今の私は、森野春花だ!
そう気がついた次の瞬間。私は喉に強い圧迫感を覚えた。
星野ミコトに取り憑いていた女の悪霊——茜が腕を伸ばし、私の首を絞めている。最もそれが見えるのは私だけで、周囲の人間には私がいきなり喉元を抑えて苦しみだしたようにしか見えていないだろう。供給されるべき酸素が止まり、脳が縮こまるような感覚に陥る。声も出せずにただもがき苦しむ私の頭の中で、嘲笑うような女の声が響いてくる。それは直接、鼓膜を振るわせて聞こえる音ではない。霊体となった茜の声が、霊力を持つ私の耳にだけ聞こえているのだ。
「ほらほら元・巫女様。悪霊退治はアンタの十八番でしょう? それとももう巫女様なんて持て囃されるのは嫌なのかしら。そりゃあそうよね、誰もアンタのことなんて信じないし平気で切り捨てる。所詮アンタなんてそれだけの存在、生まれ変わったってなあんにも変わらないのよ」
クスクス笑いながら、語りかけてくる茜の言葉に前世の記憶が蘇る。
村のため、みんなのためと私は自分の力を一生懸命に働いた。そんな私に政彦や村の人々は感謝してくれているし、必要としてくれていると思っていた。でもそれは、実際のところただのまやかしだったのだろう。巫女というだけでどんな大変な仕事も文句一つ零さず遂行する私は、村にとって都合が良かったのだ。私は私でそんな境遇に満足し、村を支える巫女という立場に酔っていた。村のみんなに頼りにされる自分はすごい、と考えそれこそが自分の価値だと思い込んでいたのだ。
そうだ、私はただ村を追い出されたことが辛かったんじゃない。自分のやってきたことがあっさりと否定されて、それまで信じてきた藤田鈴子の存在価値を打ち消されてしまったことが辛かったんだ。
前世の苦しかった記憶が蘇り、その悲しみで胸が押し潰されそうになる。だけど、それと同時に体に力が湧いてきた。違う、今の私は藤田鈴子じゃない。
自分が危険な目に遭ってでも私を守ろうとしてくれたマキ。私にもマキにも冷静な判断を下し、インチキを暴いてくれた斉木先生。私は巫女でもなんでもない、普通の女子高生だ。けれど、そんな私を大切に思い心配してくれる人がいる。そうだ、私はかつての孤独で劣等感に満ちた人間・藤田鈴子じゃない。
今の私は、森野春花だ!
意を決した私は一度瞳を閉じて、意識を集中させる。
悪霊を追い払うには色々な方法がある。きちんとした道具や場所を用意できればそれに超したことはないが、一番大事なのは自分がしっかりと気を持つことだ。生きた人間の発するエネルギーは、死んだ人間のそれより強い。気持ちが負けなければ、私が藤田鈴子の過去に負けなければ。絶対に大丈夫、森野春花は負けない。
「消えろ!」
握りつぶされそうだった喉を絞り出し、腹から大声を出す。その瞬間、茜の霊は怯んだようだ。息ができるようになった隙に、私は右手に自分の力を集中させるイメージを作る。そのままチョップの要領で、右手を茜の体に叩き込んだ。対して筋力のない私がやったところで、物理的なダメージはたいしたものではないだろう。けれど私の魂に生まれつき備わっていた力を集中させたそれは、悪霊には十分な攻撃になるはずだ。
「ぎゃあああああ!」
断末魔の叫び、というのはこのような声を言うのだろう。私の手が当たった茜の体は、ガラス細工のように呆気なく砕け散った。同時に周囲の音が耳に入ってきて、急に現実に引き戻されていく。私を心配する他の客の姿、そして文字通り、憑き物が落ちたような表情で呆然としている星野ミコト。その顔を見た瞬間に、私は安心した。
やった、私は茜に勝ったんだ。




