‐下僕の誓い‐
生き物を飼う。
どの種類を飼うかはその人の好みだが、やっぱり飼ってみて思うことは『可愛いから飼ってみれば』なんて気軽に言えない。
猫を飼うと決めたとき、色々調べたもんだ。
だから、エッセーも書いた。
なんで書いたって言うと、調べたときに『猫を飼う前に』の内容で詳しく書かれてあるのがあまりなかった。……というのは誤解を与えるかもしれないが、見るもの見るもの、どこからか引っ張って来たものだった。コピペか? と思うぐらいに同じ内容。
勿論、中には疑問に思っていることに対して、“こういう可能性がある”と示したものもあったが、「それすら元は一体どこなんだ?」と溢れている。
まあ、人間について――病気の症状だとか、精神的なもの、それらは“人類みな同じ”な代わり映えしないことが書かれているので、どの動物、ペットにしたって同じことなのかもしれないが…
「お前、ほんとに飼ってんの」
と、ぶつけたくなる。
うん。
飼い主として我が家のペット自慢したくなるのはわかる。あと、ペットの苦労とかね。私もするし、したい。「ガリガリ君はぁ、発育不全だったせいか、うまれたときから前脚がちょっと歪んでいる。でも頑張ってます!」的な何らかの同情ひこうとか、それでも可愛いです、なんて幾らでも言えるけれど、でも発信するのはそれじゃないんじゃなかろうか?
だって、元気だもん。
餌食うし。おやつ食うし。おやつを貰うためなら指示も覚えちゃうし。うんちしてるし、遊ぶの大好きだし、ストーカーもする。
でも、それが可愛いじゃなくて、もっと細かな点を書かなければなぁと大雑把だけれど思う。
“飼う”という行為に何が含まれているのか――
飼えば何があるのか、そもそも飼う前に何が必要なのか。飼うと決めた時点でどう考えたのかとか、「可愛いから飼ってみそ☆」で何か得らんのか――
可愛いよ、と教える。やっぱり猫は可愛いんだな、と確認させる。飼う、飼う前に、その前に植え付けるような「猫って可愛いんだな」を読み手に与えたら、次は『飼う前に』とある程度の心構え――自分はどうだったのかを発信出来るようにしたい。ま、そのエッセーは書いたので、今はひたすら猫がいると癒やされるわ〜と新たに感じることについて、ガリガリ君の成長と共に考えることを書きたいと思う。
猫のいる生活。
可愛いだけで成り立っているわけではない。その感情は最終的なものであって、「あんなことこんなことがあったけれども猫っていいな」を些細なことだろうし、そんなことわかってるわ!と言われることだろうと思うけれども、猫を飼った一例として私は「飼ってみたい」と考える誰かさんに向けて、またエッセーを見てくれた人に自分の体験談を伝えたい。……みたい。
以上であります。




