公爵家脱出
ロージアが屋敷の管理の一部を担うようになったのは十二歳になった年だ。英才教育にしてもあまりに早すぎたが苦に感じたことはない。人間味の薄い父よりは使用人と関わるほうが好きだったし、己の不足も早い段階で埋められた。ロージアが今のロージアになるためには必要な通り道だったと言えよう。
八年当主の代行をした。それはつまり、公爵家に関して己が知らないことはほぼないということである。
だからこうまでハルエラが見つからないのは「敷地内に秘された場所があるため」としか考えられなかった。
見取り図から漏れたのか、あるいはそもそも記載されなかったのか、いずれにせよ己が見回らなかったところにそれはある。隠し部屋の存在はロージアの中でもうほとんど確定していた。
(建物は天井裏や壁の中までチェックしたから残るは地下よ)
昔一度、例の小館の間取りについて父と話したことがあったのを思い出す。二階建ての別邸はお世辞にも広々しているとは言えないのに地下収納の類がないのだ。数日の宿泊ならともかく生活には不便でないかと。
カニエ母子を小館に住ませると決めたとき、父はロージアの進言を一顧だにしなかった。今その記憶が引っかかる。
もし最初から地下に収納を増やせないのを知っていたのだとしたら?
もう既にそこには別の空間があるのを黙っていたのだとしたら?
(ハルエラは必ずいるわ。だってほかにはわたくしの知らない場所はないのだもの)
虱潰しの総当たり。調べられるのはここが最後だ。
ロージアは上空から一直線にカニエ邸へと舞い降りた。屋根も床も通り抜け、潜った地下の探索を開始する。
土の中は何も見えない暗闇だ。勘に頼って移動しては正しい点検ができない。
ロージアは一度通過した場所にはそうと知れるように黄金の薔薇の花弁を残しておくことにした。それから基礎の柱や石壁を手がかりに、端から端まで一歩ずつ、直線的な螺旋を描いて進んでいく。
何分経過した頃だろうか。ロージアは地中に妙な小空間を発見した。花弁がその場に留まらず、ひらひら落ちていく箇所があるのだ。
深く、深くに何かある。
なんでも擦り抜けるロージアの霊体では単なる闇と土の区別がつけにくい。しかし仄かに光る花びらを舞わせれば進むべき道は知れた。
暗黒の底に墜落していく黄金が穴の深さを教えてくれる。どうやら相当潜る必要がありそうだ。
(広いわね)
薔薇を辿ってロージアは地下空間に降り立った。花弁は発光しているものの灯りとしては心許ない。視界を明るくするために風に舞わせて全体に散らす。すると部屋の中央に、座り込んで天井を見上げる人影が浮かび上がった。
肩まで伸びたまっすぐな髪、少しよれたパフスリーブのシャツ、エプロンにロングスカート──間違いない、この女性は。
「ハルエラ……!」
歓喜に思わず声を上げるが当然彼女には聞こえない。ハルエラは突然降ってきた金の花びらに驚いた様子である。
「せ、聖女様……?」
答えたかったが今すぐに意思疎通が可能な術は持たなかった。とにかく早く彼女をここから出さなければ。
(でもどうしたらいいのかしら? 地下じゃ大風で突破口を開いても崩落の危険が大きい。ハルエラを生き埋めにはできないわ)
ロージアはううんと唸った。五体満足で見つけたはいいが、また別の困難に立ち塞がれてしまうとは。
協力者が不可欠だ。彼女を脱出させるには。
だが表にうじゃうじゃいた騎士の数を考えるとミデルガートに潜入を指示するのは難しいのではと思えた。生身の人間がどういうルートを辿ればここへ着くのかも己にはわかっていない。ハルエラを地上に戻しさえすれば後は聖女の力でなんとかできると思うけれど──。
「……ッ!?」
ギギギ、と、あらぬ音が響いたのはそのときだった。
天井から闇に光が差し込んでくる。最初はか細かったものが、少しずつ幅を増やして。
誰かが出入口を開けたのだ。理解するのに長い時間はかからなかった。
(誰……!?)
