前編
12時投稿分です。
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月は深紅に染まり、大地は紅蓮に染まる。
血のごとき無慈悲な深紅の月光照らす、燃え堕ちるその村を。
燃える村の、小さな家の中で幼い少年は目を覚ます。
少年は姉に押し込まれた本棚の隙からようやく出てきた。
「・・・おねぇちゃん?」
本棚の近くにいた赤黒く濡れた姉は、何も答えなかった。
地に伏し燃える炎は、母の形をしていた。
少年は、熱に浮かされたような足取りで炎に囲まれた家を出る。
「ここは、どこ?」
外は、少年の知る村では――いや、もはや少年の知る村ではなかった。
みんなで遊んだ広場も、夕暮れ時に母と共に歩んだ帰り道も、大好きだったあの子の居た家も、全てが壊れ、砕かれ、奪われ、死に絶えていた。
いやいやと首を振り、少年はその場にしゃがみ込む。
少年には、もう何もわからなかった、わかりたくなかった。
目をつむり、小さな両手で耳を塞ごうとした少年の耳に、すぐそばでガシャリという金属が鳴る音が届いた。
少年が目を開けて顔をあげると、そこには夜のような色をした鎧を纏う騎士がそこにいた。
『――すまない』
その騎士は、兜越しのくぐもった声でそう少年に謝罪した。
『もう少し早く我々が着けば、間に合えば君たちを救えたかもしれない。すまなかった』
騎士のその言葉に、少年の大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。
少年は、騎士の言葉でやっと現実を理解することができた。
ここは、自分の育った村で、家族も村のみんなももういなくて、今まで育った故郷すらもうないことを。
「う、うぁぁああああああああああ!!」
少年は泣いた。
自分の壊れそうな心を辛うじて守るために、泣き叫んだ。
そんな少年を、騎士は優しく抱きかかえる。
『君だけでも、助けられてよかった。――君の名は?』
泣きじゃくる少年は、その声になんとか答えようとするが、なかなか声が出ない。
嗚咽を抑え、そして何とか少年は声を絞り出す。
「――ライ。ライ・コーンウェル」
▽▲▽
かつての悪夢からライが目覚めると、そこには見慣れない、だがありふれた天井があった。
そこは、聖教会に所属する聖騎士であるライが、任務の途中で立ち寄った小さな町の古い教会にある、質素な部屋の中だった。
「そうか、任務の途中で、ここにお世話になったのだったか」
そう一人呟いて、ライは簡素なベッドから身を起こして、窓際の小棚の上に置かれた水を張った桶に向かって歩き出す。
桶の水面には、ライの顔が映し出される。
髪は肩口で揃えられた黒髪、中性的な線の細い整った顔つきに、蒼天の瞳。
今年で数え年17になるにしては、幼い顔立ちをしていた。
「髭でも生えれば、もう少し貫禄がつくのだけれど」
そう言って顎を撫でるが、そこからはつるりとした感覚がするだけで、髭の生える気配はない。
桶の水で顔を洗い、手ぬぐいで顔を拭きながら、部屋の隅に置いてある甲冑に目を向ける。
その甲冑は、通常の聖騎士のモノとは違い、夜を彷彿とさせる濃紺、そして何より違うのはその兜の意匠だ。
その兜は、修羅の様な厳めしい形相を浮かべているような姿をしていた。
この甲冑は、特別製。
聖教会に所属する聖騎士たちの中でも、特殊な使命を帯びた者たちのみが着用することを許される特別な甲冑。
異端を狩る、粛清騎士の象徴だ。
「さて、と」
顔を拭いたライは、手早く旅支度を整え、ここを後にする準備をする。
そして、最後に甲冑を着用し、兜をかぶって部屋を出る。
粛清騎士は、その役職上公の場で素顔を晒すことは禁止されている。
それは、時に恨まれることのある彼らを守る為でもあった。
「き、騎士様!」
しばらく廊下を歩くと、この教会を預かる老神父と出会った。
『神父様、おはようございます。昨夜は突然訪ねてきたにも関わらす、屋根を貸していただきありがとうございます』
兜越しのくぐもった声で頭を下げ、老神父に礼を言うライ。
ライのその言葉に、老神父は恐縮しきった様子でかぶりを振る。
「い、いえ、聖教会の同じ神を信じるものとして当然のことでありまして」
『そこまで恐縮なさらないで下さい。貴方の信仰心を疑ったりはしていません。ここに長居するのも悪いでしょうし、僕はもう出立します』
粛清騎士は、外聞が悪い。
異端を狩るその役割をゆえに、時に“死神騎士”と呼ばれる彼等は、面と向かって言うものこそいないものの、市民からの評判は良くない。
それは、同じ聖教会内の信徒からでも例外ではないだろう。
言葉にはしないものの、この老神父も内心怯えているのを、ライは感じ取っていた。
