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ロージア ~悪役霊嬢に聖女の加護を~  作者: けっき
第7章 潜入、ペテラ神殿(後)
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主を決めた日

 人間の一生なんてちっぽけなものである。しかしちっぽけだからこそ他人に踏みにじられたくない。ほかの誰かを踏みにじりたくも。

 夢はなかった。恋したことも。たいした欲も生き甲斐もなく、それでも息のしやすいところで生きたいという願望はあったのだろう。ミデルガートが職を求めて旅に出たのは成人した春のこと。家の手伝いは苦でなかったが、正当に家業を継いだ長兄が三男坊(ミデルガート)と比較されて気まずそうに苦笑する様を見るのはもう嫌になっていたから。

 幼い頃から利発だと言われてきた。冷めているとも子供らしくない奴だとも。

 だが誰の評価もどうでも良かった。自前の船を持つ商家であれ、三男として生まれたのでは結婚や相続の順番が回る可能性はほとんどない。結局は家の外でもやっていけるかどうかだ。

 ミデルガートは早くから騎士として身を立てる準備をしていた。子供時代がいつ終わりを迎えるのかは明らかだったし、良家の屋敷で働くなら剣術だけでなく礼儀作法も習得しておくべきで、やることは山ほどあった。

 それだけのことで賢い奴だと褒められた。しっかり将来を見据えていると。同じく家を出た次兄は棒切れを振り回す以外の備えはしていなかった。だから多分、余計に居心地悪く感じたのだと思う。


「本当に行っちまうの? ミデル君が家継いだほうが儲かるよ」


 こそこそと引き留めてくる父の補佐役を振り切ってミデルガートは王都を目指した。生まれ育った湾港都市にも仕事はないではなかったが、ごろつきの吹き溜まりである傭兵団で隊商の護衛につくより退職金や年金の出る貴族の屋敷で雇われたい。

 次兄もそう言って就職先を決めたはずなのに、性に合わなかったのか知らぬ間に神殿に鞍替えしていた。

 主人選びで己は失敗したくない。ミデルガートは慎重に騎士を求める家々を訪ねて回った。

 子爵家に男爵家、伯爵家の門戸まで叩いてみたが、ここだと思える職場にはなかなか巡り会えなかった。大抵の家の主人は横柄で、ミデルガートが「私は家風に合わないかと」と辞退すると憤慨して館から追い立てた。平民の分際で生意気だ、ということらしい。

 少し大きな家になると執事や家門の騎士団長が採用を担当し、主家は顔すら見せなかった。こういうところは既得権益を守ろうと新人いびりが横行する。その兆候は高圧的な面接の際から感じ取れた。実力で黙らせる自信はあったが面倒臭さが勝ってやはり辞退した。

 しょうもない人間を見すぎると可もなく不可もない屋敷が素晴らしい城に思えてくる。何度か「もうここでいいか」と妥協したくなったけれど、一生を捧げる可能性のある奉公先だ。適当に決めて痛い目に遭うのはごめんだった。


「うちじゃ満足できないかね? だったらアークレイ家に行ってみるといい。成人したての公女様が護衛騎士を探しているんだ。紹介状を書いてあげよう」


 ここに決めるかどうするか最後まで悩んだ子爵家で、貴族にしては人のいい主人にそう勧められた。「駄目だったらこちらに戻ってくればいいさ」とまで言ってもらい、ミデルガートは公爵家に足を運んでみることにした。

 なんでもそこのご令嬢は実力と人柄を重視して自分の騎士を採用したいと考えているらしい。高位貴族の戯れか、はたまた真剣な求人か。前者だろうなと察しはついた。未知の存在に大きな期待を持てるほどミデルガートは楽観的になれなかった。世の中には「出自は問わない」と言っておいて家柄や血筋に難癖をつける深刻な忘れん坊もいるのだから。


「いらっしゃい。遠路はるばるよく来たわね」


 紅の豊かな髪。焼けていない白い肌。いかにも貴族の娘らしく優雅な所作で挨拶する、それが己の初めて目にしたロージアだった。


 アークレイ家の採用試験は変わっていた。ミデルガートには家門の騎士団の寮内に仮の住まいが与えられ、制服から何からすべて支給された。

 一週間の試用期間を経た後に雇う雇わない、勤めたい勤めたくないの判断をするらしい。その間の給料は支払うから安心せよと説明される。実技試験なら何度か受けたがこういう形式は初めてだ。試験後にこちらの意思を問うことをはっきり明示されたのも。

