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ロージア ~悪役霊嬢に聖女の加護を~  作者: けっき
第12章 激突、神殿裁判(前)
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善女と悪女

 長々と話し込んだせいで空はやや薄暗くなりかけていた。今は灯りが必要なほどではないが、家に着く頃には随分視界が悪くなっていそうだ。


(兵士さんをつけてもらって良かった)


 平常は大勢の人で賑わう参道が静まり返っているのを見やってハルエラはひとりごちる。閉門時刻を過ぎたからか参拝客はただの一人も残っておらず、訪れ慣れた神殿は別世界のようだった。

 何が起きるわけでもない。しかし人の気配のなさはどこか不安を掻き立てる。自宅までたいした距離もないけれど護衛が二人もいてくれるのはありがたく、素直に心強かった。


「冬だし暗くなるのが本当早いなあ」

「暮れ切る前に行って戻ってこなきゃだな」


 年若い民間兵らが紅を濃くする西空を眺めてぼやく。強面揃いの兵の中でもセイフェーティンはなるべく柔和な男を選んでくれたらしい。「お手数おかけしてすみません」とハルエラが頭を下げると二人はにこやかに首を振った。


「いやいや、お気になさらずッス」

「大神官様の命令なんで!」


 民間兵というのは正式な騎士ではない。食い詰めた貧民である彼らには安い槍でさえまともに支給されないと聞く。しかし今ハルエラの前後を守る彼らは丈夫そうな剣を帯び、とても頼もしく映った。

 数年前より民間兵の地位が向上しつつあるのは事実らしい。貧すれば真摯に義務を果たそうとする意欲も減るが、この二人には平民のお()りなんて適当に済ませればいいやという雑念はまったく感じられなかった。

 大神官との関係が十分良好なのに違いない。これならば安心して送り迎えを任せられそうである。


「家って近所なんスよね?」

「日が沈んだら寒くなるし急ぎましょ!」


 朗らかに促され、白影石の階段を下り始める。兵士たちは「護衛任務なんて初めてでドキドキするね」と興奮気味だ。

 いつもならこういう仕事は神殿騎士が担うという。貴族を呼ばなかったのはハルエラが平民だからというだけではないだろう。貴族には貴族同士の連帯があり、外部に話が漏れやすいのだ。王女と合流する前に公爵家と繋がり深い者の耳に入れまいとする対策なのは明らかだった。

 配慮が行き届いている。改めてハルエラは二日後の裁判における己の役目の重要性を自覚した。生き証人はきっと本当に自分しかいないのだ。


(明後日まで絶対元気でいなくっちゃ)


 決意とともにぎゅっと拳を握り締めた。役に立ちたい。ロージアやブーンのために。

 足にも自然と力がこもる。カツカツと硬い音を響かせてハルエラは白影石の階段を跳ねた。

 一段飛ばしでずんずん進む。口も開かず、駆け足で。長い百段階段だけれど今日は麓に着くまであっという間だった。

 道はここから三叉路に入る。東に折れれば貧民たちの長屋街、西に折れれば旅人の宿と歓楽街、まっすぐ南に進めば中央広場である。ハルエラの家は南方だから危ない道は通らずに帰れた。


(遅くなりすぎたかなあ。もうほとんど人通りがないや)


 遠くに(まば)らに見える人影は帰り道を急いでいた。

 ちらと見上げた夕暮れ空は冷ややかに赤い。妙に不吉に思えるほど。

 後方で甲高い悲鳴が上がったのはそのときだった。



「──お助けください!」



 逼迫した女の声に南通りを歩み出していた足を止める。声の主を振り返ってハルエラはぎょっとした。駆けてきた娘が裸足に下着姿だったからだ。


「ど、どうなさったんですか!?」


 まだ日が残っているとは言えこの寒空の下で尋常なことではない。ともかくハルエラは助けを求める少女を受け止め震える肩を抱いてやり、スリップからはみ出した鎖骨と白い腕を隠した。


