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ロージア ~悪役霊嬢に聖女の加護を~  作者: けっき
第5章 見えない繋がり
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新事実発覚

 どうして自分はこうなのだろう。「連れてまいります!」と駆け出した瞬間頭をよぎっていったのは、本当の忠言なら皆の前でも堂々と言えるはずという兄の意地悪い言葉だった。

 深く考えての発言ではきっとない。わかっていても身が震える。染みついた臆病さはエレクシアラに幾度も不利益をもたらしたが、振り払うことは容易でなかった。

 立ち止まりそうになる足を敬愛と友情がどうにか前へ進めてくれる。ここで逃げ出せばいよいよ自分を信じられなくなってしまう。その一心で兄の背中を追いかけた。

 ロージアの役に立ちたい。受けた恩を返したい。悪人たちの断罪を終えて、あの人が本当に黄泉の国へ去るその前に。


「お兄様!」


 エレクシアラの呼びかけにエリクサールはぎょっとした顔で振り向いた。「お話があります」と告げれば露骨に眉をしかめられる。


「話? そなたまた余に説教するつもりではなかろうな?」


 先日こっぴどく叱られたのを思い出したのか兄は気乗りしないようだった。首を振り、エレクシアラは憶測を否定する。


「違います。内密にお耳に入れたい話です。アークレイ家を訪ねるおつもりでおられるなら先に聞いておくべきかと」

「……!」


 兄がリリーエの見舞いに出向こうとしていることは知っていた。どうせならその予定自体取り止めに至らせるべく持ちかける。


「待て、アークレイ家の話なのか? も、もしかしてロージアの?」

「人が通ると困ります。どうぞこちらへ」


 身構えるエリクサールの手首を掴み、エレクシアラは有無を言わさず温室に移動した。ロージアは生い茂る南国果樹(バナナ)の裏にでも潜んでいるのか姿がない。これなら兄も亡霊に会話を盗み聞かれているとは夢にも思わないだろう。


「エッ、エレクシアラ、そそ、そなたこの温室にいて平気なのか?」


 と、先日公女が現れた樹の近辺を警戒しもってエリクサールが尋ねてくる。青ざめて視線をさまよわせる兄を見やり、エレクシアラは「暖かいので冬でも過ごしやすいですよ」と微笑した。


「そ、そうか! その、怪奇現象が起きていなければいいのだ! 怪奇現象が起きていなければ!」


 エリクサールはロージアの霊を見たことで震え上がっていたらしい。温室が安全であると知るとすぐに調子を取り戻す。


「で、話とは一体なんだ? 余はリリーエに会いたいから手短に頼めるか?」


 ふうと思わず嘆息した。いかなるときも我欲を優先する兄に。

 若い娘を愛らしく思う気持ちや死霊を恐れる心は持ち合わせているくせに、どうしてこうも良心に欠けているのだろう。婚約者として長年付き合ってきたロージアを少しでも哀れに思うなら、この冬くらいは喪に服して新しい恋人に会いにいくのを控えるものではないだろうか。


「わたくしが申し上げたいのはまさにそのリリーエ嬢についてです」


 切り出しながらどうやって話を進めるか考える。まさかロージアに異母妹の悪行を直接聞いたとは言えないし、不自然でない組み立てが必要だ。逡巡の後エレクシアラが口にしたのは巷に出回るゴシップ紙についてだった。


「例の記事はお兄様もご覧になられましたでしょう? わたくしどうしてもあの新聞の通りとは思えなくて、何か裏があるのではと調査してみたのです」

「ふむ?」


 エレクシアラはそもそも恋文が捏造されたものではないかと疑ったことを打ち明けた。ダーダリア・アークレイの死後十数年も経ってからラブレターが発見された点も怪しいし、たった一日でロージアが公女の座から転落し、死に至ったのも誰かの思惑を感じると。


「世の中には他人の字を真似るのが得意な者もおりますから。そこでわたくしあの恋文が何者かに依頼を受けた代書人の記したものだと仮定して秘密裏に調べさせましたの。そうしたらほんの半月前に不審者に殺された代書人がいたことと、代書人がリリーエ嬢の護衛騎士と会っていた事実を知ったのです」


