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ロージア ~悪役霊嬢に聖女の加護を~  作者: けっき
第13章 激突、神殿裁判(中)
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荊の記憶

 今すぐ殺さないほうがいい。裁判前に死体遺棄など大きな動きはできないし、敷地内で腐臭騒ぎが起きても人に怪しまれる。始末するなら勝訴の後。世間の注目を公爵家から逸らしてからが最適だ。

 そう述べた次女の案を採用し、オストートゲは住み慣れた我が家に帰宅した。馬車を降り、闇にランタンの灯をかざす。最初に足を向けたのは本邸ではなく妾の暮らす小館だった。ここが「荷物」の保管には一番向いた場所だから。


「お帰りなさいませ、旦那様! お嬢様!」


 数少ないカニエ付きのメイドたちが慌てて外に飛び出てくる。主人を迎え、馬車を仰いだ彼女らは「何かお運びするものが?」と問いかけた。


「ええ、そうよ。外出ついでにお母様に買ってきた贈り物が積んであるの」


 リリーエが「運んでちょうだい」と命じるとメイドたちは座席に満載された包みを丁重に持ち出していく。アクセサリーや帽子や靴、ドレスの入った大箱小箱を。


「あなたたちは二階の部屋で中身を全部出してくれる? アクセサリー類はテーブルに並べて、ドレスはマネキンに着せてお母様にお見せするのよ。準備できたら声をかけてくれるかしら? お父様とお母様にはわたくしがお茶をお淹れしておくから」


 こうして体よく使用人を上階に追い払うと次女はこちらに目配せした。後は任せたと告げる碧眼。オストートゲは護衛騎士を見やって顎で合図する。

 長くオストートゲに仕える従順な二人の男は声も発さず馬車へと上がった。一見空っぽになったそこから一番大きな「荷物」が運び出されてくる。大きな布でぐるぐる巻かれ、全身すっぽり隠された娘が。


「行くぞ」


 女を担いだ騎士を伴いオストートゲは小館の通路を進んだ。忌々しい記憶に満ちた一室へと。


(もう一度ここを訪れる日が来ようとはな)


 軋む床板。淀む暗がり。調度品は変わっても染みついた印象は変わらない。見ているだけでむかむかと吐き気がしてくる。

 別邸を建てたのは父だった。オストートゲは幼い頃から幾度となく父の手に引きずられてここへ来た。小館の地下貯蔵庫は昇降式の階段でしか降りられず、仕置きのために閉じ込めるのに大いに便利だったからだ。

 父が本当に貯蔵庫を貯蔵庫として使用していたことがあるのかは知らない。本邸から距離があり、少人数しか出入りせず、悲鳴の漏れぬ地下室で何をするかはおそらく情勢次第だろう。己がこの小館に引き取ったばかりのリリーエとカニエを住まわせたのも、処分が必要になった際それをスムーズに行うためにほかならなかった。


「ふうん、私たちの館にこんな地下があるなんてね……」


 胡散臭いものを見る目でカニエはこちらを一瞥する。物置部屋の角を占める棚の下から出現した地下貯蔵庫の入口はいかにもいわくありげであり、彼女を不審がらせるに十分だった。

 しかし分を弁えたカニエは文句までは口にしない。生活空間に物騒な部屋があった理由には勘付いたろうが冷めた目つきをするだけだ。


「まあ、素敵な地下室ですわね。ここなら裁判が終わるまでハルエラさんにも大人しくしてもらえそうですわ!」


 早く早くとリリーエにせっつかれ、階段を下りた騎士たちが貯蔵庫に荷物を下ろす。そそくさと彼らが地上に戻ってくるとオストートゲは階段梯子を巻き揚げさせて入口の蓋をそっと閉じた。

 これでいい。目を覚ましてもどうにもならない。次に光を見るときは今生に別れを告げるときだ。


「明後日までお前が証人を見張っていろ」


 命令に小館の女主人がこくりと頷く。娘から説明を受け、既にカニエは己の果たすべき役割を理解していた。「わたくしもしばらく泊まり込みますわ!」とリリーエがカニエの手を取って微笑む。

