ミデルガート対エリクサール
準備はすぐに整った。初冬の風吹く屋外練武場の周囲には朝も早いのに大勢の見物人が並んでいる。
その顔ぶれは様々だ。家を継げない貴族の次男・三男で構成される神殿騎士、神殿所属の民間兵、興味本位で覗きにきたらしい見習い神官も交じっている。そして彼らの最前列にはヒロインぶって指を組むリリーエが対峙する二人の男をはらはらと見守っていた。
「あれ誰?」
「ミデルガート・セレだって。ガルガート卿の弟さん」
「全然似てねえ」
「月光と岩瘤くらい差があるぞ」
民間兵は平民らしい気安さで騎士兄弟の相違について驚きを共有している。岩瘤本人が不在であるのをいいことに「義理の兄弟か?」など言いたい放題だ。
一方神殿騎士はというとおべっかまじりに王太子への声援を送る者、距離を置いて冷ややかに事の成り行きを見つめる者、どうでも良さげに仲間とお喋りする者などがおり、勢力の分かれぶりが透けて見えた。
「それにしたって運のない男だな。こんなものほとんど公開処刑ではないか」
誰かの声にロージアは静かに怒りを燃え立たせる。「王太子殿下と手合わせなど畏れ多くてできません」のひと言を口にしなかったミデルガートの心情を思うと悔しくてならなかった。
みっともなく固辞すれば試合はせずに済んだかもしれない。けれど彼はそうしなかった。誰の目にも敗色濃厚は明らかなのに。
緊張を孕む剣の中、ロージアはどうにかして騎士に加護を授けようともがく。しかし形あるものの内部に留まっているせいか、今はかすかな風さえも起こすことはできなかった。
「始め!」
審判役の男が高く腕を上げる。練武場の中央でミデルガートとエリクサールが剣を抜く。
「参ったと言うか、先に膝をついたほうが負けだ。降参は深手を負う前にするのだぞ? おぬしは王族の余と違ってすぐには治癒せんのだからな」
「……お気遣い痛み入ります。もう試合は開始しておりますよ」
白けた口調で青年騎士が礼を述べた。「わかっておる!」との憤慨しきりの返事の後、先に攻撃を仕掛けたのは王太子のほうだった。
「破ッ!」
大振りの単純明快な太刀筋。しかし速さと重さだけはある。ミデルガートが難なくかわすと「おお!」と観衆がどよめいた。
気をつけてと叫びたい。エリクサールの聖剣は切りつけた後も衝撃波が残るのだ。調子が良ければひと振りで数匹の魔獣を屠れると聞いている。もちろん人間相手にはそこまで強く破邪の力は出ないけれど、用心するに越したことはない。
「なるほど目はいいようだ。ではこれならどうだ?」
言って王太子は同種の打撃を高速で繰り出した。左右からの切り上げがブン、ブン、とこちらに迫る。
だがこれもミデルガートは至極軽やかなステップで避けきる。なんなら彼の仕草には余裕さえ感じられた。
「おおー!」
「身が軽い!」
騎士への称賛にエリクサールがムッと唇を尖らせる。王太子が睨みを利かすと練武場の空気はたちまち凍りついた。
「殿下ーっ! ファイトですー!」
「生まれの違いを思い知らせてやってくださいー!」
普段から取り巻きをやっているのだろう連中が声を張る。持て囃されて機嫌を直したエリクサールは口角を上げ、指先だけでミデルガートを手招いた。
「次はおぬしからかかってこい」
ロージアの目から見ても隙だらけの構えである。脇は無駄に開いたままだし足もまったく踏み込みを意識していない。本当に一体どこの素人だ。
舐めきった態度にイラついたのだろう。風切り音を響かせてミデルガートが鋭く剣を振り上げた。手加減など微塵も感じぬ全力で。
「……ッ!」
ニヤリと王太子が笑う。腕を切り落としてもおかしくなかった騎士の斬撃は皮膚も衣服も掠ることなく止まっていた。エリクサールを包むように神聖力が厚い保護膜を張っており、肩を狙った一撃は弾き返されてしまったのだ。
剣の内部にいたロージアには王族の受ける加護の強さがいかほどなのかをまざまざと感じ取れた。──と同時に直感する。普通の人間の力では、彼にはとても通用しないと。
「そろそろ本番と行くとしよう!」
聖剣を握り直してエリクサールがこちらに打ち込んでくる。打撃をそのまま受け止めると刃が折られかねないからか、ミデルガートの防御は目と足頼りの回避のみとなった。
隙を見つけて騎士は何度も王太子に向かっていくが攻撃は通らない。切っても突いても白銀のオーラがすべてを阻んでしまう。
「わっはっは! 先刻の大口はどうした? 一太刀も浴びせられぬなら願いなど到底叶わぬぞ!?」
エリクサールは興が乗ってきたらしい。少しずつ聖剣から放たれる衝撃波が強く大きくなってくる。
戦場で目を回しつつロージアはこの状況をどう打開するか思案した。
(あの神聖力さえ打ち消せれば……!)
エリクサールの剣技はどれも大味だ。研ぎ澄まされたミデルガートの一閃と比べれば児戯に等しい。一瞬でも聖なる鎧を剥ぎ取れれば勝機はあった。
だが名案は降りてこない。ロージアが剣を出れば尻餅くらいはつかせられるかもしれないが、二度もこちらの姿を見れば彼とて霊の実在を確信してしまうだろう。リリーエにも己の動きを勘付かせたくはないし、大勢の見ている今は特に目立つわけにいかなかった。
「ッ……!」
そうこうする間にミデルガートが押され始める。これまでは最小限の跳躍で避けていたのにエリクサールの一撃の威力が上がり、より遠くへ逃げなければならなくなったのだ。
攻勢に転じられぬまま騎士は後退を続ける。そうしてついに王太子の聖なる刃に捕らえられた。
「ぐっ……!」
白銀の暴風が剣士としてはやや小柄なミデルガートを吹き飛ばす。膝をつきこそしなかったが、彼の体勢が崩れたことは伝わった。
どれほど体力を削られてしまったのだろう。聴こえる息遣いが荒い。怪我もしているかもしれなかった。騎士は革手袋で頬を拭ったようだったから。
「今のうちに参ったと宣言するべきではないか? この実力ではリリーエの護衛など務まらぬ、そう認めるならこれで終いにしてやろう。余に勝とうなどと驕った無礼も跪いて許しを乞えば容赦してやらんではないぞ!」
勝ち誇ったエリクサールの物言いに憤怒の念が燃えたぎる。わざわざ観衆を集めてから謝罪を要求する性根を叩き直してやりたかった。
(この男……っ)
生まれ持った力の上に胡坐を掻いているだけのくせに。
自身の振舞いの悪影響も、しわ寄せに苦しむ者がいることも、何もわかっていないくせに。
剣を握るミデルガートの手が震える。それは恐れからではなく、ロージアと同じ怒りのためにほかならなかった。
──何がなんでもこの男の憎らしい顔に一発ぶち込んでやりたい。
言葉にしなくてもわかる。主従の想いは今完全に一つだった。
(神聖力には神聖力で勝つしかないわ。この剣にわたくしのありったけの力を満たすのよ……!)
ロージアは聖女の力を解き放つ。刃の中でひっそりと。
このとき神国ペテラスに新たなる聖剣が生まれた。誰にも知られず、しかし確かに。
ゆらりと騎士が剣を構える。
必ず仕留めるという殺意をこめて。
「勝負はまだついておりません」
ミデルガートが冷たく言った。
エリクサールがニヤニヤ笑っていられたのはこの日このときまでだった。




