死せる乙女のファンタジア
巷で流行りのロマンス小説は大抵悪女が追放、処刑されて終わる。己も死後はそんな悪女のモデルにでもなるのだろう。偽物公女を懲らしめてヒロインが幸せを掴む、そんなありふれた物語の。
紅薔薇ロージア──その名の放つ輝きは過去の遺物と成り果てた。薔薇にはもはや蔓を伸ばすことすら叶わぬに違いない。
(わたくし……まだ生きている……?)
生温かな暗闇で目を覚ましたとき、ロージアは己の悪運に驚いた。騎士剣による一撃は確実に己の命を奪ったものと思ったのに。
しかしロージアの意識はささやかな思考を許すのみだった。身を起こそうと試みても四肢の感覚はまったくなく、小さな身じろぎ一つできない。
きっと血を流しすぎたのだ。助けを呼ぼうにも声すら出せそうになかった。
(ああ、やはりわたくしこのまま死んでしまうのかしら……)
何も成せずに終わった嘆きが苦しく心を満たしていく。不幸中の幸いは痛みが麻痺していることだった。失血がやがてこの生に永久に幕を引くとしても、舞台袖から新たな苦痛が躍り出ることはなさそうだ。
ロージアの夢を手折り、誇りを打ち砕いた苦痛。
ロージアのすべてを薙ぎ倒した苦痛。
(せめてわたくしの最期を誰かに伝えたい……)
少しでも腕が動けば。血で文字を残せれば。そう願い、ロージアは無感覚の闇でもがいた。
犯人なら知っている。誰の指示かも予測がつく。
このまま死んであの女の思い通りにさせたくない。
(リリーエ……!)
だが悲しいかな、何度力んでも指先一つ微動だにはしなかった。まるで今のロージアには肉体そのものが与えられていないかのように。
不思議だった。動けぬほどの深手なら絶命してもおかしくないのに思考力は依然正しく働いている。眩暈も起きず、靄もかからず、失神の予兆もない。
哀れな女に最後の最後に与えられた、これは聖女の慈悲なのかも。
ロージアは足掻く。今ここで意志の力を発揮できねば人生はあぶく同然だと。
描いた未来が手に入らないことはもういい。しかしリリーエの不正だけは、暴かれ、裁かれねばならない──。
(えっ……!?)
そのとき突然闇が薄まり、ロージアは見知らぬ部屋に投げ出された。素朴な造りの小さな部屋だ。公爵家なら中級の使用人にあてがうような。
閉め忘れられたと思しき窓から月光が降り注いでいる。青白く静謐な輝きは床の木目と転がった毛糸玉とを照らしていた。もこもことした丸い塊から続く一本の線を辿り、ロージアは安楽椅子で寝息を立てる若い娘を振り返る。
仕事の途中で寝入ったらしい。彼女の膝には編みかけのニットがちょこりと収まっていた。
ブラウンの髪。小さな鼻と愛らしい唇。
見覚えのある顔である。正確には今日知ったばかりの。
(えっ……?)
状況が飲み込めず、思わず眉をしかめてしまう。
どうして己が彼女の部屋に?
当然の疑問が湧いたがそれより更に深い疑問がロージアをすくませた。
どう見ても半分透けた己の手。空中に浮いた足。──そして。
(今わたくし、この者の中から飛び出してこなかった?)




