが知るのは当然! アークレイ公、わたくしを見くびらないでいただきたい!」
一喝に空気がびりびり振動する。こんなに喉を嗄らしたのはきっと生まれて初めてだ。
父王が、大貴族らが、瞠目してこちらを見つめる。
ああそうだ。これでいい。誰が彼らの望む殻になど引っ込んでやるものか。
「特許の話は嘘じゃねえ! 俺がその親方だ!」
と、二日前訪ねた工房の主の声が耳に届く。
エレクシアラが傍聴席を振り返ると、そこには恰幅のいい老人と彼の徒弟であるアキオンが寄り添うように立っていた。
危ないから証人にはなりたくないと言っていたのに。もしやアキオンが師を説得してくれたのか。
「その便箋はうちで染めて、こいつの奥さんに売ったのさ。小難しい書類やらロマンチックな恋文やら代筆してるハルエラ・スプリンさんになあ!」
──瞬間、拝殿の天井から黄金の薔薇の花びらが降ってくる。
なんて素晴らしいタイミングだろう。ここで駄目押しのひと太刀を浴びせに戻ってきてくれるとは。
エレクシアラは歓喜に微笑む。
さあもう敵に反撃は不可能だ。そろそろ彼らの牙城を崩し、麗しの紅薔薇に将の首を捧げるとしよう。
「そう、誰が偽造を目論んだかは知れたので、次は誰が実際に手紙を書いたか明らかにする番ですね」
薔薇は高みから降り続ける。道を開けよと説くように。
光に満ちて輪郭の溶けた参拝口に現れたのは無事を祈った代書人。
裁判は今、最高の終幕を迎えんとしていた。




