1-1 接∽続
カーテンの隙間から漏れる月明かりに照らされてタツキは目を覚ました。
視界は、ハッキリとしていなく喉は、乾燥によって爛れ身体のあちこち──特に頭が集中的に痛い。病から目覚めた時のような、不快感が全身を包んでいる。実に嫌な感覚だ。
「なんで、僕は部屋にいるんだっけ……?」
重い瞼をなんとか開き、乾燥しきった喉を絞るようにして声を出す。
そう、タツキはついさっきまで教室でクラスメートと談笑していたはずだ。
ふと、壁に掛かっているアニメ作品のキャラクターが刻まれた針時計を見る。
時刻は、10時──。タツキの最後の記憶では大体、午前9時ぐらいだったはずだ。
つまり、13時間ものあいだ眠っていたということになる。
なんとなく、記憶を辿っていくと自分がここで眠っていた理由を思い出す。
「あー、倒れたのか僕……」
思い出した。
いつものようにクラスメイトと談笑に更けていたとたんに、視界がだんだんと暗くなって、頭が茹でられているようにボーッとしてきて……おそらく倒れた。
その後、どういう経緯で家まで運ばれたのかは知らないが、家にいる以上、病院に運ばれるほどの重大なものでは無いことに安心した。
なんとなく、経緯を思い出した上で、痛む頭を右手で押さえながらゆっくりと立ち上がる。貧血を起こして倒れそうになるが、壁に寄っ掛かりながらなんとか、部屋のドアを開ける。
ドアの先には、一切人工的な光はなく。大きな窓から月明かりが照らしているだけだった。
薇華は、もう寝てしまったのか……。
少し残念に思いながら、物音を立てないようにそっと階段を下りる。
両親の要望でバカみたいに広く作られた家にも、今となっては暮らしているのは、タツキと2つ下の妹の薇華だけである。
子供だけでは心配だとたまに母親方の祖母が様子を見に来るが、家事全般が得意な薇華のお陰で、生活にはこれといって問題もない。金銭的な問題についても、祖父が月々に仕送りをしてくれるし、父親の保険金や貯金もあったので特に問題はない。
中学生にとって10時というのは、まだ眠る時間ではないとは思うのだが、受験生でもある薇華は布団に入る時間が異様に早く、また起きる時間も六時という小学生低学年のような生活を送る。だが、まぁ勉学に関しても今のところ特に問題もないようで、学年でもトップ10に入れるぐらいの学力は保持しているようなので心配は要らないとは思うが。
タツキは自分のグラスを取り、冷蔵庫から一本のお茶を取りだし一気に流し込む。
乾ききっていた喉に一気に水分が行き渡り、頭痛も少しばかり収まったような気になる。
十分に水分をとったあとで、グラスを流し台に放り込み、通学鞄の中からスマホを取り出す。
電話8件のメールが27件。
慢心しきった顔でメールを開くと、それはすべて学校の友人からのメールであった。
内容は、大丈夫?というような身体を労ってくれているような内容。そのおかげでやはり自分が倒れてしまったことを確認できた。
それによく見ると、クラス内だけでなく、学年を越えて後輩からもメールが来ていた。
そう。
それほどまでにタツキは、学校に定着した存在となっていた。
スクールカーストで言うところのサッカー部やらバスケ部のエースたちがいる一軍に、運動部無所属のタツキは無条件で存在していた。
タツキは運動は苦手だ、成績は高いほうだが、一番ってわけでもない。そんな人間がスクールカーストの頂点にいる理由。
それは人柄の良さだ。
男女平等に当たり障りのない性格をしており、空気が読め、気の利くーーそれでいて整った顔立ちをしており、中性的な印象を与える顔は、美形と言える。それに加えて、高身長で体格もよく、実に恵まれた容姿の持ち主だ。
そんなタツキは、真顔でメール一つ一つに丁寧に誤字がないようにしっかり確認した上で送信。
ときおり、時間を気にしてあえて返信をしないでおいた。
「はぁ、面倒くさい……」
様態を労るようなメールに対して、面倒くさいとは、随分と卑劣且つ無情な発言であろう。