 真新しい青いコートに袖を通すとなんだか妙な心地がした。迎え入れるかもわからない平民にここまで用意するものだろうか? ミデルガートは平静を保つように心がけ、ともあれ最初の数日を過ごした。

 本物の護衛騎士になったと思って取り組めというのがこの試験で出された唯一の課題だ。

 護衛騎士とは主人を最も側で守り、時には秘密の指令もこなす懐刀のことである。腕前や忍耐力以外にも従順さや口の堅さなど問われる資質は数多い。

 初日は家門の騎士たちの合同訓練に参加した。公女を警護できたのは彼女が庭を散歩する短い間だけだった。

 二日目も訓練の時間が長く取られており、護衛の仕事は少なかった。けれど親しくなった騎士からロージアの評判や、今まで公女が不採用にした志願者について聞きかじることができた。

 メイドに無体な真似をして即日失格となった者、盗みを働いて捕まった者、何かあるとすぐ剣を抜く者、公女に色目を使う者、聞いて呆れる話ばかりだ。一週間残れた者は皆紳士的であったという。有益な情報だった。

 三日目からは本邸に入れてもらえるようになった。食堂と執務室の行き来に限られてはいたが、公爵家の富と権勢を知るには廊下を歩けば十分だった。

 四日目、ついに護衛騎士らしい一日が始まった。公女がどこへ向かうときも影のごとくついて回り、周辺に危険がないか気を配る。アークレイ家の敷地を出ることはなかったから構える必要もなかったが、これが大きな山であるのは薄々勘付きだしていた。


「あなた言葉遣いも立ち振舞いもいいわね。家業が関係しているの?」

「お褒めにあずかりありがとうございます。仰る通り、実家では貴族の方とも取引がありました。待ち時間にご子息の遊び相手を務めるのは我々兄弟の役目でしたね」


 粛々と質問に応じつつ、ロージアが一週間もかけて志願者を審査する、その理由を整理する。

 筋金入りの詐欺師でもなければ猫を被り続けるのは困難だ。どうしたって二、三日でぼろが出る。手癖の悪い者ならば隙を見て食器の一つもくすねるだろう。ふらふら女に寄っていく者がいてもおかしくない。

 善人だろうと同じ話だ。環境に慣れれば慣れるほど気は緩む。任務を忘れて雑談に(いそ)しむような者たちは概して騎士には向かないだろう。


(隙を与えるのが上手いな。いい人材を求めているのは本当らしい)


 ミデルガートは注意散漫になることなく警護を続けた。まだほんの十五歳の、自分と同い年の公女の。


「どうして家門の騎士団から護衛を選ばないのですか?」


 一つだけ気になって尋ねるとロージアはふふ、と愉快そうに笑う。こちらを見やる黄昏色の瞳には鮮烈で強い光が満ちていた。


「合格できたら教えてあげるわ」


 そうして四日目が過ぎた。五日目も、六日目も、試験の打ち切りは告げられない。落ちたとしても紳士は名乗れそうだった。

 七日目──試験最終日。ミデルガートはこの日ロージア・アークレイという人を知った。


「公女さま、公女さま!」

「こっちきて、うまくできてんのか見てよ!」


 本邸以外にも庭にいくつか立っている公爵家の小さな館。そのうちの一つにわらわらと集まったのはみすぼらしい格好の貧民の子供らだった。

 貴族が慈善の一環として生活や教育の支援を行うのは珍しくない。ただ家に彼らを招いてやる者がいるとは思わなかった。たとえ別館であるにせよ。


「ああ、いいわね。皆よく書けているわ。もう少し頑張ったらおやつの時間にしましょうね」


 ロージアは時々こうして子供たちに文字を教えているらしい。机ばかりか床のあちこちでペンがくるくる踊っている。インクで絨毯が汚れないか、花瓶や絵皿が割れないか、ミデルガートは別の警戒もしなければならなかった。

