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ロージア ~悪役霊嬢に聖女の加護を~  作者: けっき
第8章 見落とされた芽
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真実を知る者

 悩める者が神殿を目指す理由は明白だ。ペテラの徒たる神官たちには人々を癒し、導くという使命がある。誰にも言えぬ辛苦を吐き出したいときに、薄い壁越しに話し相手を務めてくれる彼らのもとへ民はこそりと出向くのだ。

 ハルエラが地区の小神殿ではなくペテラ神殿の総本山を選んだのは匿名性を考慮してのことだろう。普段付き合いのある神官には顔を見せずとも相談に来たのが誰かわかってしまう場合がある。つまり彼女の悩み事は顔見知りには打ち明けられない類のものということだった。


(やっぱり『導きの間』へ行くのね)


 ロージアは微振動する景色をぐるりと一望する。

 境内へ続く百段階段を上りきるとハルエラは参拝もそこそこに木立の間の細い道へと入っていった。騎士たちの練武場とは逆方向、導きの間と呼ばれる小堂は天突く大樹の陰に隠れてひっそり佇む。

 この建物には二つの扉が南北に別れてついている。北側は神官用の出入口、南側は相談者用の出入口。中央を壁と格子に隔たれた対話室で両者は出会い、話が終わればまたそれぞれ入った扉から出ていくのだ。間違っても互いに顔を合わせることがないように。

 さっそくハルエラは区切られた小部屋の一つに入室した。丸椅子に腰をかけ、彼女は格子窓の向こうに神官が来るのを待つ。

 窓と言っても目隠しに布張りされたそれは壁と同義だった。声は通すが姿は見せない。せいぜい自分の話し相手の性別がわかる程度だ。

 しばらくすると足音が近づいてきてキイと扉の開閉する音がした。担当者が着いたらしい。膝の上で拳を固めてハルエラが息を飲む。しかし本当に心臓が止まる思いをしたのはロージアのほうだった。


「待たせたな」


 響いた声に瞠目する。聞き覚えのある男のそれ。淡々と低く冷静な。


(げ、猊下……!?)


 声の主はセイフェーティンらしかった。椅子を引く音で着席を知る。役職や名を名乗られはしなかった。基本的には神官側も匿名で応対するから当然だ。

 ロージアは一瞬ハルエラのシャツのボタンから抜け出すと床に潜って壁を越え、神官の後ろ姿を確かめた。氷の色の長い髪。どうやら本当に彼で間違いないようだ。


(大神官でも本当にこういう仕事をするのね……)


 うっかり振り返られる前に再び床を伝ってハルエラのもとに戻る。ボタンの中に身を隠すとロージアは緊張しつつ彼女ら二人を見守った。

 何事もないと思うがこの胸騒ぎはなんだろう。漠然とした不安感になんだか息まで詰まってくる。身体がないからそんなもの全部錯覚なのに。


「ここで話したことは誰にも知られない。遠慮なくなんでも言うといい」


 落ち着かないロージアをよそに「導き」が開始される。促されたハルエラはおずおずと例の新聞を取り出した。


「あの、アークレイ家の公女に関する記事を読んだことがおありでしょうか? ご存知なければまずこちらをご一読いただきたいのですが……」


 折り畳んだ切り抜きをハルエラは格子の下に滑り込ませる。お布施や護符をやり取りするための細い隙間はたやすく記事を飲み込んだ。

 あんなものを見せてハルエラはどうしようというのだろう。

 嫌な感じが更に膨らむ。


「……この記事か。私も一応知っている。一体これがどうしたのだ?」


 セイフェーティンはわずかに声を強張らせて信者に問うた。オストートゲと繋がっている彼にしてみれば触れられたくない話題なのだと思われる。平静に接してはいるが、ロージアにはその小さな動揺が伝わった。


「実はそこに書かれた話に気がかりな点があるんです」


 言ってしばらくハルエラは黙り込む。次の言葉を探しているのか告げることそのものをまだ迷っているのか二の句はなかなか発されない。

 しかしやがて彼女が前を向く気配がした。喉元のボタンからではどんな顔をしているかまで窺うことはできなかったが。


「あの、本当に、信じてもらえるかわからないのですが……」


 そうしてハルエラは打ち明けた。新聞記事を読んだ日から彼女を苛み続けた深い苦しみを。


「公女様が追放される原因となった恋文が、私が依頼で書いたものと酷似しているんです」


 飛び出した発言に数秒思考が停止した。ロージアは「は?」と凍りつく。

 セイフェーティンも反応は似たものだった。完全に虚を衝かれ、なんの言葉も発さない。

 一体全体どういうことだ? 代書人は確かに始末されたのに彼女が恋文を書いたとは。

 驚き狼狽しているとハルエラが詳細を話し始めた。曰く、依頼者は亡き父の友人で文書作成を生業にする男だったという。彼は難しい案件が入ると頻繁にハルエラのもとへ持ち込んでいたそうだ。