そう、これが黎条タツキの本音だ。
相手の内面をきっちり調べあげ、適切な反応や機嫌を取り、好感度アップに繋がることならば、多少のリスクを背負ってでも実行し、かならず成果を上げる。その苦労の一方で、人前では笑顔を欠かさず、男女問わず平等に接するのだ。
分かりやすく言えば──クズだ。
だが、一概にクズとも言えない。
いくら、自分にとってメリットがない相手でも切り捨てるようなことは出来ないし、困っていたら善意で助けることだって当然ある。
まぁなんだ。クズになりきれてないクズとでも言っておこう。つまり中途半端なのだ。タツキという男は。
一通り、メールを返していると、既に10分が経過していた。いくら打つのが早いとはいえ、16人もいればこのぐらいの時間はかかってしまうだろう。
なんだか疲れたな……。
そう思い、タツキはこれまた無駄に広いバルコニーに出た。夜風が気持ちいい夜だった。
「あの日もこんな夜だったな……」
気持ちのいいはずの夜風に吹かれながら、タツキは昔のことを思い出す。4年前のあの日のことを──。
けたましく鳴り響くサイレンの音、その音に耳を塞いで俯いていると、今度は明るい光がタツキの周りを照らす。泣きわめく母親ーー血まみれで倒れている父親。
そして、貼りつたような、薄っぺらい同情の笑顔で手を差し出してくる警察官ーー。
「チッ、嫌なことを思い出した」
悪夢を断ち切るように舌打ちをして、タツキは勢いよく首を振った。不機嫌そうな顔を浮かべてスマホを開き、一枚の写真を見つめる。
笑顔でピースを作る母親につられて照れたような顔を浮かべてピースを浮かべるタツキ。そして端のほうで、一切の笑顔を見せず、証明写真のような仏頂面の父親がそこには、写っていた。
「本当に最悪な父親だよ……」
タツキが吐き捨てるように呟いたその瞬間──。
「──あぁ、全くだ」
背後から声がした。
若い男性の声だ。
勢いよく振り向くと、そこには一人の男が立っていた。
漆黒を思わせる黒い髪を目が隠れるぐらいまで伸ばし、前髪の隙間から覗く深紅の瞳は果てのない空洞のように暗く、口元は大きく歪んでいる。
服装はいたって普通で、黒いジーパンに紺色のパーカーを羽織っている。
「お前、どこから……」
タツキが一歩、後退りながら問うと、男は口元を歪めたまま、自嘲気味に笑って言う。
「ぶっ殺しに来たんだよ、なにもかもを」
その笑みを見て、タツキは背筋が凍るような寒気を感じると同時、その果てのない瞳を見て気がついた。
コイツは、これまでにいくつもの命を奪ってきているのだと。
それにこの異様な空気──それだけでタツキは自分の死が間近にあることまで悟ってしまう。
「そうか、そうみたいだな……でも、悪い。僕はこんなところじゃ死ねないよ……」
感じているのは、恐怖ではない。死だ。
相手は凶器すら持っていない。それでもタツキは本能的に分かってしまった。コイツは本当に自分を殺しに来たのだと。
だが、当然諦める訳ではない。必死に生き残る手立てを考える必要がありそうだ。
魔術でも使えたならば、この状況をなんとか切り抜けることも可能だろうが、残念なことにタツキに魔術の心得はない。
逃げるしか無さそうだ。
そう思い、理性をかき消すように叫びながら、バルコニーを飛び降りる。
地面までおおよそ六メートル。着地と同時に衝撃が全身を支配したが、それを振り切り走り出す。全速力で。
走りながら、背後へ振り向くと男は、ゆっくりとそれでいて確実に近づいてきていた。ただ、走っている訳ではなさそうなので、もしかしたら逃げ切ることも可能だ。そんな希望にかけてひたすらに走る。
人気の多い、駅前を目指して。
「はぁはぁ……」
にしても、体力がない。
生まれてこの方、ロクに運動をしてこなかったこともあり、運動は苦手だ。まだ三分程度しか走っていないが、だいぶ疲れ始めている。それでも駅前から漏れる明かりは確実に近づいてきている。もう一度、振り向くと男は、追いかけてくることなくこちらを見ているだけ。
大丈夫なのか……?
