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ロージア ~悪役霊嬢に聖女の加護を~  作者: けっき
第9章 冬の都に薔薇は咲く
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冬の奇跡

 薔薇というのは冬に咲く花ではない。春に南域で開花を始め、夏一斉に固い蕾をほころばせる。庭師の剪定(せんてい)が上手ければ秋にもちらほら花を咲かせることはあった。いわゆる「返り咲き」というものだ。

 本来の薔薇の盛りではないためか秋につく蕾は少ない。楽しめる花は初夏の半分もないだろう。ゆえに秋より寒い冬、一輪でも薔薇が花びらを開かせれば人々は吉兆であると喜んだ。

 冬枯れた景色の中にぽつりと一つ赤く咲く薔薇。それはあたかも銀色の髪と真紅の瞳を持つという聖女ペテラを思わせたから。


「仕込みは上手く行きましたか?」


 ぽそりと剣に問いかけてくるミデルガートにロージアは声だけで「ええ」と応じる。ばっちり予定通りだと告げれば騎士は薄く口角を上げた。


「それは良かった。お手伝いできなくて心苦しく思っていたので」

「気にしないで。出番が来たらあなたにも働いてもらうから。さあ、しばらく話しかけないほうがいいわよ。猊下に聞こえるとまずいわ」

「そうします。そろそろ出てくる頃でしょうしね」


 騎士は今、百段階段の麓に馬車を用意してセイフェーティンとガルガートを待っている。ロージアも彼の武器に忍んで出発に備えていた。

 都中に冬薔薇が咲いている──今朝方もたらされた報告の真相を確かめるべく城下の視察を取り決めた大神官にこっそりついていくために。


「待たせたな。では行こう」


 ケープを羽織ったセイフェーティンは間もなく姿を現した。彼の護衛も剣の柄に手を回し、万全の状態で主人を守る。

 いかなるときも封印維持に務める大神官が神殿を離れる機会はほぼないと言っていい。重要な式典でもない限り歴代聖者はずっと本殿の奥にいた。

 例外は聖女の奇跡が始まったときだけだ。大神官は祝福の到来を宣言せねばならないから、この時期だけは奇跡か否かの判定のための外出が増えるのだ。


「どうぞ。奥にお座りください」

「ああ、ありがとう」


 ミデルガートが扉を開くとセイフェーティンが質素な黒い馬車に乗り込む。後に続いたガルガートがバタン! と乱雑に閉扉(へいひ)した。すると中から「静かに動けないのか君は!」「十分ゆっくりやっただろ!」と睦まじげな応酬が響く。

 ともあれ御者台に腰かけたミデルガートは馬に鞭をくれて出発した。一行の目に満開の赤が映ったのはそのすぐ後のことだった。


「これはまた、壮観だな……」


 ぽつりと騎士の声が漏れる。文字通りに街は紅薔薇で溢れていた。

 街路、公園、そのほかあらゆる薔薇の木が立つ場所に、蔓が絡まるアーチや壁に、大輪の花が咲き誇る。千や二千はくだらない。聖女の加護の象徴である薔薇はそこらに植わっているから数えれば万も超えるだろう。

 のろのろと進む馬車の脇では人々が奇跡に笑顔を咲かせている。うっとりと紅薔薇を眺め、花びらについた朝露を掬い、あちらでは肌に塗り、こちらでは口に含み、それぞれに忙しそうだ。

 ロージアはにまりと微笑んだ。これほどわかりやすい奇跡の示され方もない。セイフェーティンはお告げが本物と考えるしかないはずだった。

 予測に違わず大神官が窓を開け、ミデルガートに進路変更を指示する。彼が向かえと命じたのはアークレイ家の屋敷の前を通るコース。オストートゲにも同じ奇跡が舞い降りたのか確認したいのだと知れた。


(いい感じね。神聖力をたっぷり使っただけあるわ)


 広い王都に季節外れの薔薇をふんだんに咲かせるのは、困難ではなかったがなかなか厄介な仕事だった。消耗するという意味ではない。この街には薔薇が多すぎて一晩ではとても回りきれないからである。

 だがロージアはペテラの古い結界を利用することで問題を上手く解決した。古代魔法の障壁は魔獣の侵入を阻む代わりに内部の魔力も通さない。冬薔薇の開花を導く奇跡も然り。境界内に一斉に同一現象を起こすだけなら一度きりの祈りで済んだ。