 子供は苦手だ。そしてこんな場はもっと苦手だ。

 読み書きと計算はあらゆる勉学の基本である。だから貴族は良かれと思って教えたがる。しかしミデルガートにはこの種のずれた施しがどうしても好きになれなかった。

 通おうと思えば通える公学校に彼らの足が向かぬ理由を考えたことがあるのだろうか。勉強する時間を削って彼らがせねばならないことを。

 貧民の暮らしに文字が入り込むことはまずない。労働と報酬を求めて商港に集まる子供に学ぶ気はないか問うたことはあるけれど、答えはいつも否だった。

 覚えても使わないから忘れるのだと彼らは言う。より良い職に繋がるほどは学びの時間を取れないし、上の人々の真似をしたら仲間外れにされてしまうと。


「やった! どんなおかしが食えるの?」

「あまいやつ? やわらかいやつ?」

「あたし黒っぽいクッキーがすき!」

「おれは白くてまるいの!」


 ロージアを囲む子供らも知識の習得に関心はなさそうだった。己の取り分を増やすべく公女に媚びるのに熱中して文字を写す手も止まっている。そのうちもっと露骨な者が早く食べたい、勉強は飽きたと騒ぎだした。


「あらまあ、それじゃあ一旦休憩ね」


 乱雑に扱われ、ぐちゃぐちゃになった紙束を伸ばしていた公女の手が動きを止める。彼女はにこやかに彼らの意見に迎合した。

 何を笑っているのだろう。それなりに賢い女と思っていたロージアの評価が下がる。形ばかりの指導で何かやった気になっているなら底が浅いと言わざるを得なかった。

 それとも彼女にとってはこれも試験の一つなのか。十人の貧民を十度招けば才能を秘めた誰かが一人二人見つかるものだ。その子供らに金をやり、適切な教育機関に預ければ貧困から抜け出させてやれる。籠から振るい落とされた者に救済はないけれど。

 いずれにせよこれは偽善だと感じた。彼らの人生を良くしたいならやり方が中途半端だし、少数の前途ある者しか救う気がないのなら皆にいい顔をしないでほしい。菓子の甘さで誤魔化さずに。

 長兄の苦笑いがふと甦る。ミデルガートが降りたことで籠の中に残った兄は上手くやれているのだろうか。一人だけ成功者になるのではなく、一家全員で笑えるようになる道を、自分はちゃんと選択できていたのだろうか。


「ナナ、厨房からマドレーヌを持ってきて。お茶の用意もお願いね」

「はい、ロージア様!」


 パタパタと専任メイドが部屋を出る。ロージアはミデルガートに手招きして「待っている間この子たちに何か話をしてくれない?」と頼んだ。

 意図があっての指示だろう。だがもう己には公爵家がそう魅力的な職場には思えなくなっていた。

 探し回ってもついていきたいと思う人に巡り会える日は来ないのかも。

 人間など誰も同じだ。自分のことか目先のことしか頭にない。籠の網目から零れ落ちていく小さきものなど全然見えていないのだ。

 こんな試験には受からなくても構わなかった。紹介状を書いた子爵の迷惑にならない程度に好きにやろう。そう断じ、ミデルガートは「わかりました」と頷いた。


「──昔々、ある国に美人で金持ちの贅沢好きなお姫様がいたそうです」


 公女を囲む子供たちの前に立つ。語るのは得意でないからよく知るお伽話を選んだ。幼子でも楽しんで聞けそうな。

 寓話の姫は順風満帆の人生を歩んでいたが、数々の裏切りに遭って凋落する。美貌は衰え、困窮し、泥水を啜るまでになるものの、高貴な暮らしをしていたおかげで宝石や絵画が本物かどうか見分ける鑑定眼を持っていた。そのことに気づいた弱小商団の若者が姫を雇って大成功する。窮地に自分を救ってくれるのは身につけた技術だけ、という教訓話だ。

 子供らに「だからもっと真面目に学べ」と説教したわけではない。どちらかと言えばこれはロージアに「やるならそこまでやらせなければ意味がない」と説いたのだった。

 教師も雇わず、課題も出さず、血肉になるまで見守るつもりがあるのかと。視線をやっても公女はやはり微笑むばかりであったけれど。


「さよーならー!」


 たらふく腹を満たした貧民の子供らは結局ほとんど字の練習をしないまま帰っていった。ロージアとともに彼らを見送った裏門でミデルガートはふうと大きく嘆息する。


「……差し出がましいことを申し上げるかもしれませんが、あまり意味のない活動だと思いますよ」


 つい刺々しくなった言葉に公女は怒気も動揺も見せなかった。


「意味ならあるわ。手土産にペンとインクとマーブル紙を持たせたし、やる気のある子は次に来たとき練習した字を見せてくれるはずでしょう?」


 わかっていないロージアに不快感がぐんと増す。


「明日の朝まで売らずにいる子がはたして何人いるでしょうね」


 反論すれば公女は「そうね」と肩をすくめた。


「確かに彼らが求めているのは文字ではなくて金銭や食べ物のほうよ。だけど学びに来たという建前があればまだ卑屈にならずに済むわ。頭を下げてお金をください、パンをくださいと口にするのは自尊心が傷つくじゃない? 貧しく生まれついたことは別に彼らのせいではないのに」


