工房の周囲に砕け散った神聖法具とか黒く焼け焦げた経典の断片などが散らばっているけど、居候は『私ジャナイヨ、デモ変ナノイタカラ倒シタ☆』との供述を
引き続きジェイムズ視点です。
薬師ギルドの職員寮を退寮することは、二級薬師昇進が決まった時に既に打診されていた。
そもそも僕は職員ではない。
ときどき薬師ではない人物が寝泊まりする。
例の前の一件で寮住まいの職員がひどい寝不足に陥ってしまった。
全くもって僕の自業自得である。
「二級薬師なんですから個人の工房を構えても問題ありませんよ」
例のキノコ騒動でもお世話になった薬師ギルドの上級職員さんは、ギルドに登録してある僕の業績記録を確認しながら太鼓判を押してくれた。
一年間で二級薬師の資格を得るのは異例だが、前例は幾つかある。
薬師ギルドの記録には僕より若く二級どころか準一級薬師に特進した人もいるので、そういった天才達に比べれば僕は常識的な範疇らしい。
ちなみに僕が二級薬師の資格を得た書類上の理由は「調薬用精製水の改良」という事になっている。
モールトン伯爵領第二の都市ブリストンは大理石の露天掘りで発展した。切り出された大理石は領都アレクシスを経て帝都にも送られる一方、良質の大理石を求めて彫刻家達が長期滞在しては様々な作品を生みだしている。
そんなブリストンの街、河川や地下水に石灰分が多く含まれている。
街に備え付けている浄水施設で飲用に耐える程度の処理をしているけど、それはごく最近の話。昔からのブリストン住民は喉が渇けば度数の低い果実酒や麦酒あるいは家畜の乳を飲むほどだから、昔は相当酷かったのだろう。
で。
その水質の酷さは、調薬にも悪影響していた。
どれだけ丁寧に下処理しても薬草の成分がまともに抽出できないのだ。同じ量の薬草と水で、推定される薬効は故郷ロイズ村で調薬した回復薬の半分未満。しかも薬草の量を増やしても薬効は一定以上には増えない。
そりゃあ兄弟子が変態的な執拗さで薬草の細胞を破壊するし、師匠の存在を知ったら押し掛け弟子にもなるよ。
水質については二人から忠告を受けていたので覚悟していたけど、実際にブリストンで飲んだ水の硬さに僕は閉口したものだ。
これではまともに調薬できるはずもない。
ブリストンで活動する冒険者達にとって飲用タイプの回復薬は不可欠な代物。ブリストンの薬師ギルドは膏薬方式の回復薬を開発していたけど、水薬は傷口についた泥や糞を洗い流して消毒するという用途もある。
それらの事情をふまえて僕が取り組んだのは、調薬に使用する水の精製だ。
といっても大した工夫ではない。故郷にいるゴブリンの呪術師が仲介してくれた地精霊の護符を蒸留水の瓶に貼り付けたところ、石灰や苦土が析出したのだ。
本来は金属に含まれる砒素などを除去する魔法らしいのだけど、魔法の理屈を学び錬金術の知識などをふまえて地精霊に交渉したところ『水精霊に一泡吹かせられる』と乗り気で応じてくれたらしい。
薬師ギルドにも『蒸留』『抽出』『分離』といった、いわゆる生産魔術の使い手はいる。それでも石灰や苦土の除去においては薬師の一般的な知識だけでは不十分らしく、僕が調製する精製水は他に比べて圧倒的に高い純度となり薬師ギルドを驚かせた。
現在薬師ギルドでは冒険者ギルドに協力を要請し、呪術師と錬金術師の技術で精製水の大量生産を目指している。その成果は冒険者ギルドに供給される回復薬の品質向上と価格低下という形で現れており、外の街から輸送して差額で儲けていた一部商人を除けば概ね歓迎されている。
「工房設置の許可をいただいても、建物や器具を買い揃えられるほどの稼ぎは──」
「時間の問題ですよね?」
「──はい」
ここ数ヶ月に卸した薬品の量と価格の伝票を手に、上級職員さんは笑顔で凄む。
発情キノコ騒動時の鎮痛剤に鎮静剤、それに前述の回復薬の納入で薬師ギルドの口座には割と凄い額のお金が預けてある。それが自分の実力だと勘違いしてしまいそうで、正直直視したくない。
