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ロージア ~悪役霊嬢に聖女の加護を~  作者: けっき
第3章 もう一人の妹
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兄妹喧嘩

 共同墓地という場所は薄暗く狭く物寂しい。小神殿の裏手にあって影は深く、大きささえもまちまちな墓石が一帯を埋め尽くし、墓参りする誰かの姿も当然見られはしなかった。古い墓には大小様々な亀裂が入り、植物の貪欲な侵攻を許している。

 いつかロージアの墓もこうなるのだろう。死の実感が乏しいうちに埋葬まで終えられたのは却って良かったのかもしれない。

 ハルエラとアキオンは、長く、長く、祈りを捧げてくれていた。

 この先忘れ去られるだけのたった一人の死者のために。


「十分じゃろう。ここまですれば魔獣に喰われることはない」


 祭司の声にスプリン夫妻が顔を上げる。「そうですね」と答えたアキオンがゆっくりとハルエラの腕を引いた。


「私たちはここで失礼します。お祈りくださりありがとうございました」


 ロージアの葬儀がすべて片付くとハルエラたちは祭司と守備兵に挨拶だけして帰路に着いた。去り行く夫妻を見送りながら「次の親はいい人たちね」と感嘆する。たいした縁もなかった女の弔いにこうも真摯に付き合ってくれるのだから。


(来世への希望だけは膨らむわ)


 ずっとハルエラの肩にくっついていたロージアだが、スプリン家に同行することはしなかった。ふわりと浮かび、上空から宮殿のドーム屋根を探す。金の薔薇をかたどった屋根飾りはすぐ見つかった。風に乗れば王宮はさほど遠くもなさそうだ。なら次はエレクシアラの現状を確かめておくべきだろう。


(あ、そうだ)


 飛び立つ前にロージアはふとひらめいて再度墓地へと舞い降りた。せっかく陰気な場所へ来たのだ。一つ実験しておきたい。

 ロージアは役目を終えて小神殿を出ようとする守備兵の前に立ち塞がった。ヨミに譲られた聖女の力が完全なものとなった今、ほかの者の目にロージアを映すことは可能なのか試してみたかったのだ。


「では祭司様、お身体にお気をつけて」


 けれど守備兵はロージアに気づくことなく霊体をすり抜けて行く。気合いを入れて挑み直しても彼が亡霊を見咎めて青ざめることはなかった。墓場というシチュエーションなら目撃されても問題なかろうと思ったのに。


(うーん、本当に気配すら感じないのかしら?)


 ロージアは手を握ったり開いたり試行錯誤を繰り返したが守備兵は悠々と参道を歩んでいく。そうこうするうちに彼は小神殿の敷地外に出てしまった。


(……駄目ね。これ以上やってまた大風でも起こしたら大惨事だし、ひとまずここまでにしておきましょう)


 見切りをつけてロージアは晴れた空に浮かび上がる。訃報はそろそろ王女の耳に入っただろう。顔を上げ、ロージアは今度こそ宮殿へと飛び立った。




 ***




 どうせ誰にも見られないのにドレスコードが気になるのは自分が真面目なたちだからなのか。神官服での登城がどうしても受け入れがたく、ロージアは聖なる力でドレス姿に着替えていた。

 生前好んだアンティークグリーン、深緑に染めたレースと紅薔薇を惜しげもなくあしらった一着だ。髪形や服装は念じれば自由に変えられるようである。目にする者がいなければ無意味ではと思わなくもないけれど、衣装というのは武装と同義だ。場違いさに意気が挫けるくらいなら整えたほうがいい。戦いに挑む者として。


(さあ行きましょう。まずはエレクシアラを見つけねばね)


 上空から三つの宮を抱く国王の居城を見下ろす。宮殿は一日では回りきれぬほど広いけれど、ロージアの目指す場所は決まっていた。

 エレクシアラは大抵彼女の庭にいる。茶会も滅多に開かない。城外へ視察に出ていなければ簡単に探せるはずだった。

 予測に違わずすぐに眼下に朽葉色の豊かな髪を広げた娘が現れる。濃紺色のドレスも王女がよく着るものだ。ロージアはただちに彼女の傍らに降り立とうとした。そうせず中空に静止したのはエレクシアラが木陰から園庭を突っ切る小道にダッと飛び出したからだった。


「お兄様、お話ししたいことがあります!」


 王女に呼び止められたのは銀髪の美青年。お忍びで城下へ出ようとしていたらしいエリクサールがぎくりと肩を強張らせる。足を止めた王太子の腕を半ば強引に掴み、妹姫は「こちらへ」とガラス温室に移動した。

 これはきっとロージアについて言及するに違いない。急ぎ二人の後を追い、温室内に忍び込む。ロージアはちょうどいい位置に生えていた南国果樹の陰に隠れた。


「な、なんだ? 余は早く出かけたいのだが」


 垂れ下がる大ぶりの葉の隙間から相対する二人を覗く。こそこそする必要はないのだが、盗み聞きをしているという負い目からつい息は小さくなった。

 エリクサールは常になく張りつめた表情のエレクシアラに気圧されている風だ。ひょっとしたらロージアの窮地を見物に行った件で絞られた後であるのかもしれない。王女はぎりりと奥歯を噛み、喉を震わせながら告げた。


