幸せな生活
クェーの奮闘虚しく職場は崩壊した。冥王様が生やしてくれた魔力生成貯蔵装置と彼の魔力ではもたなかったのだ。
ショーは特別な力を持っていた。それは水車を回す時だけという条件付きなら無尽蔵の魔力を得る事が出来る力。
魔力のとてつもなく莫大な消費に慣れきっていたので、その消費量を誰も気に留めなかったのだ。ショー自身でさえ。
ショーと違ってクェーは怪物だ。人知の及ばない部分が確かに存在する。
生産効率を上げる為に地下世界の生物に罵声や嫌味でも飛ばそうものなら、恐ろしい事になるだろう。
アッシュとミカはあの日、あの窓の外から覗き込んできた冥王様の恐ろしい形相を見てそれを確信していた。
皆冒険者に戻った。兼業をやめたので、お金はごっそりと減ったが時間にゆとりが出来た。そうすると、過去の様々な事に対する考えまでもが変化し始めた。
ショーは地下世界の酒場で一人の女性と踊っていた。ノランそっくりの女性。
ぞうおじさんこと冥王様はルルとそれを眺めていた。
「クェーも来ればよかったのになぁ。」
ルルが寂しく呟いた。
「僕のせいだよ。人間とはもっと慎重に距離を縮めて接するべきだった。」
冥王様は自責の念に駆られていた。
「ショーの父親気取りで彼の人生をかき乱してしまった。今僕の目の前で踊っている彼は幸せそうだから杞憂かもしれないけれど。」
「めちゃくちゃ幸せだよ。何言ってるのさ、ぞうおじさん。」
ショーが冥王様とルルの座る桟敷席に駆け寄ってきて言った。
「ぞうおじさんの声は特徴的だからよく聴き取れるんだ。なんかこうどっしりしていて落ち着いているから。」
ぞうおじさんはショーを手のひらで優しく抱きしめた。頬に口づけをしようとしたが鼻が邪魔で上手く届かなかった。
その頃地上世界の酒場では、ノランがバクーと二人でお酒を飲んでいた。
「ついにアンジーもジェンソンと付き合ったねー。」
「いやー、予想してなかったけど、まぁ自分の勤め先の職場があんな恐ろしいぶっ潰れ方したら人間関係に激烈な変化が起こってもおかしくないかもな。」
ジェンソンは暗く寂しく一人で居るのが好きな男だが、顔見知りのアンジーの職場が潰れたと聞いた時に、真っ先に自分の店に彼女を雇ったのだ。
アンジー曰く、彼は外面は良いが家だと態度がでかいらしい。
バクーの肩にノランがそっと寄りかかる。
バクーは彼女の肩をそっと抱いた。
アッシュは自分の家の周りで、夜中に何処からか悍ましい声が聞こえてくる事に悩んでいた。
それはあの時見た怪物の声にそっくりであった。声を聞くだけであの魚の眼をした象の恐ろしい形相を思い出して身が震える。
ミカは街中を日々往来するロバの様に巨大な芋虫に怯えていた。
ちょうどその頃、地下世界を聖域の様に地上に進出させる計画が進行していたのだ。
ショーが森に聖域を作る時に使った魔法を、冥王様が会得したのだ。
彼は慎重を期すため人里離れた場所から聖域化を始めて行ったが、面白がった冒険者達に見つかってしまった。
しかし、彼らはすぐに分かり合う事が出来た。お互いに特になんの利害関係もない状況だと、案外すんなり打ち解けるのだ。
怪物との共生社会という思想が世界中に広まっていき、ダンジョンも次々と聖域化が行われ、冒険者たちは怪物からの略奪ではなく協働して富を得る喜びを覚えた。
「ぞうおじさーん!」
人間の子供達がぞうおじさんに駆け寄る。親たちはそれを微笑ましく見守る。彼は嬉しかった。しかしただ一つ後悔が残っていた。
それは、ショーの勤めていた職場を破壊した責任の一端を自分が負っているという自責の念からくるものであった。
その贖罪はショーを通してなされた。
ノランはバクーと二人で酒場にいた。そこにショーがやって来た。