 用事が済むとオストートゲは足早に小館を後にした。

 思ったよりも疲れている。早く自室で休みたい。

 消耗の原因は外で終えてきた大仕事のせいではなく、三十年ぶりに目にした地下貯蔵庫のせいだった。

 暗闇にまで入ってはいかなかったが眩暈がする。いつの間にか指先も冷えて小さく震えていた。

 刺激されれば古傷が疼く。

 オストートゲは深く静かに嘆息した。

 漆黒の夜に浮かぶ巨大な公爵邸を見上げて。




 ***




 オストートゲはアークレイ家の次男として生を受けた。きょうだいはほかに兄が一人、姉が二人、弟が一人。両親は子供たちに義務の遂行だけを求めた。そして彼らの基準を満たさなかった者には容赦なく罰を与えた。

 貴族の次子というのは悲惨だ。長子に何かあった場合の代理として、継げる見込みもない家の厳しい後継者教育をこなさねばならない。小規模なものではあるが家門騎士団を有する高位貴族ゆえ、アークレイ家では当主には男がなることが多かった。そのためか兄の代役候補としてともに机についたのは次男のオストートゲだった。

 子供時代の一つ差は重い。四つ差ともなると優劣は測り知れない。けれども父母はそんな年の差を考慮せず、兄と己にほぼ同列の歩みを求めた。兄は何をやらせてもすぐに成果を出せる人で、傍らでオストートゲが送った日々は陰惨なものだった。


「明日までに失敗の原因を考えろ。答えられるまで出さないからな」


 突き倒された地下貯蔵庫で天井のか細い光が絶えるのを見やる。冷え切った暗い場所。初めて閉じ込められた日は恐怖しか感じなかった。

 何も置いていないからネズミさえ通らない。暖を取れるものもない。自分がこんな目に遭う理由は一つ。後継者候補として完璧でないせいだった。

 罰は一日で済まない場合も少なくない。闇の中、殴られた痛みに一人で呻くときオストートゲはせめて己が長男ならばと兄を呪った。

 比べられるから劣っていると思われるのだ。四つも年下の自分が兄と同等の課題をこなしているだけで本来褒められるべきなのに。立場が逆なら、自分が年長者であれば、こんな冷たい部屋にいるのはきっと兄のほうだった。


「あら嫌だ、出来損ないがまたお父様に叱りつけられていたの?」

「先生方もお気の毒だわ。こうも生徒の飲み込みが悪くてはねえ?」


 目障りだったのは兄だけではない。頻繁にオストートゲを嘲笑する姉たちも鬱陶しかった。

 法的な継承権は有しても花嫁修業以上のことをさせてもらえない姉たちは「わたくしたちを差し置いて高度な教育を受ける弟」に嫉妬していた。少しの短所も二人は喜んであげつらう。ほかに憂さ晴らしの方法などないとでも言うように。

 オストートゲは無視で応じた。自分より序列の低い女などの相手をしている暇はなかった。努力すれども兄がいる限り手に入るものはなかったが。


「素晴らしい。今度の試験もとても良い成績でしたね」

「はい、先生。ありがとうございます」


 不思議と兄に関する記憶はほとんどない。覚えているのは家庭教師の賛辞を受けて淡白に礼を述べる姿だけだ。

 兄は隣席で学ぶ弟に関心を持たなかった。出来が良くても悪くてもいない者として扱う。実際兄にはその程度の存在であったのだろう。いずれ第二候補者という立場を失い、公爵家から去るしかできない人間など。

 憎たらしかった。殺してやりたいと思っていた。

 お前などより私のほうが優れた公爵になれるのに。そうしたら今度は私がお前を徹底して無視してやるのにと。


「見てください、オストートゲ兄様! 珍しい蝶を捕まえたんです!」


 オストートゲに好意を寄せてくるのは弟だけだった。世話してやった覚えもないのに年が近いというだけで彼はこちらに懐いてくる。使用人とも仲が良く、雰囲気が少しロージアに似ていた。

 だが結局オストートゲが彼と親しむことはなかった。己は姉たちとは違う。自分を強く見せるために誰かと徒党を組む必要は感じなかった。

 それに彼が何かの役に立つ気もしない。弟は家庭内で最も地位が低いうえになんの権限も持たないのだ。纏わりつく蠅に似た彼をオストートゲは軽んじ、無視した。格下と付き合って自分の品格まで下がるのはごめんだった。