ロージアはハルエラを庇って立つ。指一本触れさせぬように。
だが地下に昇降式の階段を下ろし、ランタンを手に現れたのは思いがけない人物だった。
「……あっ! そこにどなたかおられますね? 大丈夫ですか?」
聞き慣れた懐かしい声。少し前までずっと己の側にあった。
ツインテールを揺らしてナナはハルエラの前に屈み込む。弱った身体を抱き起こしながら彼女は早口に捲くし立てた。
「あの、今日の裁判で証言台に立つ予定のハルエラさんで合っていますか? 私はロージア様の乳姉妹でナナというメイドです。ミデルガート卿……ええと、神殿騎士の方々が昨日からずっとあなたを探しているんです。私に上手いことあなたを守りつつ連絡できるといいんですが……。
とりあえず公爵家の人間に見つかるとまずいので、一旦ここを出ませんか? さあ!」
腕を引かれてハルエラは一瞬身をすくませたが、地下でまだ光を放ち続けている花弁を見やって立ち上がった。
ペテラの采配とでも解釈してくれたのだろう。二人はすぐに地上への階段を昇り始める。
ロージアも側にくっついて彼女たちの前衛を務めた。
出口の先に続いていたのは小館の物置部屋。床に蓋をし、棚を戻し、始末が終わるやナナたちはへたり込んだ。
「……すみません、とにかくあなたを見つけるのが先だと思ってこれからどう動こうとか何も考えていないんです。お屋敷の外も公爵様が出られないようにしていて。まだ裁判には間に合うとは思うんですが」
ボーン、ボーン。ちょうどそのとき壁の時計が正午を知らせた。
ハルエラの口元が途端引き締まる。瞳はすぐに行かなければと言っていた。
「いえ、あそこから助けてくださっただけでありがたいです。本当に感謝しています。出られないって門とか全部閉められちゃった感じですか?」
「はい。今日に限ってうちの騎士たちもうろうろしていて」
端的にナナは屋敷の現状を説明した。一番怖いオストートゲの護衛騎士らは主人の守りで不在だが、それ以外の私兵は「鼠一匹出すな」という命に従って公爵邸を守っていると。
「ナナさん、ここからペテラ神殿までってどれくらいかかります?」
「そうですね。馬車でゆっくり向かって三十分というところでしょうか」
返答にハルエラは表情を曇らせた。裁判場となる拝殿までは長い百段階段もある。動くなら今がギリギリだ。
(ミデルはもう着いているわよね)
確認している時間はない。ロージアは騎士を信じて指先に力をこめた。
物置部屋に起こしたのは一陣の風。次の瞬間、辺りには葡萄酒の瓶の割れるガシャンという音がこだました。
「えっ?」
振り向いたナナの顔色が見る間に変わる。
ロージアが木目の床に記す言葉をその目にして。
水と違ってワインの文字はすぐには消えない。乾いてもそこには紅の色素が形を保ち続ける。
「ロージア様……?」
呟きはハルエラにも届いたようだ。二人の双眸がまったく同じに瞠られる。どうやらこのメッセージはすぐに受け入れてもらえそうだ。
『怖い思いをさせてしまってごめんなさい。今からはわたくしがあなたたちを守ります。ただちに裏門へ向かってちょうだい』
ナナが駆け出すのは早かった。弾かれたように彼女はすっくと立ち上がり、ハルエラの手を掴む。その後は全力疾走あるのみだった。
走る、走る。
翻るスカートを追って。
庭を突っ切り、ナナとハルエラは最短コースで裏門に直行した。
どうせこそこそ逃亡するのは難しい。ロージアはミデルガートに気づかせるべく小さな竜巻を生み出した。
小さいとは言え低木を吹き飛ばす威力はある。常ならぬ破壊音を聞き咎め、幾人か家門の騎士が振り返った。
「は!? なんだあれ!?」
「竜巻だ! こっちに来るぞ!」
心の中で庭師と施工業者に詫びつつ竜巻を先行させる。緑の垣根を巻き込みながら暴風は裏門を飲み込んだ。
砕けるレンガ。飛び散る小枝。我先にと逃げる騎士たち。
道は開けた。ナナとハルエラは迷いもせずにひしゃげた鉄柵を跳び越えた。
「ミデル、どこ!?」
ロージアは声高に問う。「ここへ来て! 早く!」と命じればどこかで馬がいなないた。
見れば裏の森の木陰から黒馬が飛び出てくる。馬上の男はナナとハルエラを目視するとすぐさまそちらへ駆け急いだ。
「ナナ! その人が証人か!?」
「そうよ、早く連れていって!」
ぴたりの呼吸で騎士とメイドはハルエラを鞍に引き上げる。ミデルガートはそのままペテラ神殿へと黒馬を疾駆させた。
武装した兵の間を縫って軽やかに馬は走る。止められる者はいなかった。
「お、お前! 今日は誰も出すなと言いつけられているのに!」
と、残されたナナに一斉に騎士が群がってくる。怒った彼らは不躾に彼女を引き倒そうとした。しかしその手は敢えなく閃光に弾かれる。ロージアが以前彼女にかけた保護魔法に。
「うわッ……!」
囲みが緩んだその瞬間、ロージアは突風で彼らを吹き飛ばした。そこにまた新たな蹄の足音が響く。
「このお嬢さんも神殿に連れてきゃいいんだよな!?」
振り返れば騎馬に慣れず、出遅れたらしいガルガートがナナに手を伸ばしていた。ふわりと優しい風に二人を包み込み、相乗りを手伝いながらロージアは「ええ!」と答える。
さすがはミデルガートである。足を用意してくれていただけではなく兄まで加勢に連れているとは。短い間によくよく備えてくれたものだ。
「っしゃ行くぞ! しっかり掴まってろよ!」
「は、はい! ありがとうございます!?」
証人奪還は成功だ。後は判決に間に合わせるだけ。
ロージアは遠い丘の上に聳えるペテラ神殿を見上げた。
聖女が決着を見守る場所を。