そうやって、老神父の横を通り過ぎ出口に向かおうとしたところで、ふとライは立ち止まり、彼に話しかける。
『そうだ、神父様』
「――っ!」
『この教会、あちこちに手が回っていない様子ですね』
教会の聖堂や、宿泊部屋への廊下など掃除は行き届いてはいるが、ところどころ老朽化の影響かガタが来ている様子であった。
おそらく修理も生活も人手も足りていないのだろう。
『この任務が終わったら、修繕と人手不足の件を解消してもらえるように、本部の方に申請しておきます。それでは、失礼しました』
そう言い残して、ライは教会を出た。
▽▲▽
その日の早朝から、馬を走らせて夕刻に差し掛かったころ、ライの眼に目的の一団が見えてきた。
『――あれか』
目的の一団は、カイウスの森の前で野営をする準備をしているところであった。
その一団の名を【黄昏の獅子団】。
近年急速に名をあげている傭兵団の一つだ。
魔獣討伐から、盗賊退治まで依頼料にこだわらず、さまざまな地を転々としてはその土地の問題を解決して回っている、大衆からの人気は非常に高い傭兵団だ。
「ん? 副団長~、誰か馬に乗ってこっちに来ます!」
馬に乗って、こちらに向かってくるライを遠目で見た、野営準備中の団員の一人が責任者の一人に声をかける。
「今行くから、ちょっと待ってろ!」
こういってその団員のもとに、銀髪赤目の青年が現れた。
「ありゃ、なんだアイツ? ちょっと団長を呼んできてくれ」
そしてライが、野営地へ到着する頃には、彼の容貌を不審に思った団員のほぼ全員が、何事かと集まっていた。
『野営設営中に失礼する。聖教会の者だが責任者に用がある。すまないが時間をもらえないか?』
手近に居たその銀髪の青年にそう尋ねるライ。
すると、その奥から大柄の男が出てきた。
190cm近い長身に、がっしりとした肩幅と鋼のような肉体をもった琥珀色の髪と瞳を持った大男だ。
「俺が団長のヴァンだ。なんか用か粛清騎士殿」
どことなく剣呑な声色でヴァンはライに問い返す。
それと同時に、ヴァンの言葉に周囲の団員たちがざわつく。
異端者を狩るという粛清騎士のうわさは聞いていても、実物を見るのは団員たちにとって初めてのことであった。
『数日前、聖女の元に神託が下った。ゆえに貴方に問う』
『――アカイシ・ゼンイツという名に心当たりは無いか?』
その名前が出た瞬間、全団員の中で唯一銀髪赤目の青年の表情が変わったのをライは見逃さなかった。
『貴様か』
そういって一歩を踏み出したライの行く手を、別の団員が塞いだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 副団長がどうしたんだよ!?」
その団員の言葉に、ヴァンもこういった。
「そうだ、異端だか何だか知らないが、コイツは、無論俺たちも悪いことなんざこれっぽっちもしていない。ちょっと待ってもらえないだろうか、話し合おう」
剣呑な空気を放つライに、ソレでも穏便に話しかけるヴァン。
しかし、そこは傭兵。
いざという時のために、背中に背負った大剣に手を伸ばせるように姿勢を整える。
『異端に例外はない』
ヴァンの歩み寄りの言葉を、ライは一言で叩き切る。
その声色には何の交渉の余地がないことが、ありありと感じられた。
実際に、粛清騎士であるライには――いや、個人としてのライ自身にも異端に歩み寄る気は毛頭ない。
『貴方たちは、村を焼かれたことはあるか』
「ん?」
『革命という正義の名を借りた、略奪を知っているか。異能の力に酔いしれ、殺戮を繰り返す悪魔の名を知っているか。異界の技術を得たがゆえに起きた戦争によって、どれだけの人々が息絶えたと思う』
「――お前、何を」
そう言ってヴァンがのぞき込んだライの兜の奥の瞳に、暗く激しい業火が猛り狂っているのが見えた。
瞬間、ヴァンの決断は早かった。
「アレクセイ、逃げろ!!」
ヴァンがそう叫ぶと同時に、背負った大剣を抜き放ちライに向かって叩き下ろした。
ヴァンが振り下ろしたその大剣を見切り、ライは一歩後ろに下がる。
その動作に合わせて背負った漆黒の盾を手に取り、その大剣に盾を当て軌道を逸らして回避する。
そして数歩後ろに下がったところで、ライはその盾に刺してある剣に手を添える。
『最後通告だ。異端を――転生者をこちらに渡せ』
ライのその言葉に、ヴァンは団員たちに号令を出すことで答える。
「お前ら! 奴を倒すぞ! アレクセイを――仲間を守れ!!」
「「「「応!!」」」」
団長の号令と共に、それぞれで戦闘準備を調える団員達。
彼らのその行動に、ライは剣を抜き放つことで答える。
『転生者に肩入れする者も、所詮は異端か』
その言葉と共に、ライが動く。
左手に持った盾を前に構えて、僅かな距離を特殊な歩法で瞬時に移動し、一番近い場所にいた団員の頚を盾の縁で全力で殴りつけ、頚骨を粉砕する。
