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ロージア ~悪役霊嬢に聖女の加護を~  作者: けっき
第2章 霊的目覚め
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下手人を追って

 ──そう、やはりわたくしは死んだのだわ。

 ロージアは改めて己の人生が終幕を迎えたことを自覚した。

 しかし奇怪な話である。死ねば普通魂というのは水が大地に染み入るように目には見えない神秘の河へと流れて消えるのではないのか。

 若干透けてはいるものの、他人の部屋で宙に浮かぶロージアの自我は消滅しそうな兆しもなかった。何かの秘術が働いてでもいるかのように。


(神聖魔法など現代にはほとんど残っていないはずだけど……)


 聖女ペテラの直系子孫である王族が受け継ぐものと、ペテラ神殿の大神官が継承する封印以外に公認された神聖術はない。数十年に一度の周期で起きると言われる「聖女の奇跡」も近年は報告されていなかった。

 状況は依然ロージアの理解可能な範疇を超えている。だが今は分析や推理のほかに急がねばならぬことがあった。


(ともかくデデルを追いましょう。まだ遠くへは逃げていないはず)


 せっかく自由に動けそうなのだ。己がどうして殺害されたか真実を明らかにしたかった。死なばもろとも。恥ずべき企みを抱いた者たちをこのままにしておけない。


(それにしてもなぜわたくしは彼女から出てきたのかしら?)


 窓辺から飛び立つ直前、ロージアはちらと揺り椅子のハルエラを振り返った。丸パンをくれた親切な娘は相変わらず心地良さげに寝入っている。

 己の(たお)れる不快な音が彼女の眠りを妨げなくて良かったと思う。

 夜風を捕らえ、ロージアは隣人の家を後にした。




 ***




 幽体の移動速度は(はやぶさ)のごとくだった。秋月の照らす深夜の通りをロージアはぐんぐん飛ぶ。こんな状況でさえなければ煙突渡りや空中遊泳を楽しめたかもしれない。薄いワンピース一枚しか着ていないのに寒くもなく、思ったままに飛行でき、追跡は快調だった。


(いた! あれだわ!)


 デデルはすぐに見つかった。フード付きマントの騎士が駆る馬にロージアもひらり跨る。こちらに気づくかと思ったが、オレンジ髪の裏切り者は「?」と一瞬背後を振り向いただけだった。確かに目が合ったのに彼には見えていないらしい。


(きっと霊感がないのね。わたくしが見えるなら脅かしてやったのに)


 自分を殺した男を間近できつく睨む。肩を小突いてやろうとしても拳は的をすり抜けるだけで攻撃にはならなかったが。

 憑依すれば彼を操れるのではないか。デデルとして異母妹らに接近できるのではないか。そう考えて懸命に身を重ねるけれど上手く行かない。うんうんとロージアが奮闘する間に黒馬はアークレイ家のすぐ近くまで戻っていた。

 不吉にざわめく夜の木立。なぜかわずかに開いた裏門。その隙間から静かにデデルは敷地へ入る。馬を厩舎に返した彼は辺りの様子を窺いつつ広大な庭の片隅に立つ別邸──リリーエの母、カニエ・ツルムの住処へと歩を速めた。


(! やっぱり……!)


 二階建ての慎ましやかな館を見上げ、ロージアは眉根を寄せる。この部屋数十にも満たない家は父がリリーエを引き取った際に彼女とカニエを住ませた古い別邸で、今はカニエが一人だけで使っていた。

 元使用人に与えるには十分すぎるほど豪華だが、小館ゆえにたいして人手を必要としない。夜ともなれば担当メイドの大半が去り、ついで程度の警備しかされないので人目も盗み放題だった。


(リリーエがいても不自然でないし、悪だくみするには持ってこいの場所ね)


 一緒に中に入れるようにロージアはデデルの肩にふわりと掴まる。重さなど微塵も感じていない様子で彼は裏口を押し開いた。するとそこには思った通りの人物が待っていたのだった。


「まあデデル、おかえりなさい。首尾よくやってくださいました?」


 暗い厨房に響いたのは春風が歌うような声。その後すぐに夜着にストールを羽織ったリリーエが調理用の大テーブルから立ち上がった。


「怪我はない? 誰にも見つからなかったでしょうね?」


 異母妹のすぐ脇には湯気の立つカップで暖を取るカニエ。珍しいピンク色の彼女の髪と双眸は闇の中でも目を引いた。

 四十路になっても衰えない容貌とプロポーション。リリーエと同じ甘やかな雰囲気で公爵を誘惑したのだと使用人たちは言う。昨日までロージアはそんな陰口かけらも気に留めていなかった。異母妹が生まれた当時は母ダーダリアも他界済みで、父が不倫したわけではない。跡継ぎもいるのだし恋愛くらい自由だろうと。だが今はこの毒婦には思うところばかりだった。


「ちゃんと物盗りの犯行に見せかけてくれたのよね?」


 そっとデデルに近づいて汚れたフード付きマントを剥ぐとカニエは小さく問いかける。カニエの手でかまどに入れられた証拠品を見やりつつデデルは「もちろん」と応じた。


「適当に棚を引っ繰り返してきましたよ。何も入ってなかったんで臨場感には欠けるかと思いますが、目撃者も一切なしです」


 目を合わせ、カニエ母娘は破顔する。


「うふふふふ、謝礼は弾むわ。これからも何かあればよろしくね」

「デデルは本当に頼もしい騎士ですわ!」


 人が一人死んだというのに三人は悼む素振りすら見せない。悪しき目論見の成功を下劣に喜んでいる。

 なんという恥知らずたちだろう。何がしたくて彼女らはロージアを破滅へと至らせたのだろう。輿入れするロージアに代わってアークレイ家を任せるべく異母妹には知も財も惜しみなく与えてきたし、カニエにも敬意を忘れたことはない。

 本当の家族だと思って接してきた。

 いざというときは互いの後ろ盾になれるように。


「ま、俺もとっくに共犯ですから。──リリーエ様、王太子妃になってからも絶対重用してくださいよ?」


 騎士の軽口にリリーエが「ええ」と頷いた。

 その瞬間、稲妻に打たれたようにロージアはすべて理解した。なぜ異母妹が敢えて庇護者(ロージア)を押しのけたのか。


(この女……! 公爵家次期当主の座では満足できなかったというの!?)