「工房物件に関しては、ロイズ村に転居された二級薬師ゲイリー師よりジェイムズ君に譲渡したいと連絡を受けています。建物の修繕や器具の買い足しなど出費は避けられませんが、勝手ながら当ギルドで見積もった額がこちらで」
「……一応、今でも支払えそうなんですね」
「はい。ゲイリー師より『増長しない程度に良心価格でぼったくり』という依頼を受けましたので」
ぼったくりですか。
でも、調薬前提で設計された工房。しかも住居一体型というのは、退寮した僕にとっては有り難い話。兄弟子が長年使っていた物件というのも、不思議な因縁を感じてしまうわけで。
うん。
いろんな意味で僕は未熟なのだろう、はやく本当の意味で一人前になって、師匠や兄弟子に恩返しをしたい。
▽▽▽
兄弟子が使っていた工房は、薬師ギルドがずっと管理していた。
いつか修業を終えてブリストンの街に戻ってくるかもしれないから。
あるいは、
工房の中にどんなブツが眠っているのか予測できないから。
なんとも兄弟子らしい理由である。
清掃と引っ越しの手伝いを冒険者ギルドに依頼したら、なぜか黄等級で完全武装した冒険者が二チーム派遣されてきた。ギルドの説明では行進訓練を兼ねた保険だと言うことだが、冒険者達の顔は青ざめていたしギルド職員は僕に視線を合わせようとしない。
実に兄弟子らしい理由である。
「ここ、違法な人体実験を繰り返して聖騎士様に討伐された吸血鬼の隠れ家だって噂が」
「違います。樹精の宿った霊木にカミキリムシをけしかけ産卵させようとして、三日三晩吊された後に弟弟子を人身御供にして助かったロクデナシです」
僕の初体験は樹精のおねいさんでした。美人だったのが救いです。
「悪徳貴族に恋人を汚された青年彫刻家が、大理石の彫像に悪魔の魂を宿らせて復讐したって聞いた」
「違います。村の年頃の少女をばんばん妊娠させた癖に全く認知しなかったクズ野郎の所業に笑顔でぶち切れて、ちんこ勃起しそうになると激痛走って黄色い膿が出てくるような毒をピンポイントで炸裂させた性教育の伝道者です」
ブツは毒キノコの一種でした。
ブリストンから大金払って呼び寄せた豊穣神殿の女司祭さんにアッサリ解毒されたけど、その女司祭さんを娼婦扱いして押し倒そうとしたアダムスは半年間勃起不全の神罰を喰らいました。
その後、冒険者や薬師ギルドの職員さんを交えて幾度かの情報交換を行ったところ「すまん。違約金を支払うのでキャンセルさせてほしい」という冒険者達の泣きが入り、工房の片付けと清掃は僕ひとりで行うことになった。
薬師ギルドとしては回復薬などの定期納入が途絶えてしまうので避けたかった事態だろうけど、人手がない以上は納入はしばらく見合わせで。
え?
はあ。
払い下げ価格を二割引きするから薬師ギルドの工房に通えと。
次は青等級以上のベテラン冒険者を指名依頼で引っ張ってくる? そこまでやると?
「多少の損は被ります。有能な生産職が街を拠点に活動してくれる方が、中長期的に見れば多大な益を生むでしょう」
おお。
薬師ギルドは本気だ。
そこまで言われたら仕方がない。
退寮手続きをして既に三日、仮の住まいという気分で選んだ宿は朝晩の食事が美味しかったので宿泊延長はそれほど悪くないと思っている。
「分かりました。それでは掃除の目処が立つまでは、ギルドの提案通りに」
言いながら、施錠された門を開ける。
この物件、改めて見てみよう。
冒険者ギルドから少し離れた、外見は庭付き一戸建て。ただし庭は三方を高い塀で囲われているし、店舗を兼ねている家屋の入り口には厳重かつ物騒な鎖付きの鍵がかけられている。
御近所さんとおぼしき住民がいたので会釈の後に引っ越しの旨を伝えてみたら「え、あのお化け屋敷に」と驚かれた。
兄弟子、あんたロイズ村に来た本当の理由は別にあるんじゃないか?