 思わぬ返答に目を瞠る。施す側の貴族のくせに、ロージアはさも当然という顔で貧民の心に言及してみせた。彼らにもプライドがあるという事実に。

 ミデルガートはこの段になってようやく己の思い違いに気づく。ロージアは初めから子供たちに勉強を「やらせる」つもりはなかったし、彼らが文字習得以前の環境に置かれているのを理解していたのだと。


「……申し訳ありません。正直自己満足の慈善かと誤解しておりました」


 率直に詫びると公女は「あら、そうなの?」と尋ね返す。


「だって教えたところで彼らは忘れてしまうでしょう。中には文字の有用性に気がつく子供もいるかとは思いますが。しかし彼らの面目を保ちつつ、生活の足しになるものを与える口実だったとすれば納得いきます」


 ペンとインクと便箋なら臨時収入として十分だ。インクのほかは腐る心配のないものだし、売り払う時期も選べる。もちろん売り払わないことも。

 感心した旨を伝えるとロージアはかぶりを振った。驚くことに彼女の本当の目的はもっと別にあると言う。「屋敷に来て楽しかった、たくさんもてなしてもらえたと覚えておいてほしかったの」と公女は続けた。


「ペテラスが凶作に見舞われたとき、最初に犠牲になるのがあの子たちなのよ。読み書きができるようになるまで危険は待ってくれないわ。この先どうしても食べていくのが難しくなったとき、少しでも大きな家に助けを求められたほうがいいでしょう? 一度でも訪れたことのあるお屋敷なら、あの子たちだってもう一度訪ねにきやすいと思わない?」


 そのとき受けた衝撃は忘れられないものとなった。

 わかっていないのは自分だった。この人は、ロージアは、深く子供らに手を差し伸べていたというのに。


「できればもっと公的な支援の仕組みが欲しいのだけどね。それはわたくしが王太子妃になってからね」


 恥ずかしい。利口なつもりで彼女を品評していたことが。

 (おの)が目の歪みに気づかず、勝手に憤っていたことが。

 くるりとロージアが振り返る。言葉も紡げず押し黙るミデルガートに公女は凛と問いかけた。


「──で、わたくしはあなたの採用試験に通ったのかしら?」


 そのひと言で自分が彼女をどんな風に見ていたかも知られていたのだなと悟る。身分ある人なのに不快に思わなかったのだろうか。否、不快に思うような人なら己がここに来ることもなかったに違いない。


「是非ともお仕えしたいです」


 思いはするりと言葉になった。

 否を告げない心臓の音が心地良い。


「わたくしもあなたが気に入ったわ。よろしくね、ミデルガート」


 ロージアはミデルガートのどこが良かったのか詳細に教えてくれる。仕事に対する意識の持ち方、対人態度はもちろんのこと、主人の考えをある程度以上汲み取ってくれるところがいいと。今日はすれ違ってしまったが、今後精度の向上が望めるので問題ないということだ。

 意外にもお伽話を用いて食ってかかった件はマイナスになっていなかった。公女曰く「周りにそれと知られずに会話できるのは高尚な技術」らしい。


「わたくしが審査するつもりが、わたくしが審査されているのですもの。久々に緊張したわ」


 そんな軽口を叩かれてミデルガートは思わずゴホンと咳払いする。


「それで、アークレイ家の騎士団から護衛をお選びにならなかった理由は一体なんなんです? 今挙げておられた程度の条件なら満たせる人間がいたはずでしょう」


 問いかけには軽やかな声が返された。


「簡単なことよ。彼らは全員父の騎士なの。わたくしはわたくしにだけ仕えてくれる者を必要としているの。王宮に身を移しても連れて行ける騎士をね」


 ロージアが王太子エリクサールの婚約者であるというのは確からしい。瞳をまっすぐこちらに向け、今一度彼女はミデルガートに問うた。


「一生をわたくしに捧げられる?」


 断ってもいいのよと黄昏色の双眸が許している。けれども首を横に振るなどもったいなくてできなかった。自分はきっとこの人に出会うために生きてきたのに。


「喜んで」


 跪いて剣に誓う。

 その日からミデルガートは紅薔薇の棘となったのだった。








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