ゴシップ記事
父の素行を知って以来気持ちの晴れぬ日が続いたが、久しぶりにハルエラに会えると思うと胸が弾む。父母に愛された記憶のないロージアにとって隣家は既に大切な場所となりつつあった。
とは言えスプリン家に赴くことを帰宅と呼ぶのはまだ慣れない。ロージアの主観における自分自身は依然としてアークレイ家の公女だった。
それでも新しい両親に思い馳せれば心は安らぐ。ハルエラも、アキオンも、心優しく穏やかで父母にはなかった温もりに満ちている。互いを愛し、尊重し合う夫婦のもとに生まれてこられる喜びはロージアの魂を少なからず慰めた。
あるはずだった王太子妃としての未来。手折られた夢の代わりに咲いた希望。ロージアにとって二人の家庭は次なる春の光である。
だから彼らが深刻な顔をしていると殊更不安になるのかもしれない。
「アキ君、これって……」
窓からこそりと居間に入ったロージアが見たものは常になく青ざめた顔のハルエラだった。そんな新妻のすぐ側で、アキオンは眉根を寄せて無言で肩をすくめている。
この雰囲気はなんだろう? いつもは明るい愛の巣が今日はやけに淀んでいる。
原因は二人が手にする新聞にあるらしい。椅子にもかけずに記事を読み込むハルエラの腕はカタカタと震えていた。
見出しの文言を一瞥し、下卑た紙面に見覚えがあるのに気づく。よく見れば新聞は三日ほど前にオストートゲの書斎に持ち込まれたものとまったく同じだった。
(ああ、わたくしの話が載っていたゴシップ紙ね)
ロージアはハルエラの背後に回って記事を覗く。先日読んだ通りにそこにはアークレイ家の長女が種違いだと発覚した経緯とか、その後の偽公女の顛末が嘲笑と同情混じりに綴られていた。
なるほどそれで家の空気が重いわけかと合点する。善良なスプリン夫妻には衝撃的な内容だったに違いない。
特集記事には偽造されたラブレターの一部も記載されていた。おそらく父が被害者ぶるために敢えてリークさせたのだ。これは公爵家のスキャンダルなどではなく、母の単独のスキャンダルだと示すために。
「殺されたロージアさん、王太子様の婚約者だったんだね」
痛ましげにアキオンが語りかける。ハルエラのほうは食い入るように文字を追い、返事もできない有り様だったが。
〝あなたと二人になれるので最近は出かけるのが苦でありません〟
〝馬車が壊れたと偽って遅れて帰るのはどうかしら?〟
〝できるなら熱い夜を過ごしたいわ。誰の邪魔も入らないように〟
〝ああ早く、早くあなたにお会いしたい〟
〝あなただけがわたくしを心から満たしてくれる〟
〝涙とともにパンを食べたことのある者だけが愛の本当の味を知る。この詩が真実だとしたら、わたくしはあなたに極上のものを捧げられるでしょう──〟
不快な嘘八百の羅列にロージアは眉をしかめる。風で新聞を飛ばしてやるかと数秒真剣に検討した。
ハルエラにはこんな記事に触れてほしくない。書かれているのが虚偽だからというだけでなく、もうロージアのことで傷つかないでほしかった。
食糧難のこの国でパンを分けてくれ、葬儀にも参列してくれたのだ。己にはそれで十分だ。
「アキ君、ごめん。これ私が持っててもいいかな?」
と、面を上げたハルエラが真摯な声で夫に問う。不遇な女の身の上を詳細に知ってしまったためか、彼女の額はいっそう青白くなっていた。そこまで思いつめた顔をしなくとも良かろうに。
「それは全然構わないけど……、大丈夫? 顔色ものすごく悪いよ?」
「ありがとう、大丈夫だよ」
礼を告げるとハルエラは該当記事を四角に畳み、スカートのポケット深くにしまい込む。気遣わしげに彼女を見つめるアキオンにハルエラは「心配しないで」と微笑んだ。
「後でゆっくり読み返したいの。無理はしないって約束するから」
話題はそのまま今夜の食事の献立に移る。ご近所さんと合同で買った鹿肉があってねとハルエラは声を弾ませた。
彼女の頬のこわばりが薄れたのを見てロージアも胸を撫で下ろす。悲しみは足早にハルエラのもとを去ってくれたようである。
(アキオンもいるし、平気そうね)
夫妻を二人きりにするべくロージアは入ってきた窓からそっと出て行った。ハルエラの姿も見たし、次はエレクシアラを訪ねたい。そろそろ王女に頼んでおいた代書人の情報がまとまっている頃合いだ。
(進展があればいいのだけれど……)
思った以上に証拠集めの芳しくない現状を憂い、ロージアは嘆息する。
公爵家からは恋文の現物のほかは何も出てきていなかった。聖女の力も精神にまでは作用せず、リリーエたちに自白させるのは難しい。頼みの綱はやはりエレクシアラだった。
ロージアは風に乗り、王の宮殿へと急ぐ。
このときはまだハルエラがゴシップ紙のどこを読んであんなに震えていたのかなど、少しも考えていなかった。