 正確にはリリーエの護衛騎士と思われる男だが、敢えて断定して話す。そのほうが兄の精神を揺さぶれると考えたのだ。狙い通りにエリクサールは薄紫の美しい双眸を見開いた。


「……は!? そなたまさかリリーエを疑っておるのか!?」

「ええ、はっきりした証拠はなくとも大変疑わしい方と認識しておりますわ。王家が迎えるに値する令嬢なのか一考し直すべきであるかと」


 護衛騎士の行動は主人の命じたことと見なすのが普通である。これで少しは兄の心をリリーエから引き離せたと思いたい。

 が、狙っていた反応はエリクサールから引き出せなかった。「いやいや」と明確な否定から始まったのはあまりにもこの兄らしい反論だった。


「そなたの考えすぎだろう。リリーエはまだ十六歳の、貴族社会に染まってもいない少女なのだぞ? 陰謀など企てられるわけがあるまい」


 リリーエは兄の前で相当しおらしく振る舞っているらしい。エリクサールは彼女と凶悪犯罪のイメージを結びつけられないようだった。


「そなたリリーエの美貌に嫉妬するあまり、彼女の評判を下げてやろうとしているのではなかろうな?」


 腹立たしいことにまたそんな戯言をぬかされる。なぜこの男は諸々の問題と美醜の話を切り分けて考えられないのだろう。それほどまでに己は己の容姿に拘泥(こうでい)して見えるのか。

 出かかった文句を直前で飲み込む。エレクシアラは精いっぱい肉親を案じる素振りで訴えた。


「わたくしはお兄様の身に悪いことが起きるのではと心配なのです。ロージアお義姉様を追い出して最も得をしたのはリリーエ嬢ではありませんか。しかも彼女の護衛騎士も、お義姉様が亡くなったのと同じ夜に死んだのでしょう? やましいことがあったのだと考えて当然です」


 しかし兄は頑なにエレクシアラの言を認めようとしない。どころかこちらに考えを改めるように促してみせさえする。


「それは違う。デデルの件は単なる事故だ。酔っ払って酒瓶を踏んで机に頭をぶつけたと聞いたぞ。可哀想に、リリーエはしくしく泣いておったよ。あれは心根の優しい娘だ」


 なんという騙されやすさだろう。異母姉が追い出された当日に祝杯を挙げていた娘に「心根が優しい」とは。物事の上辺しか見ない男とは知っていたが、自分の納得できるようにしか世界を捉えぬ才にかけては他の追随を許さないものがある。

 エレクシアラは説得も忘れて呆れた。窮地に立たされたロージアは見捨てたくせに、好みの女なら庇うのかと別の怒りまでもたげてくる。


「妄想逞しいのもほどほどにしてくれ。あんな可憐なリリーエが奸計をもってロージアを貶めたなど、そなた風貌だけでなく性格も歪みすぎではないか?」


 率直すぎる罵倒にくらりと眩暈がした。どうにか持ち堪えられたのはこれがエリクサールの台詞だったからだ。この男の話に中身などないと数年がかりでロージアが自分に教えてくれたから。ほかの貴族の言葉なら萎縮しきって口をつぐんでいただろう。


「……それではお兄様は少しも怪訝に感じませんの? リリーエ嬢の周辺で不審死が相次いでおりますのに」


 強く問えばさすがのエリクサールにも思うところができたようだ。うぐっと喉を詰まらせて、けれども兄はなおリリーエに疑いの目を向けなかった。


「いや、どちらかと言えばリリーエより公爵のほうが人を殺していそうな顔をしておる。オストートゲがロージアを邪魔に思ってやったと考えたほうがまだ説得力があるのではないか?」


 限度のない無礼さに我知らず天を仰ぐ。それが婚約したいと思う娘の父への所感でいいのだろうか。

 だが今は兄の人間的至らなさを指摘している場合ではない。エレクシアラは極力声を落ち着けて話を続けた。


「そうお思いになるのでしたらアークレイ家との付き合いを一度お考え直しくださいませ。公爵が問題なのかリリーエ嬢が問題なのかはわかりませんが、何も悪くないお義姉様を共同墓地に葬ったうえにゴシップ紙の種にした一家です。叩けばもっと大きな埃が出てくるに違いありません」


