ありがとう
「色々心配かけて、すいませんでした」
私とマキはそう言って、斉木先生に頭を下げる。
あれから無事、学校に姿を見せたマキは私に謝ると同時に、「斉木先生へも謝りに行く」と言い出した。本当は私がみんなを振り回したのだからマキが負い目を感じる必要は全く無いのだけれど、私としても斉木先生に何か一言お詫びとお礼をしなければと思っていたので一緒に職員室へ向かうことにしたのだ。二人揃って頭を垂れる私たちの前で、斉木先生は事も無げに言葉を返す。
「いいっていいって。そんな謝るぐらいなら勉強でもして成績上げてくれた方が先生は嬉しいよ。特に二人とも、数学が苦手だろ? 一年のうちからちゃんと勉強しておかないと、受験の時に苦労するぞ」
冗談めかして言ってはいるが、後半はやや真面目な口調だ。斉木先生の担当科目は国語だが、私たちの担任教師でもあるのである程度他の科目の成績も把握している。私とマキは数学の成績が他の教科と比べても壊滅的だから、中間テストや実力テストの後はよくこんな風に言われるのだ。痛いところをつかれたマキがえへへ、と困ったように笑う。全ては森野春花の日常生活にあるありふれた光景だ。その何気ない、けれど何よりも尊い情景に私は涙が零れそうになる。戻って来れた、この日常に。森野春花の生活に、戻ることができたのだ。
「まぁ、ああいう手口で人を騙す大人は世の中にわんさかいるから気をつけることだ。お前らはまだ若いし先がある。自分で考えたり他人にアドバイスを受けたりしながら、きちんと考えて行動するんだぞ。これから先、お前らがどんな道を進むかはお前ら自身が決めるんだからな」
さりげなく諭すような斉木先生の口調。だけどその言葉はすっと、私の胸に染みこんでいった。
森野春花には、未来がある。人々を救う使命も決められた結婚相手もいないが、それは同時に自由であるということだ。これから何をして生きるか、誰と出会い何をするか。その中で迷ったり悩んだりすることはあるし、誰かに相談しなければならないことがあるだろう。でも、全てを私が決められる。私は私の人生を、自分で決めることができるのだ。森野春花の人生は他の誰でもない、森野春花のものなのだ。
「ありがとうございます、斉木先生。ありがとう、マキ」
唐突にそう口にした私に、二人はきょとんとした表情を向けた。でも、私はマキと斉木先生に感謝を口にせずにはいられなかった。私が森野春花であると気がつくことができたのは、間違いなく二人のおかげだ。
鈴子だった頃の心の傷を癒やすことなどできはしない。私はずっとそう思い込んでいた。けれど実際は自分で勝手にそう思い込み、鈴子だった自分にずっと閉じこもっているだけだった。今の私は森野春花であって、藤田鈴子ではない。森野春花は森野春花としての人生を生きることができる。藤田鈴子の人生に囚われることなく、自分の意思で自由に生きられるのだ。
何も知らず呆気にとられたような表情の斉木先生とマキ。私はそんな二人に感謝の気持ちを込めて、そっと微笑んだ。