「今月分も口座に振り込んどいたから。ごめん。」
「待てよ!」
バクーはノランの耳元で囁いた。
「誰かに脅されて俺達に大金を振り込んでるのか?もしそうならそいつの名前を言ってくれ。そいつをぶちのめすから。」
「違う……そういうのじゃない。事業が上手くいってるんだ。」
「もっと具体的に話してくれ。貰ったお金は怖くて一銭も手をつけていないから、今すぐにでも全部返せる。だから頼む。俺達を信じてくれ。」
「ぞうおじさんだよ。ぞうおじさんと僕が組んで仕事してるんだよ。」
バクーは半信半疑だったが、ショーに誘われて店の外に出ると彼は魔法で地下世界への入り口を作り出した。
「さぁ、入って。」
ショーはどこか秘密を知られて残念でもあるが嬉しそうな表情をして、二人を地下世界に招き入れた。
入ってすぐにショーは声を上げた。目の前にノランそっくりの彼女が立っていたからだ。
「わぁ!私にそっくり!初めまして、私は冥王様の娘です。父は今外出中ですが、後少ししたら帰ってくると思います。」
しばらくしてぞうおじさんが帰ってきた。
「ただいまみんな、いい子にしてたかい?んー?グーちゃんいたずらしたのー?だめだよー。それそれグリグリ。」
鼻でグリグリとくすぐると、土竜の怪物グーちゃんはキレて声を上げた。
「俺も青年だぜ!ガキじゃねえんだよ!第一人んちの子供自分ちの子供みたいに扱うなよ!」
「でも嬉しいんでしょ。」
「まぁ、自分の心に嘘をついて喜んでるフリをしてあげるのも社会人になった時役立つからな。ただ今は家の中だ。本心をさらけ出す自由が欲しいんだ。」
「嬉しくないの?」
「まぁまぁ、今はお客さんも来てるし喜ぶフリをするべきだった。それは反省点として受け止める。ようこそおいでませ地下世界へ。」
「あやや!ひゃー!ひえー!」
ぞうおじさんは顔を赤くしてコソコソと身を隠してしまった。
「ぞうパパ!お客さんがぞうパパに用があるって。」
ショーが冥王様ことぞうおじさんことぞうパパを呼び止める。
「いや、すみません。ショーが僕らに二度も大金を振り込んできたので、なにか脅されてるんじゃないかと誤解してしまって。」
「あぁ……月極補償金のことかしら?あれは余剰金から出してるから気にしないで。」
その言葉を聞いてバクーはほっとした様子で話し始めた。
「毎月振り込まれてくるので恐らくそれです。僕らなにも契約とかしてないですし、いいですから。貰ったお金も必要とあれば返します。」
冥王様の娘が泣き出した。
「なんと清い心。ぞうパパ上、お客さん達に地下世界の永住権を渡してはいかが?」
ぞうパパは二人の心がそれぞれ持つ性質を読み取った。
「うん、二人とも清いねー永住権あげる。気になるのはどっちにも憂いがある事だね。なんか悩みあるのかい?」
「お父様……あまり詮索してはいけません。」
「地上と地下の往復ってどうすればいいのかしら。」
ノランが聞いた。
「地上との往復には、この魔法を覚えればいいよ。森の聖域でぞうパパが教えてくれたんだけど。」
「ショーの聖域。」
ぞうパパが訂正した。
「やめろよー。地名に自分の名前勝手につけられたから子供ならまだしも大人にすらいじられるんだぞ。
変な奴に絡まれる事も増えたし変装しないと最近はおちおち地上を歩けないぜ。」
ショーはなんだか満更でもない様子でノランとバクーに魔法を教え始めた。
地下世界と地上世界の往復に用いる魔法は、特別魔力の消費量が少ないようで二人で何度か試しても全く疲れを感じなかった。
「今日はありがとうございました。またいつか。」
ノランとバクーがそれぞれ扉を開き地下世界を去っていこうとしたその時
「ショーパパ」