 薔薇の植わる地を一箇所一箇所回っていては見落としも出るだろう。それでロージアは先に全部を咲かせてからアークレイ家の薔薇だけ枯らしにいったのだ。誰が見てもこの家にはペテラが訪ねてこなかったように。


(今頃お父様は憤慨しておいででしょうね。どうしてうちの花だけが咲かずにほかでは咲くのだと)


 どんな権威や権力を有していても奇跡を自在にはできない。大神官もこれで父との付き合いを取り止めてくれるだろう。聖域に属する彼には薔薇の開花の有無がより深刻に響くはずだから。

 悠々とした気分でロージアは祝福の街を進んでいった。そんな心地はすぐに吹き飛ぶこととなったが。


「えっ?」


 最初に上から降ってきたのはミデルガートの動揺した声だった。任務遂行中の彼が内心を表に出すなど珍しい。何が起きたのだろうかとロージアも周囲の様子を一瞥する。

 ミデルガートの御す馬車は公爵家の塀の隣を走っていた。レンガの壁と細い鉄柵のすぐ横を。その奥にあるはずのない大群の赤を見つけ、ロージアは「は?」と目を瞠る。


(な、なぜなの!? 確かにここの薔薇だけは処分しておいたのに)


 信仰の厚さを仄めかすために貴族の庭には公園などより遥かに多く薔薇が植わるのが普通だった。アークレイ家も例外でなく、薔薇園は外から一番よく見える位置に計算して造られている。

 その庭園に枯らしたはずの真っ赤な薔薇がいくつもいくつも咲いているのだ。ロージアの受けた衝撃は大きかった。


(これでは猊下にわたくしの意図が伝わらないわ……!)


 視線を馬車のほうへと向ければ窓を開いたセイフェーティンが神妙な顔で公爵家を見やっている。彼の傍らから身を乗り出したガルガートも「あれっ? 咲いてね?」と瞬きを繰り返した。そのうち馬車はアークレイ家を通りすぎ、どんどん遠ざかってしまう。


「何か変です。あなただけでも戻って調べてきたほうが」


 後ろの二人が顔を引っ込めたと同時、ミデルガートが小声で言った。考えるまでもなくロージアは「ええ」と頷く。騎士の剣から抜け出すと、ロージアはすぐに来た道を引き返した。

 このままでは大神官を味方につける計画が台無しだ。一体庭師はどうやって冬薔薇を咲かせたのだろう?

 疑問の答えはその後間もなく判明した。


「こっちこっち、こっそりな……!」


 空高く浮かび、見下ろしたのはアークレイ家の全景だった。裏門に駆け急ぐ子供らに気づいてロージアは首を傾げる。近くに降りて見てみれば一団は以前己が家に招いた少年少女たちだった。


「待って、待って、落っことしちゃう!」


 今はもう公爵家に彼らをもてなす者はいないのにどうして先を争うようにしているのだろう。中にはエプロンをたくし上げ、ごっそり何かを抱えた風の女児もいる。


(なるほどね)


 すぐピンと来てロージアは裏門に先回りした。思った通り、来客に気づいた門番がそそくさと子供たちを敷地に入れる。


「はい! 買い取って!」


 差し出されたのはどこかで摘んできたと思しき紅薔薇だった。門番が銅貨を放ると生傷だらけの小さな手が一斉に伸ばされる。


「ええ? これだけ?」

「もう十分集まったからな。これ以上は持ってきてもパンのひとかけらだってやらないぞ」

「なんでよ、ケチ!」

「ほかの奴は銀貨もらったって聞いたぞ!?」

「せっかく遠くまで取りにいったのに!」

「お前らが持ってきすぎなんだよ! わかったらとっとと散れ!」


 怒声とともに剣が抜かれ、子供たちに向けられた。ペテラの奇跡の運搬者は「ひゃっ!」「きゃあ!」と口々に悲鳴を上げて逃げていく。

 門番は鬱陶しげに門を閉ざすと庭師を呼び止め、籠いっぱいの紅薔薇を彼に押しつけた。後は見ずともどうなるか簡単に推測できた。老齢の庭師は力なく薔薇園へと歩いていく。新しい花々を枝に固定するために。


(午前のうちにここまで集めているなんて、お父様たちを舐めていたわね)


 額を抑えて嘆息した。おそらく朝の早い段階で気づいて対策したのだろう。アークレイ家だけ恩寵を賜らなかったと噂になってしまう前に。

 ならばとロージアは今一度祝福を授け直すことにした。

 より強固に、もっとわかりやすい形で。






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