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ロージア ~悪役霊嬢に聖女の加護を~  作者: けっき
第14章 激突、神殿裁判(後)
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偽造証明①

 三角屋根の下の拝殿は大勢の人々で埋め尽くされていた。平常はレプリカの聖女像が祭壇に祀られるだけの広々とした空間だが、今日は裁判場らしく臨時の席がいくつも設けられている。

 ペテラの足元、高座に着くのは裁判長たる大神官。そのすぐ前には木の柵で囲われた証言台がある。左右に陣を分けるのは原告席と被告席。そして七名の神官からなる裁判員が決戦の場を見渡す形で一列に座していた。

 ほかはすべて傍聴席だ。神殿が用意した桟敷(さじき)は瞬く間に埋まり、溢れた者は入口や壁際で立ち見のスペースを確保していた。傍聴人は貴族と平民が半々というところだろうか。到着順の入場だったため彼らは貴賤の別なく隣り合い、他に類を見ない雑多な集団と化している。


「これより神殿裁判を開廷する!」


 正午の鐘の音とともにやや強張った大神官の宣言がなされた。

 被告席──父の隣でその声を聞きながらリリーエは内心だけでほくそ笑む。

 思った通り原告席に腰かけるのはエレクシアラのみである。異母姉の透けた身体はどこにもない。

 今頃は必死に証人を探し回っているのだろう。だがそれは悪手と言わざるを得なかった。内気な姫を一人にしたこと、存分に悔いるといい。


(証拠不足の裁判なんてただの印象勝負ですわよ)


 人前でまともに喋れぬエレクシアラがたどたどしく主張しても裁判員には響くまい。むしろ発言の内容に自信がないのだと思われておしまいだ。そうとわかっているからこそロージアも証人探しを優先したに違いないが。


(先日のパーティーでは多少こましな振舞いをされていたようだけど、今日はてんで駄目ですわね。小鹿のようにふるふる震えていらっしゃるわ)


 リリーエは視線を泳がすエレクシアラを眺めて薄く口角を上げた。

 代書人の証言なしで彼女がどんな主張をするのか楽しみだ。聴衆や裁判員に弱い者いじめだと思われぬようにアークレイ家は反論を控えめにしたほうがいいかもしれない。


「では最初に原告であるエレクシアラ殿下から、故ダーダリア・アークレイのものとされる恋文がアークレイ公爵家による捏造だったとする根拠を挙げてもらおう」

「は、はい」


 セイフェーティンが促すとエレクシアラが立ち上がる。おずおずとしたその態度はリリーエの斜め後ろでふんぞり返るエリクサールとはまったく対照的だった。

 今日は裁判終了後、どちらが次の王として相応(ふさわ)しいかの投票も行われるのを忘れてしまったのかと思う。エリクサールは無能だが、無駄に堂々とすることだけは得意である。そしてどちらかと言わずとも民草の目に映えるのは秘かに善行を積む者ではなく見かけが立派な者だった。

 リリーエは婚約者に「何も発言しなくていいので自信満々で腕を組んでいてください」と頼んである。こちらが彼の不用意な発言で危機に陥る心配はない。更にエリュピオン国王陛下や貴族会議の面々も傍聴席の最前列、被告席に近い位置に固まって布陣させてある。エレクシアラには一つ一つの行動がなんとも取りにくいはずだった。


(王女殿下にはおつらいでしょうね。どうしたって自分を怯ませる相手が目に入ってくるし、有力貴族は誰も自分の味方ではないのだとありあり感じ取れるんですもの)


 エレクシアラが恐怖に耐えているらしいのは暗い瞳から見て取れた。しかしどうやら発言の勇気は持てたようだ。王女はわずか視線を上げると結んでいた口を開く。


「わ……、わたくしは、証拠品である恋文にいくつも疑問を持っております」


 言いながらエレクシアラは自席に広げた手紙に目をやる。彼女がそれを手に取ると、向かい合ったリリーエにも複雑なマーブル柄に染められた便箋の裏がよく見えた。


「まず一つ、二十年も昔の手紙が今になって出てきたことが不思議です。普通こういう物議を醸す書類というのは遺品整理の際に見つかるはずでしょう? それなのに時間が経過しすぎです。きっと最近書かれたに違いありません」


 そこまで言ってエレクシアラはふうと大きく息をつく。緊張のあまり呼吸もままならないらしく、王女は右手で胸を押さえて浅い息継ぎを繰り返した。

 今日の裁判の争点は「王宮広間にてロージアが告発した通り、本当に恋文はオストートゲとリリーエが共謀して偽造したのか」ということである。王女は立証の第一歩として手紙自体の胡散臭さを示すところから始めたわけだ。


「アークレイ家は今の疑問に答えられるか?」


 進行役の大神官が被告席に問いかける。リリーエは父に視線を送り、こくりと小さく頷き合った。

 この程度の質問ならば予測済みだ。小手調べにせよもっと返答しにくい問いを用意すべきだったなと鼻先で笑い飛ばす。真実がどうであれ理路整然と話をできた者のほうに人の心は傾くものだ。


「何も不思議ではございませんな。手紙は妻の部屋から出てきたわけではないので。私のもとに恋文を持ち込んだのは妻の不倫相手である御者の元同僚です。この卑しい男は私に手紙を高額で買い取らせようと企んで価値が上がるのを待っていました。だからロージアと王太子殿下の結婚直前まで隠し持っていたのです。王女殿下、ご納得いただけましたかな?」