怪物ナメクジの子供がショーの足元にすり寄ってきた。
「子供いるの!?」
ノランが慌てて振り向いた。
「いや、ぞうパパと同じでただの愛称だよ。この子は未来の時期宰相候補さ。ベーベって名前なんだ。」
「エリートなんだね。立派だなー。」
バクーは殊更感心した様子でベーベを見下ろした。するとベーベはバクーに寄ってきた。
「ベーベは危機感じる。生き物は耐えられない事があると死ぬ。共生に耐えられない生き物死ぬ。」
沈黙が流れた。ノランとバクーは無言で地下世界を立ち去った。
市場で買い物をする人々、その中にミカはアンおばさんの姿を見た。周りの人にとっては最早人間と変わりない存在なのだろう。
誰もロバの様に巨大な芋虫である彼女の姿を気に留める者はいない。しかしミカにとっては悍ましいグロテスクな存在でしかなかった。
体が震える。動悸が起こる。逃げ出してしまった。
モンスター討伐とダンジョン攻略で生計を立てていた冒険者は皆、共生社会でのモンスター討伐禁止とダンジョン閉鎖を乗り越えられた訳ではない。
皆が皆悍ましい怪物と共存出来る訳ではない。耐えられない者は皆死んでいったのだ。絶望して死を選んだのだ。
モンスター討伐の経験が多ければ多いほど、怪物である彼らと共生する事に対して苦痛が大きかった。
良心の呵責を捨てたからこそ、怪物に心を見出す事を捨てたからこそ彼らは超一流の冒険者になれたのだ。
アッシュは家に閉じこもるようになった。人が会いに来るのはショーが毎月月極補償金を振り込んだ事を報告しに来た時ぐらいだ。
ミカおばさんは奔走していた。愛する息子クェーが引きこもりになってしまったからだ。
「クェー、食事は扉の前に置いておくからね。」
ミカおばさんはいつもの様に街でお客さんを運ぶために家を出た。
「死にたい。」
クェーのいつもの呟きだった。ショーの職場が壊れた責任の一端を自分が負ったのではないかという罪悪感が日々彼を襲う。
クェーは見てしまったのだ。アッシュとミカのその後を。
「クェー。入るぞ。鍵かかってるな。開けてくれクェー。」
「今の俺はショーさんに合わせる顔が無いです。」
「アンおばさんの手料理踏んじまった!ごめんクェー!アンおばさん!」
「クェー!魔法で開けるぞ。」
ショーが見たのはボサボサと毛が伸びて臭いクェーだった。
「クェー……。」
ショーが洗浄魔法をかけてクェーを洗った。
「お母さんが心配してるぞ。」
「お前が元気ない事が一番悲しいんだ俺は。」
「ノーラン。頼む。」
ノーランの姿が、ノランそっくりの姿からクェーの初恋の相手の姿に変わる。
「クェーのそばにいてやってくれ。」
しばらくして、クェーが部屋から出てきた。
「すみあせん!ショーさん!夢が叶ったっす!あざっす!俺もうこれからは人のために生きるっす!」
「ありがとうノーラン。」
ノーランはいつものノランそっくりの姿に戻った。
「精霊って自分の姿こそ持たないけれど、誰かが愛する人の姿に変わってそばにいる。それだけでその人の心がみるみる回復していくの。」
「私が精霊として生きてて一番幸せな時間。クェー、ショー、ありがとう。」
クェーはそれからしばらくして母親のアンと地下世界の酒場に行き、冥王様そしてルルとジョーに再会した。
ノランとバクーとそして彼氏と別れたアンジーと、ショーとノーランも含めて皆で騒いだ。
とても楽しかった。
その日ミカは死んだ。それを聞いて次の日アッシュも死んだ。絶望して死んだ。
皆声を上げて彼らのために泣いた。
数年後ショーとノーランは質素な結婚式を挙げた。
それまでアッシュとミカを失った悲しみは癒えなかったが、愛し合う二人の幸せがついに悲しみを乗り越えたのだ。