早朝のかくれんぼ
「ちっ、見失ったか」
舌打ちをしてセイフェーティンは灌木の奥を睨みつけた。確かに見知らぬ女が逃げていったのに、どこへ消えたかわからなくなってしまった。
木の陰を覗き、樹冠を見上げ、周囲一帯に目を凝らすけれど足跡一つ残っていない。こちらの目を誤魔化して本殿に逃げ込むなど不可能だったはずなのに、手品でも見せられた気分だ。
「ガルガート、よく探してくれ。まだこの辺りにいるはずだ」
すぐ横で剣の柄に手をかけている男にそう指示を出す。ガルガートはろくにボタンも留められなかった上着をひらひらさせながら不審者探しに加わった。
「紅髪の若い女だって?」
「ああ。緩やかに波を打つ長髪で神官用のワンピースを着ていた。目は多分、黄金色だったと思う」
騎士に特徴を伝えると「は? そりゃ本当に不審者か?」と疑う声が返ってくる。がさごそ茂みを掻き分けていた鞘の動きも鈍くなった。
「神官がお前の部屋の掃除に来てただけじゃねえの?」
「だが見たことのない顔だったぞ。当番が代わるとも聞いていない」
「お前どうでもいい話すぐ忘れるじゃん。新入りが声かけられて驚いて逃げたとかじゃねえ?」
やる気を喪失していく騎士にムッとして膝裏を蹴る。「あだっ!」と叫んでガルガートは恨めしげに振り返った。
「なんだよ、なんで蹴るんだよ!」
「君が真面目に働かないからだ!」
「働いてるだろ! 眠い目を擦って!」
「私だって動きたくないのを我慢して窓を飛び越えて走ったんだぞ。護衛なら護衛の任務を全うしろ! 危険を除いて私に安眠させてくれ!」
小言まじりに命令するとガルガートは「はいはい」と適当な返事を寄越す。了解を示したくせに彼の態度は先程とまるで変わらなかった。
「つーかお前が寝ぼけてた可能性もあるだろよ」
疑いは更に失礼な方向へ進む。セイフェーティンは思わず「は?」と眉間に特濃のしわを寄せた。
「君は大神官である私を愚弄しているのか?」
「いや俺だって危険そうならもっとちゃんと探すけどよ。そもそも人の通った形跡がねえんだもん。茂みに飛び込んだってんなら葉っぱとかもっと散ってていいはずなのに折れてそうな枝もねえし」
冷静に現場の分析を行われると反論する言葉がなくなる。ガルガートの言う通り、庭の状態はセイフェーティンが目にした光景と多くの点で矛盾していた。寝ぼけていたと言われれば薄っすらそんな気もしてくる。ただ執務室の窓だけは、仕事終わりに閉めた覚えがあるのだが。
「……どうしても気になるんだ。もう少しだけ一緒に探してくれないか?」
「まあいいけど、見張りに誰か通らなかったか聞いたほうが早くね?」
不審者が逃げるとしたらそこからだろうと顎で本殿を示される。首を振り、セイフェーティンは茂みの側に留まった。
「ここで突然消えたことが引っかかる。本殿に入った者は見なかった。だからこの一帯をまずはしっかり探したい」
「ん、りょーかい」
口答えはやめたらしい。ガルガートは元々鋭い双眸を更に尖らせて一歩ずつ庭を歩む。セイフェーティンも後で世話役に叱られるくらい植込みを荒らしてみたが、靴の一つも発見はできなかった。
やはり見間違いだったのだろうか。一向に何も出てこず次第に不安になってくる。
そのときだった。ガルガートが突然土中に長剣を突き刺したのは。
「……何をやっているんだ君は? さすがに隠れられる場所じゃないぞ?」
騎士の頭を案じつつ突っ込むと「いや、うーん」と歯切れの悪い声が返る。早朝労働への抗議かとも思ったが、どうもそうではないらしい。
「俺も妙なことを言ってるのはわかってんだが、なんでかここに誰かの気配を感じたような気がしてな……」
ざくざくとガルガートは何度も刃を突き立てた。だが当然ながら人の悲鳴が響くとか、鮮血が噴き出すといったことはない。謎の突き刺し行為を終えるとガルガートは大熊じみた巨体を揺らして咆哮した。
「あーッ駄目だ! 俺も半分まだ寝てる! 多分俺らの感覚おかしくなってんだよ! 昨日もまあまあ飛んでたし!」
絶対アレのせいじゃんと断言されてウッと詰まる。そこに原因を求められると本当に何も言えなかった。
「……わかった。夜番の兵に聞いてみて何もなければ少し眠ろう」
息をつき、灌木を越えて本殿へと歩き出す。
セイフェーティンが尋ねると二人の見張りは「え? 不審者ですか? 誰も通りませんでしたよ」と不思議そうに瞬きした。一晩中何もなかったと報告を受け、ガルガートはほらなと言う顔で欠伸する。こうなれば己にも深い追及はできなかった。
「寝よう寝よう。睡眠がしっかり取れてりゃ幻覚なんざ見ねえんだ」
「はあ……。起こしてすまなかったな」
溜め息とともにセイフェーティンは大神官邸へと引き返す。そうして二人、衣服についた汚れを払って短い眠りに就いたのだった。