 これで釘は刺し終わった。頭痛が悪化しないうちにさっさと兄を見送ろう。

 そうエレクシアラが話をまとめかけたときだった。思わぬ返事が寄越されたのは。


「だがいくら公爵家が怪しくともほかの家から王太子妃を(めと)るのは難しいのではないか? 王家と釣り合う序列の家に年頃の娘はいないし、アークレイ家が犯罪に加担していたとかでなければ余が暴れようと成婚の道は舗装されてしまうだろう? あの恐ろしい女がずっと余の隣席を占めていたように」

「それはそうかもしれませんが──」


 正式に婚約発表がなされていない今ならば動きようはある。告げようとしたエレクシアラに被せるようにエリクサールは信じがたい言葉を吐いた。


「公爵は大神官と懇意だからな。仮に重大な罪を犯していても神殿裁判にさえ持ち込めばまず敗北することはあるまい。そなたが列挙した話など一網打尽にエイヤッされて終わりだぞ」

「は?」


 驚愕に声が裏返る。オストートゲと大神官に親交があるなど初耳だ。それも神国ペテラスで最も神聖な裁判で有利に立てるほど仲がいいとは。


「ほ、本当なのですか?」


 尋ね返したエレクシアラに兄は事もなげに語る。


「ああ、少し前に余が神殿騎士と鍛錬をしているとき、本殿の奥に入っていく公爵を見かけたのだ。大神官の私的な空間に立ち入れるのは限られた者だけであろう?

 それもどうやら訪問は一度や二度ではないようだ。一体どうやって大神官に取り入ったのだろう? 余だってまだ招かれたことがないのに!」


 思い返した光景に腹が立ったのかエリクサールはぷくっと頬を膨らませた。

 あまりの事態に声を失う。ロージアは異母妹たちに法の鉄槌を下そうとしているのに、もし本当に最高裁判長である大神官がオストートゲに抱き込まれていたとしたら訴えても無意味ではないか。


「おっと、長々と話し込みすぎたな。余はもう行くぞ。それではな」


 簡素な別れの挨拶を述べ、エリクサールはガラス温室を後にする。その影が見えなくなるとエレクシアラは高く背を伸ばす南国果樹を振り返った。


「……お義姉様……」


 裏から出てきたロージアはエレクシアラと同じに眉をしかめている。口元に押し当てていた人差し指をそっと離し、彼女は次の目的地を告げた。


「どうやら神殿も調べる必要がありそうですわね」




 ***




「うふふふふ! 明日はエリクサール様と神殿デートね!」


 腹の底をぐちゃぐちゃに掻き混ぜてくる不愉快な声にミデルガートは目を伏せた。口内で小さく舌打ちし、苛立つ心を抑えつける。

 一週間ほど寝込んでいたリリーエが小回復を見せたのは今朝のこと。永遠に眠っていれば良かったのに、王太子が見舞いに訪れた昼前からは鬱陶しいほど健康だ。父親譲りの金髪碧眼をきらきらさせ、寵愛を勝ち取った喜びに浸っている。


「お参りしたら健康祈願の御守りを買わなくては。どうせだしエリクサール様とお揃いにしようかしら?」


 様変わりした薔薇の間でミデルガートは足元を睨む。調度品も壁紙も絨毯も洗練されたものでなくなり、愛らしさを押し出すだけの下手物(ゲテモノ)ばかりになってしまった。真紅でも深緑でもないローズピンクに吐き気がする。今すぐにこの甘い香りを切り裂きたいと思うほどに。


「ちょっとミデル、聞いていて? 明日はあなたにも同行してもらうのよ?」


 るんるんと寝台の上で身をくねらせていたリリーエがミデルガートの勤務態度に眉根を寄せた。首にするなら首にしろ、と冷たい眼差しで見つめ返す。華奢ななりをして神経図太い少女には意にも介されなかったが。


「早起きしてね。なんと言ってもエリクサール様率いる神殿騎士の早朝稽古を見学させてもらうのだもの」


 返事の代わりに目を逸らす。なんでもいいから早くこの家を離れたかった。

 殺してやりたい。己が側にいない間にロージアの全部奪った女。

 だが主家殺しは大罪だ。実行すれば親兄弟まで責を負う。

 さっさとアークレイ家との契約をおしまいにしなければ。一人の剣士が斬るだけならば一人の罪で済むのだから。


「本当にあなた出世に向かない男ねえ」


 何を言われてもミデルガートは氷のごとく沈黙を貫いた。

 リリーエも、オストートゲも、エリクサールも、ロージアを害したすべてが許せなかった。






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