「ロージアお義姉(ねえ)様がお亡くなりになられました」


 思った通り、護衛騎士からの報告は既に受けた後のようである。

 本来なら義妹となるはずだった一つ年下の王女。ロージアを本物の家族以上に慕ってくれたエレクシアラはきつく兄を睨みつけた。


「はっ? ロ、ロージアが!?」


 対するエリクサールはまったく虚をつかれた顔で問い返す。彼は悪事の中心に加わっていないのだろうか。信じられないとばかりに薄紫の目が瞠られた。


「……昨晩賊に入られたとのことでした。遺体のお顔はわたくしの護衛騎士が直接確認しております」


 述べられた事実にエリクサールはぽかんと呆ける。うんともすんとも言わぬ彼に業を煮やしてエレクシアラは再び兄に掴みかかった。


「なぜお義姉様を助けてくださらなかったのです!? あの方は反証の機会もないまま命を落としてしまいました! あの方は、ロージアお義姉様はお兄様が守るべきお方だったのに、一体どうしてお見捨てに!?」


 普段大人しい王女の立ち振舞いからは考えられない激昂ぶりだ。これほどの怒りを爆発させるとは思っておらず、ロージアの胸に罪悪感が湧き起こる。

 やはりあのとき焦らずにエレクシアラを待っているべきだったのだ。デデル程度の男など無視して。


「ら、乱暴はよせ! そうは言ってもロージアは正統な血筋の娘ではなかったという話ではないか!」

「だからどうして疑惑の真偽が明らかになるその前に! 婚約者として当然の務めを放棄なさったのかと聞いております!」


 王女の黒々した目には涙の膜が張っていた。滴が垂れるのを防ぐためか唇は強く噛みしめられ、眉にも力がこもっている。エリクサールのほうはと言うと彼女の剣幕に気後れして顔を逸らすのが精いっぱいの有り様だった。


「だ、だってそれは、余の好みであるリリーエを婚約者の座に据えてくれるとアークレイ公が言うから……」


 ()ねて尖った唇からそんな言葉がぽそりと零れる。エレクシアラはわなわな震えて大きく声を張り上げた。


「神国のお世継ぎが、かようなくだらない理由で忠臣を見放したというのですか!?」


 絶叫したきりエレクシアラは肩で息して声もない。呆れて二の句が継げないのだろう。ロージアの気持ちも彼女と同じだった。本当に、この男が次期国王とは信じがたい。


「ふ、ふん! そなたとていい子ぶって見せたって本音では王宮に可愛い女が増えるのを嫌がっているだけではないのか?」


 と、叱責のされすぎでプライドを傷つけられたらしいエリクサールが攻勢に転じる。あっと思う間もなく彼は王女の最大の弱点をつつき始めた。


「そなたはいつも華やかな令息令嬢に面するときはロージアを盾にしていたものな! 単にリリーエが義姉になるのが怖いのだろう? そなたは余の妹のくせにちっとも美しくないから!」


 容姿の話題を出せば黙ると知っているからエリクサールは罵倒をやめない。怯んだ王女が「盾にだなんて、それはロージアお義姉様が気遣ってくださったまでのことで」と言い返しても彼はどこ吹く風だった。まるで虫でも追い払うようにエレクシアラは右手でしっしと退けられる。


「そなたの文句はそなたのためのものであって余のためのものではない。ゆえに聞く価値もない! 本当の忠言なら皆の前で堂々と言えるはずだろう?」


 卑劣なる王太子はエレクシアラには実現不可能な仮定を持ち出す。一体誰が彼女に根深いコンプレックスを植え付けたのかは一切自覚しないまま。

 エレクシアラが地味な服ばかり着ているのも、十九になっても化粧を嫌がるのも、髪や肌を手入れしようとしないのも、衆目に晒されるのを怖がるのも、すべてエリクサールたち心無き者に否定されてきたゆえだというのに。本当の彼女がどんなに賢く誠実であるかも知らず。


「まあそなたは根暗に花も咲かない庭にこもってばかりだし、着飾って広間に現れるだけで笑い者になろうから、無理にそうせよとは言わぬ。だがもう余に言いがかりをつけるのはやめてくれぬか? 此度の件は公爵家内部の問題で、余は少々話を聞きかじっただけに過ぎぬのだからな!」


 嘲笑混じりの物言いに王女は完全に硬直した。もう一度同じ話を大勢の前ですることは彼女には困難だろう。

 見るに見かねてロージアは果樹の裏から一歩踏み出す。この霊力で愚かなるエリクサールの肝を潰してやらねばと思ったのだ。

 彼の暴言が許せない。軍務を除くこの男の義務のほとんどはエレクシアラが押し付けられてやっているのに、感謝こそすれ侮辱するとはなんという傲慢だ。ここは大風でガラス温室の天井に叩きつけ、ひと泡吹かせてやらなくては。


「エリクサール……ッ!」


 喉をついたのは低い声。名前を呼ぶのにもはや敬称もつけなかった。どうせ彼には聴こえていない。──そのはずだったのだけれども。

 エリクサールがくるりとこちらを振り返る。「ん?」と呼びかけに応じて。その瞬間、彼の額から血の気が引いた。


「キャーッ!? ロロロ、ロージア!?」


 バッタのごとく王太子はその場に高く飛び跳ねる。顔から汗を噴き出させ、草の上に尻餅をついた彼の怯えた瞳には、どうも己が映っているらしかった。


「お、お義姉様……!?」


 エレクシアラも目を見開いてまじまじこちらを凝視する。驚いたことに彼女にもこの霊体が視認できているようだ。


「ヒエーッ! 出たーッ! 悪霊だーッ!」


 魔獣退治の最前線に立つ剣士のくせにエリクサールはあたふたと退散する。姿が見えるなら浴びせたい罵声が山ほどあったのに。


「ほ……本当にお義姉様ですの?」


 南国果樹が枝葉を伸ばす温室に残されたのはロージアとエレクシアラだけだった。

 賢明で優しい姫の双眸が揺れる。そして涙が溢れ出す。






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