そう思い、一度足を止め男の方を凝視する。
すると、突然男の姿がかき消える。まるで瞬間移動をしたかのように──。
──そして。
グジャ……
その瞬間、左肩から熱が上半身に響き渡る。不自然に思い、左肩に目をやると、黒く鋭利ななにかが、左肩を貫通させるようにして刺さっていた。徐々に白いシャツを染めていく紅がじんわりと広がりその熱が痛みであることを理解した。
「う、うわぁぁぁ!!」
叫ぶと、その黒いなにかは勢いよく引き抜かれそれと同時にまた激痛が身体中を貫く。
「そう叫ぶな、言っただろ……殺すって」
さっきの男は、一瞬でタツキの背後に回り込んでいた。
耳元でそう囁かれ、左肩を押さえながら振り向くとそこには、先ほどとは少し違う男の姿があった。
長い前髪は、左半分だけ後ろに持っていかれていて、右肩には斧のように太くて狂暴そうな剣を担いでいた。漆黒の切っ先は、ベットリと紅に染まっている。
「お前……本気なんだな……僕が一体何をしたって言うんだ……」
まったく宛のないタツキは、冷や汗を浮かべながらその男に問う。それに対して、男は返答の代わりに剣を勢いよく地面に突き立てて呟く。
「何をした……だと……?」
俯いたまま、そう呟いた男にタツキは不思議そうな視線を送る。
すると、突然だ。突然、吹っ切れたようにタツキをキッと睨み、落ち着いた声音で、それでいて怒りを強引に宥めたような震えた声で言う。
「何もかもだよ、全部お前のせいなんだよ、お前さえいなければ」
そう言って、意味ありげな視線を送った後、地面に突き立てられた剣をゆっくりと持ち上げ、切っ先をタツキの顔の目の前に突き付ける。
「いや、違うな。悪いのはお前だけではない、だが、ここでお前を殺しておかなければまた大勢の人間が死ぬ……我儘だが、お前にはここで死んでもらわなければ困るんだ」
そう言って、覚悟を決めたように勢いよく、風を凪ぎ払うように剣を横向きに勢いよく振る。
剣の動きを咄嗟に見切り、左肩をグッと握り締め、身体を捻る。
「困る……?知るか!そんなもん、僕は僕でやらなきゃいけないことがあるんだよ!こんなところで死んでたまるか!」
不条理な男の物言いにそう叫んで、ロクに動かなくなった左腕を押さえていた右手で、男の顔面めがけて勢いよく拳を突き立てようとする。
が、しかしーー。
勢いよく突き出した拳は、肘下から切断され、鮮血で夜空を染め上げるようにして腕は宙を舞い、数秒後、生々しい音を立てて落下した。
切断部分から遅れて吹き出した血液で視界が埋まる。
「あぁぁぁぁぁぁッ!う……あぁぁぁッ!」
今までに感じたことのない激痛で地面にのたうち回る。そんな無様な光景を男は、切なげな表情で見下ろす。
「お前の持っている力は、危険すぎるんだ……よってここで終わらせる。悪いな染羽……いや、黎条と言ったか」
そう呟いて今度は切っ先を夜空に浮かぶ月に重ねるようにして持ち上げる。
さらばだ──。
上空へ持ち上げられた剣は、のたうち回るタツキの首を確実に捉え、切断した。
気持ちの良い夜風に運ばれて、男の鼻を血なまぐさい香りが掠めた。
転がる首が奏でる生々しい音は、声もなく最期を告げられたタツキの断末魔のように、沈黙の夜道に広がる。
その生々しく死を感じさせる遺体を様々な思いを錯綜させながら、しばらく見下ろしていると──。
『ギュイィィィン……』
タツキの死体を中心として、突如として大きな円上の魔法陣が展開された。
それにいち早く気がついた男は、眼を見開いて魔法陣から距離を取る。
「……なぜ、たしかに殺したはずなのに!」
大きく展開された魔法陣からは、吐き気を催すような魔力が溢れでており、無数に並べられたルーン文字が煌々と白い光を放つ。
すると、ゆっくりと魔法陣の中心からから小さな球体が出現する。半分は赤く、もう半分は青いなぞの球体。
その球体を目にして、男は絶句した。
見ているだけで、眼球が潰されされそうなほどの衝撃を放つ魔力と生命力。そこにあったのは、ただの球体ではない。
──世界がそこには、広がっていた。
それをしっかりと認識するよりも早く、世界を思わせる球体から広がる光に意識を奪われる。
そのまま、瞬間的に世界が誕生するまでの記憶が無数の文字や言葉、情景と共に、一斉に男の頭の中に流れ込んでくる。
生命──願望──希望──絶望──。
とてもじゃないがその規模の大きすぎる情報量は男の頭では処理しきれるはずもない。
「オルオット……貴様……いつのまに……」
男は、絞り出すようにして声を出しながら、煌々と輝く屍に手を伸ばすが、限界を迎え男は鼻口から血液を垂れ流し、その場に静かに倒れた。
男が倒れると同時、小さな街頭が照らす夜道は一瞬で無限に続く暗闇へと変化を遂げる。
そんな宇宙を思わせるような壮大な無限空間の中に一つの声が響き渡った。
『能力の発動を確認。接続対象を二つ確認。コネクト開始ーー』
無機物的な男性か女性かも判別できないような声がそう告げると同時に、辺り一体、世界そのものが歪な形へと変わっていく。生命は、一筋の光となり、男の身体とタツキの死体はゆっくりと宙を舞う。その暗闇は、敷衍することもできないほど、変わり果ててしまっていた。
ブゥゥンという音と共にすべての生命が一斉に一つの光と化し、草木はその流転を乱舞する。
そこにあるのは、崩壊だ。
機械的な起動音のようなものが響くだけで、その他の音はまるで存在しないかのように、静まり返っていた。
そして当然のように世界は形を変えた。
だがその無音の数十秒間で、多くの人々が死に、多くの人々が生命を宿した。
ーー接続を完了しましたーー
無機物的な声がそう告げたと同時、世界は世界の理を覆すようにして姿を変えた。
二つの世界は、繋がってしまったーー。