「へ、変な人たちに連れて行かれそうになって。あ、あっちにまだ姉が」


 かじかむ指で少女は歓楽街をさす。その瞬間、護衛の民間兵たちは「!」と目を見合わせた。

 何か事件が起きている。ほかにも被害者がいるのなら急いで救出しなければ。


「行ってください! 私はこの子と待っているので!」


 ハルエラが促すと兵士らは「すみません!」「安全なとこにいてください!」と駆け出した。

 少女の声が後を追う。「毛皮の帽子の男たちです!」と。

 足音はすぐに遠ざかった。どきどきと心臓が強く速い波を打つ。少女の姉が無事に見つかればいいのだが。


「……っ」


 恐怖のためか腕の中の華奢な身体がおののいた。乱れた金髪は容易に彼女の味わった非道な辛苦を想起させる。

 どうにか少女を温めようとハルエラは周囲一帯を見回した。気温はこれからますます下がる。頼めば毛布一枚くらい貸してくれる家があるだろう。


「あ、あの、近くに父が馬車を停めているんです。応援も呼びたいし、一緒に来てはいただけませんか」


 と、動き出そうとしたハルエラをほっそりとした指が止めた。潤んだ碧眼に見上げられ、今更ながら彼女がとても愛らしい顔立ちをしているのに気づく。

 悪党に狙われるわけだ。きっと姉だという人も同様に美しいのだろう。


「お父様が同行なさっていたんですね。だったら急いで行きましょう。まずはあなたの無事をお伝えしなくては!」


 ハルエラは少女の白い手を握る。そうして彼女の案内のまま南通りの片隅に停まる中型馬車に近づいた。

 少女は商家の娘なのだろうか。頑丈そうだが華美な装飾のない馬車は少なくとも貴族のものには見えなかった。大きな屋敷の自家用馬車には家紋の飾りが掲げられているのが一般的だから。


「お嬢様! そ、その恰好は一体!?」


 こちらに気づいた御者が目玉を剥いて尋ねる。すると中にも声が聞こえたか車の扉がギイと開いた。


「お父様!」


 泣きじゃくりながら少女が出てきた男に飛びつく。帽子を被った中年紳士は娘を胸に抱き止めて何が起きたのかを問うた。


「──そうだったか、そんなことがあったのだな」

「お父様、どうかお早くお姉様を!」

「わかっている。すぐ人を出そう。お前は馬車に入っていなさい」


 段取りはついたらしい。説明を受けるや否や紳士は人を呼びつける。

 商家の用心棒だろうか。騎士らしい男二人が指示を受けているのを見やってハルエラはほっと息をついた。これでひとまずこちらの少女は安全だ。


「あの、良ければあなたも馬車に乗ってください。さっきの方々が戻ってくるのを待たなくてはならないでしょう?」


 と、車に上がった彼女がこちらを振り返る。おずおずと手を差し伸べられ、ハルエラはしばし逡巡した。

 車内にいたら兵士が自分を見つけにくいのではなかろうか。だがじきに日も落ちる。一人で路傍に突っ立っているのは明らかに危険だった。ここは彼女の言う通り、しばらく中で待たせてもらうほうがいい。


「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」


 踏台(ステップ)を踏んで車に上がる。余計な音を立てないように行儀良く扉を閉めた。──閉めたはずの扉が後ろで開いたのはその直後のことだった。


「え?」


 視界の端でバチバチバチッと金の閃光が弾ける。一瞬何が起きたかわからずハルエラはぱちくり瞬きした。

 転がった山高帽子。右手を庇う中年紳士。どうして彼まで馬車に乗り込んできたのだろう? 今の今まで部下の騎士たちと話し込んでいたはずなのに。


「あら、保護の魔法でもかけられていたのかしら? だけど一回限りみたいね。ほらお父様ご覧になって、もう何も起こりませんわ」


 台詞に反応する前に何かが首を圧迫した。

 紅色の太いリボン。先程まで少女の金髪を束ねていた。それが今、強く縄を引くようにして白い手に握られている。


「……ッ!」


 首を絞められているのだと理解するのに数秒の時を要した。暴れようとしたけれど男の腕に取り押さえられる。

 なぜ? どうして?

 浮かぶ疑問に答える言葉は頭上から降ってきた。


「殺すと今は目立ちますわね。ひとまず屋敷に連れ帰って隠しましょう」


 思い出す。アークレイ家の当主と次女が金髪碧眼の持ち主であること。今日その二人が参拝時間ぎりぎりに証拠品提出に来ていたこと。

 しかしすべては手遅れだった。気絶なんてしたくないのにハルエラの意識はどんどん薄らいでいく。


(……神官、様……、ロージアさ…………)


 力の抜けた四肢を投げ出し、ハルエラは床に倒れ伏した。底知れぬ闇の中、座席下の収納部から靴やドレスを取り出すような音が響く。


「後はここに『荷物』を片付けてしまえばもう外からはわかりませんわ。城に保護される前でラッキーでしたわね」


 沈んでいく。どこまでも深く。

 ハルエラに知覚できるものはもう何もなかった。





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