「とにかく、まずは家の鍵を」
次に帰省したら兄弟子をとっちめよう。
そう決意しながら薬師ギルドで預かった鍵で鎖付きの錠前を外したら、扉の向こう側からギニャーという悲鳴と瘴気っぽい真っ黒な霞が扉の隙間から漏れてきた。
あわてて家に引っ込み施錠する御近所さん。
横にいたはずの薬師ギルドの職員さんは「それでは私はこれで」と接客用の笑顔のまま逃げ出した。引き止めることも可能だったけど、責められるべきは彼ではなく兄弟子だ。
そもそも本物の瘴気だったら、街に拠点を構える各種神殿が放置していないだろう。
僕はそう結論づけると、扉に手をかけた。かつて兄弟子の尻拭いとして樹精ドライアドの人身御供になった時のことを思い出せば、幾分かマシの筈である。
……
……
『来チャッタ☆』
扉の向こう、工房兼店舗スペースは意外なほど片付いており、埃などは全くなかった。
安全性と清掃の利便性を考えて石畳を敷き詰めた床の上には、一抱えほどもある植木鉢と、虹色の光に包まれた霊木の若木。
そして。
かつて師匠が封印したはずの痴女樹精が薄衣姿で目を輝かせながら僕を出迎えた。
「モンスタアアアア・ハアアアアアアウス!」
ガチじゃねえかと腹の底から声をだして叫ぶと、家の中から幾条もの
蔦が延びてきて僕を捕らえると屋内へと引きずり込む。
拘束されているけど、締め付ける力は最小限だ。
敵意はなさそうだけど、敵意以外のものは隠そうともしない。
『枝ヲ接ギ木シタノ☆ ソレデ封印カラ自由ニナッタ☆』
「誰がそんな物騒な真似を──って、一人しかいないよ!」
『ウン、アノ薬師』
「兄弟子いいいいいい!」
たぶん「面白そうだから」とかそんな理由で接ぎ木したのだろう。
よし、次の帰省では殴る。グーで殴る。
ふつふつと兄弟子への怒りをためていく僕に、樹精は機嫌良さそうに近づく。淡いライムグリーンの長い髪と瞳が彼女の種族を示しているが、それ以外の身体的特徴はエルフ族のそれと大きく変わらない。
見た目は十代後半。
精通直後に童貞を食われた頃に比べれば、若返っているように見える。それは若木に宿ったためなのか、それとも僕の精を吸った結果なのかまでは分からない。
『ジェイムズ、雌ノ匂イ。所有権、譲ラナイ』
上書き、上書き、と笑顔で髪と乳を揺らしながら樹精は近づく。
僕が斥候職の子に押し倒されたから、封印を無理矢理破ってやってきたとでも言うのか。首や胸元それに股間のあたりに顔を埋めてクンクンと匂いを執拗に嗅いでいる。
『ジェイムズ。薬草慈シム。森ノ命ニ感謝シテル。ダカラ、ジェイムズ、作ル薬、森ガ祝福』
「感謝の気持ち、伝わってたか」
『ウン。ダカラ、ジェイムズ、森ノ仲間。仲間ダカラ子作リ。生命ノ本質ハ皆イッショ』
「錬金術師とか狂的薬師が聞いたら食いつきそうな真理が垣間見えそうだけど、細胞壁のある相手と子作りは多分無理だぞ」
『人間ノ性教育、雄シベト雌シベデ説明スル。ツマリ、人間ト植物、交配可能』
拳を握り力説する樹精。
なるほど、思わず納得しかけてしまった。吟遊詩人が好む歌曲の題材には異種族との恋愛とか多いし、花の精に恋した人間の伝説とかも聞いたことはある。ドラゴンと人間とかそういう組み合わせに比べれば、樹精と人間というのは比較的おとなしいものかもしれない。
「樹精、かつて君を封印した師匠は二つ星まで上り詰めた錬金術師なんだ。具体的な等級を教えてもらったのは最近なんだけどね」
『ウン?』
樹精はモンスター種なのか。
実は冒険者ギルドでも定義されていない。植物という依代を得ている樹精は受肉した存在に限りなく近しいが、その本質は精霊だ。意志を持つエネルギーであり、森羅万象を司るものが精霊とされている。