 季節は移る。死神がアークレイ家の門を叩いたのは兄が成人を迎える直前のことだった。

 流行り病は呆気なく兄の息の根を止めた。優秀な跡取り息子を喪って父母は深く落胆した。

 比される相手はもういない。内心で手を叩いて喜んだ。これで少しは重んじられるか。そう気を緩めたのも束の間、オストートゲは事態があまり好転していないことを知った。父も母ももはや永久に失態を犯さぬ兄を理想化し、以前にも増してオストートゲを半端な才の持ち主だと非難するようになったのだ。


「どうしてお前は完璧じゃないんだ!」


 怒号は腹にまで響く。耳を突き破る勢いで。

 地下貯蔵庫に押し込められると大抵無事では済まなかった。


「しっかりやれ! アークレイ家を継ぐのなら!」


 鞭で打たれるたびにどこかが麻痺していく。もっと完璧にならない限りこの地獄は続くのだとようやくぼんやり理解した。

 それでも一つだけ良かったと言えることがある。将来確実に公爵家は自分のものになるということ。

 いずれすべてが己の意のままになるのだと思えば痛みに耐えられた。

 誰にも責めさせなどしない。誰にも見下させもしない。

 必ず私が鞭を振るう側に立ってやる。完璧な当主として。


 時はまた過ぎていく。父母が死んだのはオストートゲが十八になる年だった。あと二十年は苦しめられるものと思い込んでいたからオストートゲは事故の一報に思わず歓声を上げかけた。

 運がいい。馬車の車軸が腐りやすくなるように時々汚水をかけていたのに誰も気づかなかったのだ。二人揃っていなくなってくれるとはなんという幸運だ。これでもう自分より「上」はいない。


「オストートゲ、姉様の言うことが聞けないの!?」

「わたくしたちはお前のためを思って言ってやっているのに!」


 親族内で結婚していた姉たちはどうにか夫や義理の父母をオストートゲの後見人にしたがったが、すべて阻止すると悔しげに大暴れして帰っていった。あの女たちの吠え声をこんな爽快な気分で聞くのは初めてだ。

 弟の処遇も一人で決められた。彼は昔からオストートゲが罰を受けるたびに「大丈夫ですか?」と案じてくるので信用ならない。弱ったところを知る人間は当主には不要なのだ。

 使用人と手を組んで弟がオストートゲを陥れる可能性もあった。不穏分子は早々に排除しなくてはならなかった。


「兄様……! 僕は兄様からアークレイ家を奪おうなど思い上がった野望を持ったことはありません! どうかお考え直しください!」


 喚く弟が神殿に引きずられていくのを見送る。訴えに耳を貸す気はさらさらなかった。口ではなんとでも言えるのだから。

 爵位があるから彼は神殿騎士団に入るだろう。しかし支度金の大半は団長の手に渡る段取りになっている。身を守る武器と防具を得られねば高位貴族とてただでは済まない。

 半年後には待っていた訃報が届いた。これで本当に身辺が落ち着いた。


 生活は上々だった。オストートゲは当主として十全に役目を果たした。

 その頃新しく始めたのは結婚相手探しである。伴侶不在の当主では完璧とは言えなかったから。

 安寧の日々を守るには妻は慎重に選ばねばならない。美しくないのは駄目、頭や品が悪すぎるのもお断りだ。とは言えあまりにお利口で口やかましいのも願い下げだった。

 最終的に選んだのは落ち目の伯爵家の三女。社交より孤独を愛する変わり者だが容姿は誰から見ても良かった。女友達がいないから夫の悪口を言いふらす心配もない。

 彼女は「私の可処分時間すべて部屋で一人にさせてくださるなら」と言った。それでこちらも頷いた。

 気難しい青年に育ったオストートゲにとって最低限の関わりだけを持てばいい相手以外はすべて嫌悪の対象である。ダーダリアはその点申し分なかった。彼女はこちらに興味を向けもしなかったし、自分の義務は不足なく果たした。邪魔にならない人間とならオストートゲはやっていけた。姉のように蔑まず、弟のように憐れまず、公爵家に相応しい当主として己に接する者とならば。


