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藤ノ木橋

 

 Rさんはその晩、家に帰るのに近道をした。


 なかなか抜けられなかった、大学のサークル飲み会。最寄りの駅を降りた時には、門限ギリギリになろうかという時間だったのだ。家では厳格な父がイライラしながら帰りを待ちわびているに違いない。


 だからRさんは、いつもは通らない、家の近くの林を抜けることにした。普段は、ましてや日が落ちてから通るのははばかられるような不気味な道だが、Rさんは足を踏み入れた。なに、昔はよく遊んだものだ、と自らを奮い立たせて。酒の力も、少しは彼女の背中を押していただろう。


 だが林に入った途端、世界から隔絶されたような気分になり、Rさんは後悔した。車の走行音が遠のく。当然人の姿はない。Rさんはすがるように、木々の隙間から外の景色を窺おうとしたが、薄く霧が出てきたらしく、それは叶わなかった。


 もう少し。あと少し。すぐに通り抜けられる。Rさんは歩きながら、震える唇で、そんな言葉を呪文の様に唱え続けた。酔いは完全に醒めていた。


 と、川のせせらぎが耳に届いた。Rさんはほっとした。この先の橋を渡れば、家の前の道に出るのだ。


 やがて橋が視界に現れた。古びた欄干には「藤ノ木橋」という名前が彫られている。この辺りに藤の木はないのに、と今更ながら不思議に思えたのも、少しは余裕が出てきたからだろう。


 霧は濃くなり、橋の先までは見通せない。なに、大丈夫。そんなに長い橋じゃなかったはずだ。Rさんは自らを鼓舞して渡り始めたが、しだいに、おかしいと思うようになった。


 どれだけ歩いても、橋の終わりが見えてこない。欄干はどこまでも続いている。もう100メートルは歩いただろうか。自分の荒い呼吸音と、足音だけが木霊している。


 いや。もう一つ、足音がある。背後から、近付いてきていた。Rさんが足を止める。背後の足音も止まる。また歩き出す。足音は付いてくる。


 恐ろしくなり、Rさんは走り出した。足音も速度を上げる――。


 Rさんはたまらず、しゃがみ込んでしまった。目を固くつむり、ごめんなさい、ごめんなさいと、心の中で繰り返した。足音は、だだだ、と近付いてくる。いつの間にか、川のせせらぎは、低い無数のうめき声に変わっていた。


 気付いたときには、霧が晴れていた。立ち上がると、すぐそこに橋の終わりがあった。時刻を確認すると、まだ門限には間に合う時間だ。


 思い切って振り返ってみると、橋の全貌が見通せた。長さは10メートルもなかっただろう。


「その後、色々と地域の歴史なんかを調べてみたんです」


 Rさんは語る。


「だけど、予想に反して、その林や橋で昔何かあったというような記録はなかったんです。お墓だったとか、刑場だったとか……」


 曰く付きの場所なら、まだ納得できる。しかし、そういったものが無いにもかかわらず、Rさんは恐ろしい体験をした。そのことが、体験自体よりも恐ろしいことだったと、Rさんは感じたらしい。


 最後にRさんは、こう言って話を締めくくった。


「それと、あの藤ノ木橋ですけどね。あの『フジ』は、実は『トウ』って読ませるんじゃないかと思うんです」






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