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ロージア ~悪役霊嬢に聖女の加護を~  作者: けっき
第1章 薔薇の命日
3/63

紅薔薇の零落

 災禍は突然訪れた。ロージアがカップとソーサーをテーブルに戻したとき、ノックもなしに入ってきたのは父オストートゲ・アークレイだった。


「ロージア」


 何か異様な雰囲気だ。父は寡黙で高圧的な男だが礼節を欠く真似はしない。実の娘が相手でも砕けた言葉は使わないし、ロージアにもまた高位貴族として完璧な振舞いだけを求めてきた。その父が部屋の主の意も問わず、半ば勝手に踏み込んできたのである。ロージアは大いに困惑した。


「お父様? どうなさったのです?」


 瞬きしながら尋ねるも問いかけに返事はない。父はただ引き連れてきた青い顔のメイドらに顎で小さく合図を送る。


「失礼します。お召し物を替えさせていただきます」


 わけのわからないままに立ち上がらされ、膝掛けが床に落ちた。ロージアは手早く組み立てられていく衝立(ついたて)の向こう側へと連れられる。五人がかりで秋用ドレスを脱がされて、何言う間もなく下着姿にさせられた。

 肌寒いのを堪えてロージアは着替えを待つ。だが次に渡されたのは、どこの罪人が着るのかと苦言したくなる襟なしの薄っぺらいワンピースだった。


「……ふざけているの? わたくしこういう冗談は嫌いなのだけど」


 メイドたちは皆沈痛に顔を伏せる。誰も口を開こうとせず、ロージアと目を合わせようとする者もいない。


「ちょっと、ロージア様がお尋ねなのよ?」


 ナナが叱っても重い雰囲気に変化はなかった。唯一ロージアのすぐ側にいた娘だけが弱々しく唇を震えさせる。


「私たちはあなたにこのような服を着せたくありません。お願いです。どうかご自身でお着替えになってください」

「…………」


 一体どういうことなのだろう。王宮入りを見据えてより上質な衣装を着ろと言うのなら理解できるがさっぱり意図がわからない。仮装パーティーへの招待でもなかろうし、何がしたいのか理解不能だ。


「お父様のご命令なの?」


 この問いにはこくこくと複数の頷きが返る。なら拒むべきではないのだろう。ロージアは嘆息し、粗末なワンピースの袖に腕を通した。


「これでいい?」


 着替えが終わるとすぐさま無言で衝立が片付けられる。父はまだドアの脇に陣取っていて、冷たいブルートパーズの眼でロージアを睨み据えていた。

 その奥からちょこりとこちらを覗くのは父と同じく金髪碧眼の異母妹(いもうと)──リリーエ・アークレイ。彼女はロージアと視線が合うといつも通りに愛らしく微笑んだ。


「大丈夫ですわ。後のことはすべてこのリリーエにお任せください。公爵家に悪いようにはいたしませんから!」


 訳知り顔の異母妹にロージアは目を吊り上げる。直感的に彼女が一枚噛んでいるのだと察した。リリーエは白百合の精と言われても違和感ないほど可憐な少女であるけれど、容姿だけの娘でないのは知っている。

 だが妙だった。彼女にせよ父にせよ、ロージアにみすぼらしい格好をさせる理由などないはずなのに。


「驚かないで聞いてくださいましね」


 案じるような間を置いてリリーエがそう切り出す。小さな口に告げられたのは、ロージアには到底信じられない言葉だった。


「ダーダリア・アークレイ、つまりあなたの亡き母君の不貞が発覚したのです。そして調査の結果、ロージア・アークレイはお父様の実子でないと見なされたわけですわ」

「……なっ!?」


 なんという戯言(たわごと)を。あまりのことにロージアは立ち尽くした。

 死者には反論できないからと好き放題に言ってくれるではないか。


「お母様の不貞ですって? 馬鹿なことを言わないで! あなた公爵夫人の死後の名誉を汚す気なの?」

「いいえ、わたくしは事実を申し上げているまでです。ねえお父様?」


 リリーエは上目遣いでオストートゲの顔を見上げた。父は冷徹な表情のまま腕組みしており、ロージアを庇いもしない。

 だんだんとこの異常事態が理解できてくる。父はリリーエの話すでたらめを真実だと思って行動しているのだ。だから公爵家の財産であるドレスを返却もさせたし、メイドたちにはロージアを「お嬢様」と呼ばせないのだ。