 冷たい口調でオストートゲが王女を刺す。高圧的に睨まれてエレクシアラはびくりと肩を震わせた。


「う、疑わしい点は一つではありません。ダーダリア・アークレイ公爵夫人は社交を(いと)う風変わりな女性として有名でした。茶会の誘いに乗らないばかりか断りの返事すら出さず、直筆の手紙を持った人間は聖者の数より少ないとまで囁かれていたと。そんな方の恋文などおかしいではありませんか?」


 言いがかりの範疇を超えぬ追及にリリーエはついウフフと吹き出しそうになってしまう。なんて拙い尋問だろう。いっそ哀れになるほどに。

 こんなものかと落胆すらした。彼女とてロージアに学んできた身だろうにと。

 怖気づきながらも王女は被告席を睨んだが、脅威は微塵も感じられなかった。オストートゲが侮蔑のこもった視線を返す。そして再び鋭く刺す。


「どんな人間も恋とかいうのをしている間は普段と違う行動を取るものではありませんかな? 私にはこの恋文こそダーダリアが本気だった証左としか思えませんが」


 たやすく反論を封じられ、エレクシアラは悔しげに唇を噛んだ。

 証人がいれば彼女も幾分かましな論理を展開できたに違いない。だがいないものは仕方なかった。空回りしつつ時間を稼ぐくらいしか彼女には打てる手もない。間抜けな問いを重ねるほど王太女の座が遠のくとしても。


(道化もいいところですわね。せっかくやる気を出したというのに不運な方。わざわざこんなたくさんの人の目に醜態を焼きつけることになるなんて)


 既に神殿内の空気はエレクシアラへの期待を薄めつつあった。ほとんど表に立たぬ姫だから「実はすごい人なのでは?」と思う気持ちが民には少しあったようだが、二度も難なく攻撃を打ち返される様子を見て「やっぱり先代女王の孫だな」と失望が広がっていく。


「き、聞きたいことならまだあります! 貴族の女性が書いたにしては内容が破廉恥に過ぎるではありませんか! 特にこの『熱い夜を過ごしたい』という一文は、高潔な紅薔薇の母堂が綴ったものだとは思えません!」


 感情準拠の訴えは君主の理知とは程遠かった。喋るほどに墓穴を掘っている自覚はあるのかエレクシアラは「……ですよね?」と語尾をすぼめる。

 王女と目が合った大神官は気まずそうに瞼を伏せた。彼女がどんどん不利な方向へ進んでいるのはセイフェーティンも理解しているらしい。しかし彼にはこの状況を好転させる力はなかった。


「アークレイ公、答えられるか?」


 いざ裁判が始まれば裁判長は交互に意見を出させるしかない。特に大神官のように公正さが求められる人物は。

 俗人ならば王女の言にいちいち頷き、露骨に味方について力添えできたかもしれない。だが聖女の御許でそれは許されぬ行為だった。


「先程と同じ話です。ダーダリアは恋慕のために恥を忘れたのでしょう」


 オストートゲは遠慮もなく王女の疑念を一蹴する。「しかし」と食い下がる彼女に父は嘆息さえついた。


「しかし? まだ何かあるのですかな?」

「……ッ」


 言葉を続けようとしたエレクシアラがハッと身を凍らせる。オストートゲの向けた眼差しだけではなく、周囲の目まで冷たいことに気がついて。

 それでも王女は戯言(ざれごと)じみた発言をやめなかった。彼女は来ない証人のために粘らなければならなかった。


「〝涙とともにパンを食べたことのある者だけが愛の本当の味を知る〟──、たとえ恋慕に狂っていても教養ある女性がこんな間違いをするでしょうか? 正しくは〝愛の本当の味〟ではなく〝人生の本当の味〟です!

 アークレイ公もギエテの詩はご存知でしょう? この一文は誤った知識を持つ平民の代書人が『いかにも貴族女性の書きそうな文』として記述したものとしか考えられないではありませんか!」


 ぜえ、ぜえ、と長台詞を発し終えたエレクシアラが息を切らす。苦しそうに我が身を掻き抱く彼女はそろそろ限界近いように思われた。

 ただでさえ根暗で小心な引きこもりだ。聴衆の前に立つことすら本当は酷い苦痛だろう。

 可哀想だしさっさと楽にしてやるか。慈悲の心でリリーエはオストートゲに合図した。


「妻は平民の愛人に向けてわかりやすく詩句を改変したのでしょうな」


 返答にエレクシアラが絶句する。この問いには多少自信があったのか、さもくだらなさそうに切って捨てられて王女は呆然と立ち尽くした。

 そのうえ彼女は早々とカードを使い果たしたようだ。

 間もなくぽつり、震え声で最後の質問がなされる。


「……ではアークレイ公爵家は、筆跡を真似られる代書人などを雇って恋文を偽造した事実は絶対にないと言うのですね?」


 直接それを聞くということは飾る言葉も尽きたということだろう。父はもう勝利を確信した顔で「ございません。ペテラに誓って」と答えた。

 うつむいたままエレクシアラは顔を上げない。ろくな理論武装もなく一人で戦う困難が身に沁みているようである。

 彼女には理屈のこね方というものを教えてやらなくてはなるまい。証拠品、提出資料の選択から勝負は始まっていたということを。


「次はこちらが手紙を偽造していない論拠を提示してもよろしいですかな? 王女殿下にはひょっとするとご退屈かもしれませんが」


 そう言ってオストートゲが壇上に視線をやると大神官は観念した素振りでそっと頷いた。


「王女殿下にこれ以上尋ねることがないようなら被告に主張を始めてもらう」


 呆気ない勝負だったとリリーエは王女を見やる。

 彼女は最初の質問でこちらを仕留めるべきだった。公爵家の用意した脚本が演じられ始めたら、傍観以外になす術なくなってしまうのだから。






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