その盾を使った攻撃の円運動エネルギーを活かしたまま、回転するように右手の片手半剣を次の標的に狙いを定め、別な団員の胴を横なぎに断つ。
秒未満の間に二人の命を奪ったライのその動きに、団員たちの間に動揺が走る。
その動揺を見逃さず、疾風の如き素早さで彼ら隙間を走り去り、銀髪の転生者――アレクセイへ肉薄する。
『転生者は、殺す』
「させるか!!」
その瞬間、ライのわき腹にヴァンの蹴りが突き刺さる。
蹴りの勢いで豪快に転がるライだが、即座に受け身を取ると共に剣を地面に突き刺し、速度を殺す。
そのまま態勢を整えると同時に、地面に罅が入るほど踏みしめ、勢いをつけて再びヴァンに向かって突貫する。
そして勢いよくライの盾とヴァンの大剣とが激突する。
「お前らは下がれ――いや、アレクセイと一緒に逃げろ! アレクセイとお前らさえ残れは、【黄昏の獅子団】は不滅だ!!」
「団長、それは!」
それは、ヴァンが下した三つの判断の結果だった。
一つ目の判断は、自分以外の団員たちが束でかかっても、この男には勝てないということ。
二つ目の判断が、アレクセイと仲間たちさえ生きていれば、団は守れるということ。
三つ目の判断が、自分でもおそらく勝ち目がないということ。
「早く行け!!」
ヴァンがそう叫んだことで、彼の意識が一瞬ライから離れる。
そして、ライはそのわずかな隙を見逃さない。
大剣を受け流し、その大剣の背を右手の剣の柄で叩きつけ、地面に落とす。
そして一気に姿勢を低くし、瞬間的にヴァンの大剣の影――死角に侵入し、彼の視界から姿を消す。
その大剣の背に沿うように片手半剣を走らせ、ヴァンの腕を切りつける。
「――っ!?」
切りつけられそうになったヴァンは瞬間的に大剣から手を放し、大きく後方に移動。
助走をつけて拳をライの顎を狙って殴りつける。
ライはその拳を見切り、紙一重で躱す。
そして躱す動作そのままに背後に回り込む。
すれ違いざまにわき腹に一閃、更には背後から急所たる心臓に剣を突き入れた。
「お前、そこま、でっ」
それが、【黄昏の獅子団】の団長であるヴァンの最期の言葉となった。
『次は、誰だ』
物言わぬ団長の身体から剣を抜き取った彼は、そういって周囲を睨みつける。
鬼神のごとき動きで歴戦の猛者たるヴァンを殺したライの視線に、団員たちは硬直した。
――しかし、それも一瞬のことだった。
「副団長は、逃げてください」
団員の一人がアレクセイにそういって、長剣を構えて前に出た。
その無謀ともいえる行動に、アレクセイは目を剥く。
「お前、何を考えて!」
「副団長さえ生き残れば、まだ【黄昏の獅子団】は再結成できます。大丈夫です。貴方が逃げる時間さえ稼げれば、オレらも散りじりに逃げます」
「カイウスの森の中は鬱葱としていて、アイツは馬では追ってこれません。副団長の腕なら道中に魔物が居ても問題ないでしょう」
そういって、次々に団員たちが、各々の武器を手にアレクセイをかばうように、ライの前に出る。
団長の仇を討ちたいという気持ちは、少なからず彼らにはあった。
だがそれ以上に、団長の最期の命令を実行しようと彼らは思った。
圧倒的な実力差を前に、死にたくないと、震えながらも剣を取る者も中にはいた。
もしかしたら、今いるアレクセイを差し出せば、命だけは助けてもらえるかもと一瞬考えてしまった者も中にはいた。
だが、結局皆は、ライの前に立つことを選んだ。
それは、誇りの為であり、共に戦った日々を裏切らない為であり、そして何よりも自分の心の底から湧き上がる正義を守る為であった。
「我々は、【黄昏の獅子団】は、自分の命乞いの為に仲間を売ることだけは絶対にしない!!」
――そういって啖呵を切った団員の首は、次の瞬間には地面に落ちていた。
『転生者に加担し、僕を邪魔した時点で、君たちは皆殺しだ。異端の粛清に例外はない』
ライのその言葉を引き金に、団員たちは一気呵成に攻勢をかけ、アレクセイは森へ走り出した。
――そもそも、聖女の神託が下りた時、転生者がいるのが【黄昏の獅子団】の可能性が高かった。
その時点で、このような事態に陥る可能性があることを聖教会側は考慮していなかったのか。
その答えは、否である。
初めから、どのような人物であれ【黄昏の獅子団】内に転生者が居た場合、彼らが素直に身柄を差し出すとは聖教会側も思っていなかった、衝突する可能性を十分に考慮していたのだ。
ならば、何故その任をこの若すぎる騎士一人に課したのか。
その理由は、単純。
一人で、事足りるからだ。
14名の団員たちの奮闘は、結果的に多大な成果を上げた。
なんと、粛清騎士ライを相手に60秒もの時間を稼げたのだから。
次は16時に投稿です。