 崩壊はいつ始まっていたのだろう。順調に思えた夫婦生活は想定外の問題によって破綻した。

 子供が生まれないのである。やるべきことはやっているのにいつまでも。

 二年、三年と経つにつれて姉たちはまた調子づくようになった。「次の代はうちの息子でどうかしら?」「養子に欲しければ遠慮なく言ってちょうだいね?」尋ねる手紙が届くたびにビリビリに破いて捨てる。

 ようやく生まれた赤子が女児と知れたとき、彼女らは口さがなくこう言った。


「あらあら! アークレイ家の跡取りは息子でなくてはならないのに!」

「お父様もお母様もご存命ならきっと残念がられたわ!」


 嘲笑が耳にこびりつく。どうしてお前は完璧じゃないんだと忘れかけていた罵倒が脳裏にこだました。

 うるさい、うるさい。私は上手くやっている。

 当主になってから今まで誰にも文句は言わせなかった。


「精力が弱いと女しか生まれないとか言うわよねえ」

「お前の努力不足ではないの、オストートゲ?」


 迷信だとはわかっていた。けれど聞き捨てられなかった。

 嫡男を産ませられればいいのだろう。黙らせてやる。今度こそ。

 オストートゲは産後間もないダーダリアにさっそく第二子を求めた。しかし彼女はこの要望をすげなく拒絶したのだった。


「産褥で苦しむ女にたわけたことを」


 瞳に映った侮蔑に怯む。それは母の冷たい眼差しに似ていた。お前は駄目ねと小さく嘆息するときの。


「欲が余っているのなら使用人でも抱けばどうです? この際ですから子を宿すのにこれほど長くかかった理由がどちらにあるのか明らかにしようではありませんか」


 妻はオストートゲへの不満を露わにする。妊娠はまだかと何度もせっついたことを恨んでいる風だった。

 己と妻のどちらが悪いか。オストートゲの中で答えは決まっていた。

 応じたのは確証が欲しかったからだ。己は完璧な当主のはずだと。

 自信は敢えなく砕かれた。

 何回寝てもカニエが孕む兆しはなかった。

 問題があるのは己の子種らしい。そうと知れてもオストートゲにはどうしていいかわからなかった。

 こんな欠陥を抱えたままで完璧と言えるのか?

 そこらの侍従や庭師でさえも一人は息子を持っているのに。

 だんだんとオストートゲは女を抱くとき用をなせなくなっていった。技巧を尽くしてどうにか間をもたせてくれるカニエはともかくダーダリアとは話にならない。そのうち妻は床に臥せって他界した。


「私、子供ができたようです」


 次の妻を迎えても弱点を晒すだけだと打ちひしがれていた矢先、カニエからそんな申告がもたらされる。

 もし生まれたのが男なら正式にアークレイ家の嫡男として迎え入れていい。期待をこめて待ったけれど第二子もまた娘だった。

 一人でいい。一人でいいから男児が生まれてくれればいいのに。

 焦燥に耐えかねて片端から家のメイドに手をつける。だがその頃にはろくに()たなくなっていた。出口の見えない暗闇でオストートゲはもがいていた。


「ロージアは小さいのに優秀ねえ」

「男の子だったら言うことなしだったのにねえ」


 それでもどうにか自尊心を保てたのは長女が稀な才女だったからだろう。


「伯母様方、あまり信心深いほうではございませんのね。この国で最も偉大な功績を残した聖者は女性なのに、性別の何が重要ですの?」


 厭味を零せば姉たちは幼い娘にやり込められた。間もなく二人は表立っては何も言ってこなくなった。


「確かにアークレイ家では基本的に家を継ぐのは男とされておりますが、女が当主になった際も家門の権威を保てなかったというわけではないでしょう?」


 ロージアの問いかけに姉のどちらも真っ当に答えられた(ためし)がない。

 だからと言ってオストートゲの溜飲が下がることもなかったが。

 本当は自分の力で黙らせてやりたかったのだ。姉たちも、父や母の幻聴も。

 跡継ぎさえ男なら。今からでも男児を養育できたなら。だから──。


(聖女の涙さえ手に入れば私はちゃんと『完璧』でいられる)


 星の瞬く夜空を見上げる。

 あと一日半。証人を隠し通せば己の勝ちだ。

 負けるわけにはいかなかった。

 アークレイ家の当主として。






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