「守秘義務もありますし、代書人は下請けに頼むなんてしないのが普通ですが、このときは恋文の代筆なのに字が似ない、助けてほしいと頼まれて」


 ハルエラは言う。彼に乞われて筆跡を真似、恋文を(したた)めたと。「できるなら熱い夜を過ごしたい? 貴族の女性がそんなことを言いますかね?」と内容に驚嘆しながら書いたので細部までよく覚えていると。


「ブーンさんは私がラブレターを納品してすぐお亡くなりになりました。この騒動を知るまでは単に不幸な事故と考えていたんです。でも……」


 彼女は何度も出版元を訪ねようとしたらしい。しかしそれは危険な行為だと断念したそうだった。


「もしブーンさんが暴漢に襲われたことと公女様の追放に関係があるのなら、ブーンさんに恋文代筆を頼んだ人はブーンさんが書いたものだと思い込んで口封じしたはずです。黙っていれば私はきっと無事にやっていけるのでしょう。だけどこの一通のせいで何人も犠牲になったのに──」


 語る声が小さく震える。

 ハルエラは強く、強く拳を握りしめた。


「お導きください、神官様! 亡き人のために私にできることは何か、どうか教えてほしいのです!」


 悲痛な叫びのその後で小部屋はしんと静まり返る。

 ロージアは絶句した。思いも寄らない人物の思いも寄らない関わりに。

 一刻も早くこの場からハルエラを連れ出さねばならない。大神官は公爵家側の人間だ。突然現れたこの密告者を見逃してくれるはずがなかった。


(でもどうしたら? ハルエラは逃げなきゃいけない状況だと全然わかっていないのに……!)


 突風でセイフェーティンを倒れさせても無意味だろう。ハルエラが大神官を介抱するべく駆け寄るだけだ。

 しかしボタンに潜んだままでは到底彼女を守れない。仮に神聖力を満たしてシャツを聖衣に変えたところでハルエラには戦う意思も力量もないのだ。


(危害を加えられそうになったタイミングで私も飛び出すしかないわ。霊体を見られるのは厄介だけど、ハルエラを守らなきゃ……!)


 ロージアはいつ壁の向こうからセイフェーティンが神聖力を放ってくるかと身構えた。今すぐには彼も手は出さないかもしれないが、油断はできない。何しろ既にブーンは殺されているのだ。

 だが待てど暮らせど大神官は何もしてこなかった。沈黙したきり言葉もなく、焦れたハルエラが「あの」と声をかけて初めて重い言葉が返ってくる。


「──誰にも喋るな。どんな親しい人間にも。そうしなければ命が危うい」


 端的な命令。けれど確かに発言者の身を案じた。

 セイフェーティンは格子の下から新聞記事を返してくる。張りつめた指先の硬直がひと目でわかる性急さで。


「ここに来るまでに話を漏らした相手はいるか?」


 突き刺すような声に問われ、ハルエラは首を振った。


「い、いえ、誰にも」

「それならこのまま帰りたまえ。私も君がどこの誰かとは聞かない。いいか? なんでもない顔をして、何も起きていないように、君の日常に帰るんだ」


 今度はハルエラが言葉を失う。きっと彼女はもっと違う「導き」を期待していたに違いない。


「ですが神官様……!」


 食い下がる密告者をセイフェーティンは説き伏せた。


「とにかく今はやめなさい。公爵家を追及するには市民の立場では弱すぎる。そう思うから君もここへ来たのだろう?」


 強く諭されハルエラは黙り込んだ。「でも」となお悲壮に訴える彼女の声にふうと小さな溜め息が漏れる。


「……もしこの件について抱えきれなくなったときは再び私を訪ねるといい。ペテラスの大神官としてなんとか君を保護しよう。けれどしばらくは大人しく沈黙を保ってくれるね? 軽率に動けば君という証人は永久に喪われるんだ」


 自分の話し相手が誰だったか突然知らされたハルエラは驚いて息を止めた。顔を上げ、彼女は布張りの格子を凝視する。


「あっ、えっ、大神官様──」


 呼びかけは椅子の脚が床を引っ掻く物音に遮断された。セイフェーティンが壁向こうで立ち上がったようである。


「君にできるのは生き延びることだ。気をつけて帰りなさい」


 彼はそのまま導きの間を立ち去った。残されたハルエラは丸椅子に腰かけたまま呆然と扉の閉まる音を聞く。

 逡巡の後ロージアはシャツのボタンから抜け出した。ハルエラには使用人にかけたのと同じ防御の(まじな)いをかけ、セイフェーティンの後を追う。

 大神官が密告者を尾行させるのかしないのか、オストートゲに急報を入れるのか入れないのか、彼の立場や思惑を知るまたとないチャンスだった。







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