「……ッ納得がいきません! お母様はわたくしが幼い頃に亡くなったのに、今になってどんな証拠が見つかったと言うんですの!?」


 ロージアは沈黙を保つ父に叫んだ。オストートゲは温度のない瞳をこちらに向け、北風に似た声で答える。


「ダーダリアが当時の御者に宛てた恋文が出てきた。私の子でない疑惑のあるお前を王家に輿入れさせるわけにいかない」


 譲る気のない拒絶の意思に血の気が引いた。この人の中では決定事項なのだ。それを悟ると足元が酷くぐらついた。


「ロージア様!」


 メイドである前に付き合いの深い友人であるナナが肩を支えてくれる。だが彼女の温もりは長く感じていられなかった。


「邪魔しないように押さえておけ」


 オストートゲが命じるやメイドの群れがナナを引き剥がす。せめて彼女まで理不尽な目に遭わないようにロージアも無為な抵抗はしなかった。


「その恋文、どこから出てきたものですの? 御者なら随分入れ替わって一番古い者だって二十年は勤めていないはずでしょう?」

「少し前に昔の御者が届けてきたのをカニエが保管していたのだ。買い取りを要求されたので金を渡したがどうするべきかと相談された」


 カニエ・ツルム。リリーエの母。疑わしすぎる出所にロージアは唇を噛む。


「わたくしにも検証をさせてください」

「ならん。この家の者ではないお前に証拠品は渡せん」

「ですがわたくしは当事者です! 決定をただ受け入れるなどできません!」

「お前の納得などどうでもいい。問題なのは今後のアークレイ家だけだ」


 出て行けと、短い命令が下される。

 辺りはしんと静まり返った。オストートゲがロージアの腕を掴んでも誰一人止めもしない。


「……お母様のご実家はなんと?」

「不義の子など視界にも入れたくないと。頼っても門前払いにされるだろう。二十歳まで育てたよしみだ。城下に家の一軒くらいは用意してやる」


 父は本気でロージアを追放する気でいるらしい。すぐ側で見守るリリーエも「お姉様の意見をもっと尊重すべきでは?」とは言ってくれそうになかった。

 異母妹はニコニコと笑っている。他人の悲劇を心から喜ぶ顔で。


「……ッ!」


 連行される罪人同然にロージアは父の手で屋敷の裏口に引きずられた。働く使用人たちの奇異の目に晒されながら通用口から押し出される。

 室内履きのままだった靴が庭土で汚れた瞬間、己を己たらしめていた何かが音を立てて崩れ落ちた。

 完璧な公女。誰よりも国母に相応(ふさわ)しい女。それが自分だったのに。


「裏門に停めてある馬車に乗れ。お前の家まで連れて行ってくれる」


 肩を強く突き飛ばされた。ほかにどうしようもなく、ロージアは森の木陰に埋もれた門へと歩き出す。


(嘘でしょう……?)


 夢なら早く醒めてほしい。

 本当にこのまま行かねばならないのか。

 二十年間より良き公女であるために生きてきたこの自分が。


「おお、なんて姿なのだ、ロージア」


 名を呼ばれ、ロージアはハッと振り向いた。こんなところで会うはずのない男の声に驚いて。

 使用人通用口である裏門は華やかな表門に比して目立たず簡素だ。隣接する狩場の森は薄暗いし、一国の王太子が用もないのに現れる場所ではない。

 だがエリクサールはそこにいた。どっしりとした石柱の陰で、黒いマントで装束を隠し、誰かを待っていたかのように。


「エリクサール様……」


 美しい青年が微笑みかけてくれたことにロージアは感激した。今日公爵家で起きることはきっと知らされていたろうに、まさか彼が自ら会いにきてくれるとは。


「そなたがそのような貧民の服を着せられているとはな……」


 気の毒そうにエリクサールは薄紫の双眸を伏せる。聖女ペテラの直系であることを示す銀髪も心なしか柔らかい輝きを放って見えた。


(もしかしてわたくしを助けてくださるの?)


 一瞬期待が膨らんだ。エリクサールとは家柄の釣り合いを見て婚約しただけの仲だけれど、ある程度の信頼はされているはずだったから。優秀な妹王女に比べれば美点に欠ける男だが、根はそう悪い人間でもなかったのかもしれないと。──だが。


「くくっ」


 堪える様子もなく漏らされた笑い声にロージアの思考は停止した。

 信じがたくて高貴な男の顔をまじまじ見つめてしまう。

 今笑った?

 わたくしを見て?


「いつも偉そうに小言を垂れるそなたがどのように失脚するか、これは一見に値するぞと思ったが期待以上だ。いや、いいものを見せてもらった。こそこそ忍んできた甲斐がある。城下まではあの馬車で向かうのか? ならばそなたの元婚約者として見送りに立たせてもらおう」


 エリクサールはニヤニヤと品定めの目で小さな馬車を一瞥した。気まずげに御者が帽子を被り直して顔を逸らす。安い黒塗りの古ぼけたそれはお世辞にも公爵令嬢を乗せるような代物とは言えなかった。


「ははは、神国ペテラスの紅薔薇が廃棄寸前の馬車でなあ!」


 王太子はまだくつくつと一人で肩を震わせている。

 美点に欠けた男と評したのは間違いだったかもしれない。品性下劣で最悪な顔だけ男だ。


「そなたが輝く金髪の持ち主なら庇ってやっても良かったのだが。紅髪などに生まれたのが運の尽きだったと思え。余にはどうにもその色を美しいと思えんのだ」


 ロージアが公女として、王太子の婚約者として研鑽してきた一切には触れもせず、エリクサールは清々したと言わんばかりに別れの手を振る。

 あまりにも腹が立ち、全身の血が煮え(たぎ)り、どうやって馬車に乗ったのか、どの道をどう走ったのか、その後の記憶は途切れている。






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