 開いた口が塞がらない。まさかリリーエがそんな大それた考えを持っていたとは。

 アークレイ家を継ぐだけでも相当な地位につけるのに王太子妃とはどうかしている。誰にでも務まる役目と勘違いしているとしか思えない。現王太子(あのスケアクロウ)の補佐として求められるのは何よりも品格だ。リリーエには国を背負えるほどの覚悟とて足りはしないだろう。


「もちろんですわ。王太子妃の腹心に相応しい騎士であるように、これからも励んでください」


 異母妹は既に自分が王宮入りしたように笑う。リリーエがエリクサール狙いだったとすれば彼女の行動は何から何まで納得できた。いかにロージアの存在が目障りだっただろうかも。


(普通に交渉したのでは婚約破棄など不可能だからわたくしの出自に難癖をつけたのだわ……!)


 王太子と同世代で、かつ侯爵家以上の家柄の令嬢はロージアしかいなかった。築き上げた名声と信望も堅固なものだった。

 ロージアが排除された今、王太子妃の席に最も近いのはリリーエだ。昨今の情勢的に諸外国の王侯貴族とエリクサールが結婚するとは考えがたい。たとえ使用人の娘だろうと自動的に彼女が選ばれるはずである。


(もしかして金髪のほうが好みだったから止めなかったの?)


 思い浮かんだ可能性にロージアはかぶりを振った。邪推だと言い聞かせるがあまりにやすやす想像できて頬が引きつる。


「これほど上手く事が運ぶと爽快ですわね。わたくしとエリクサール様の仲が進んだのもデデルとお母様のおかげですわ! お二人が素晴らしい代書人を見つけてきてくださったこと、特に感謝しています」


 代書人──聞き捨てならない言葉にロージアは目を吊り上げた。ではやはり母が御者に宛てたという恋文は偽造されたものなのだ。優れた代書人であれば依頼者の筆跡を真似る程度わけはない。貴族特有の言い回しもお手のものだ。何しろラブレターの代筆だけで食べている者もいるほどだから。


(悔しい! あのときわたくしが手紙を確認できていれば……!)


 なんとしても館に留まり証拠を精査しなければならなかった。初手を誤った己を嘆くがもう遅い。今からでは命さえ取り返せない。

 追い打ちをかけるようにリリーエが高らかに笑う。異母妹は殺した姉が側に浮いているとも知らず、口元に小指を立てて完全勝利を宣言した。


「これからはわたくしが神国ペテラス第一のレディでしてよ! さあ、祝杯を挙げましょう!」


 女王の命令に従ってカニエがワインを、デデルがグラスを用意する。宴など始めようとする三人にロージアはわなわな全身を震わせた。分別を保つ努力はあまり長くは続かなかったが。


「本当に、お父様も協力的で助かりましたわ」


 聞きたくなかったひと言にロージアは胸を凍らせる。

 わかっていた。証拠も出さずに娘を家から追い出したのも、棺となる新居を手配したのもすべてあの人だったのだ。殺意がなかったはずがない。

 わかっていたが、父だけは違うと信じたかったのだ。


(許せない…………)


 完璧主義の父のもと、ロージアは物心つく前から厳しい教育を受けてきた。オストートゲは甘えを許さず、ロージアが泣けば泣くほど要求を過酷にした。

 一度だけ、父がなぜロージアの失敗を許容しないか答えてくれたことがある。あの日の教えは今でも克明に思い出せる。


 ──持てる者の周りには常に奪おうとする者が集まる。だから隙を見せてはならんのだ。


 父は語った。父の親族がどれほど執拗に公爵の地位、名誉、権利、あらゆる金になりそうなものを狙ってきたか。

 父は特に父の姉妹を嫌っていた。公爵家の財産はたとえ服一着でも彼女らに分け与えようとしなかった。


 ──アークレイ家のすべては私と私の後継者だけのもの。ロージア、お前も奪われるな。誰にもお前を(わら)わせたり、軽く扱わせたりするのではない。


 あの日の言葉が、冷えきった父の眼差しが甦る。

 オストートゲはロージアを愛していなかった。それでも父はロージアだけは味方として見てくれた。

 自分以外何も信じていない父。娘でさえ自分自身の延長としか考えていない父。せめてロージアのほうでは彼を愛そうと、のしかかる重荷に耐えて上手く付き合ってきたのに。


(許せない、リリーエがお父様を騙したのだわ……!)


 肩の震えが止まらない。怒りは膨れ上がる一方だ。

 父にとって重要なのはロージアが実子であることだけだった。異母妹は偽の恋文などで父の疑心を引き起こし、二十年間守り続けた細い糸を断ったのだ。


「未来の王太子妃に乾杯!」


 カシャンと響いた硬い音にロージアは面を上げる。

 身体の奥で何かがごうごうと燃えていた。






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