「師匠が言うにはロイズ村で君の依代だった霊木は、地脈の交叉する場所に根を張って大莫大な霊力を吸収していた。普通の植物なら過剰なエネルギーでモンスター種に変異するところを、霊木という性質のおかげで植物としての本質を失うことなく成長して樹精を宿すに至った」
ロイズ村にいた頃の樹精は底なしの魔力を有していた。だから精霊でありながら限りなく人間に近しい身体を構築できたし、遠く離れたブリストンの街に分け身となる若木を転送させて自身も移動できたのだろう。
兄弟子が余計な真似をしなかったら、田舎村で穏やかな信仰を得て神格に到達したかもしれない。そんな存在を一時的とはいえ封印できた師匠はどれだけ凄いのか、冒険者になった今だからよく分かる。
「これは僕の憶測に過ぎないけどね。樹精は、その存在を維持するのに霊木を経由して大地の霊力を必要としている。でも植木鉢と石畳によって君の依代は大地から離れ、そもそもブリストンの地脈は長年の都市開発と大理石の切り出しでズタズタだよ」
ごくごく細い糸のような地脈が所々に通っているけど、それらの地脈上には薬師ギルドや冒険者ギルドなどの施設が構えてある。さすがの兄弟子も、地脈上に工房を設置するには至らなかったようだ。
「樹霊をいま動かしているのは、ロイズ村のから持ち出した霊力だろう。その最大量は、鉢植えの若木に蓄えられる程度でしかない。それが尽きれば霊木はただの樹になり、君は樹精としての自我と霊格を喪失するんじゃないかな」
これは故郷の知り合い、ゴブリンの呪術師からの受け売り。最初に聞かされたのは樹精との最初の遭遇後で、迂闊にも巻き込まれた僕へのお説教だと思っていた。
なるほど。
彼はこうなる事を予見していたのかもしれない。御近所に兄弟子がいるから、調薬の進歩と称して色々やらかすことは目に見えていただろうし。
『シ、シマッター!』
「いや、本当にどうするんだよ。鉢植えに蓄えてある霊力でどれだけ保つのか僕には分からないけど」
僕に抱きついていた樹精はがばっと身を起こし、深刻そうに僕を見上げる。しかし大して魔術的素養のない僕では、理屈以上のことは分からない。
「ちなみに僕の精気を吸い尽くしたとして、それだけで実体化を維持できる時間は」
『……三分間、クライ?』
燃費悪いなあ。
いや、高度な魔術発動と考えたら納得できるか。実践は不得手だけど理屈だけなら師匠に教わっているので、提案だけなら出来る。
消滅を自覚して恐怖しているのか身体を震わせる樹精の肩を掴み、僕は学んだ知識と冒険での経験を総動員することにした。
【登場人物紹介】
ジェイムズ……本編主人公。十歳の頃に樹精の美女(外見年齢二十代半ば)に童貞を奪われ一週間ほど疑似新婚生活を送った。女なんてもう信じない、を標語にしばらく過ごしていた。
上級職員さん……薬師ギルドの幹部候補生。薬師としての技術は凡庸だが、他人の才能を正確に評価できるという点でギルドや薬師たちの信頼も篤い。ただし物には限度がある。後でジェイムズに土下座して謝った。
黄等級の冒険者の皆さん……冒険者ギルドの、そろそろベテランと呼べるくらいに実力のある冒険者。逃げ出した際に真っ先に冒険者ギルド・薬師ギルド・衛兵詰め所の三か所に報告を入れるくらいには優秀。
ゲイリー……ブリストン時代の口癖は「んん~、間違ったかな~?」だった。悪魔が魂を売りに来るというのが当時の裏社会の評価。ただし違法行為は(表向き)やっていない。
ゴブリンの呪術師……ジェイムズの幼馴染であり、師匠枠の一人。薬師の道を選ばなかったら呪術師としてジェイムズを鍛えたであろう妖精。
樹精……ドライアド。地脈の交叉する場所に育った霊木を依り代として降臨した高位精霊。実体化寸前で神格化寸前だった。薬草や野草を丁寧に扱ってくれるジェイムズに感心しており、お礼として童貞を奪ったり押しかけ女房になったりして師匠の逆鱗に触れ封印をかまされた。主にゲイリーが悪い。