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六:きっと多分…友達のままでいたいんだ

 ただ ただ好きで、ただ ただ 好きと伝えたくて。


 ただその人の瞳に映りたくて、その人の心のうちに入りたくて、好きだといって欲しくて。


 がむしゃらにしがみついて繋げられていた無理な関係が崩れるのが怖くて、その傍に居れないことが寂しくて、自分だけを想ってくれていないと嫌で。


 離れていってしまう背中に何度声をかけようと――呼び止めようとしたことだろう。


 きっと自分達はお互いをちゃんと理解していないと解っていても、それは出来るものではなくて、しようとすら考えなくて、もう駄目だと俯いては俺は独り泣いていた。


 ああ、なんて自分は根性なしで、情けなくて醜い人間なのだろう。










 




 しつこい駒井に折れた俺がとうとう開き直った風に告げれば、自分から聞きたいと言ってきた奴が俺が動揺してしまうくらい不機嫌面をしていた。


 「…こ、駒井…?」


 恐る恐ると伸ばした俺の手首は駒井に届く一歩手前で痛いくらいに握り締められており、俺は苦痛に顔をゆがめた。


 「駒井、痛い…放せ」


 痛さと気まずさに耐えかねた俺は声をあげる。


 だが、駒井はそんな俺を無視してまるで聞こえていなかったように更に手首を締める手に力をいれ、俺を再びベッドへ押し倒した。


 その瞬間、すぅと背筋が冷え、本能的にヤバイと警鐘が鳴り出す。


 このままでは、俺と駒井は本当に友達の一線を越えてしまう…――!


 焦ってたらたらと冷や汗を流す俺を無表情に見下ろす駒井が、今は俺の知る駒井ではない別人に思えて、そして同時にかつて味わったことのない怖さを感じた。


 それはいわゆる身の危機である。


 むしろ、この場合は貞操の危機と置き換えても良いだろう。


 まぁ、もっともそれが、渋谷君尋という男の初体験であったならばの話だが。


 「こ、駒井…」


 俺は不安げな声で名を呼び、嫉妬に染まった瞳を見上げることしか出来ない。


 そのとき、ふと思った。


 自分は何がしたくて、何をどうしたいのか、と。


 俺は諦めた風に、ゆっくりと目を閉じた。


 けれど、それはまるで駒井から目を背けるようだった。


 ポツリポツリと、俺の中に自問する声が響いていく。


 答えをだすには必要だった。


 俺は、このまま進んでもいいのか――。


 俺の口元が緩み、嘲笑じみた笑みが浮かんだ。


 ――ああ。


 コイツは何してんだろう。


 そして、俺はどうしたんだろう。


 なんで抵抗しないんだろう。


 いくら駒井よりも一回り体が小さいからって、力が弱いわけじゃない。


 いくら女みたいだって言われたって、仮にも男だ。


 体格差があるとはいえ、抵抗しようと思えば出来るはずだ。


 本気で嫌なら力任せに突き飛ばしてでも、俺は逃げるはずなんだ。


 駒井と友達で居たいなら、逃げられるはずなんだ。


 逃げなきゃいけないんだ。


 逃げなきゃ、この駒井から逃げなきゃ俺たちは友達でいられなくなる。


 ――だけど。


 今、逃げてどうする――?


 今逃げて、今ある現実に背を向けて、それから俺はどうする?


 結局、同じじゃないか。


 駒井は俺が好きで、矢上とのことに嫉妬していて、俺を求めてる。


 自分の物にしようと、してる。


 本気の目をしているその人を、どうして俺は拒めるというのだろう。


 きっと、一線を越えても超えなくても、唐突にやってきた今日の出来事は俺たちにぎこちなさを残す。


 そしたら、俺は居たたまれなくなって、その気まずさが嫌で、だけど、何事もなかったかのようなただの友達の顔も出来なくて。


 きっと、きっと友達ではいられなくなる。


 「駒井…俺は…――」


 きっと多分、多分俺はお前とは友達で居たいんだ。


 そう気づいた瞬間、俺は行動を起こしていた。


 ベッドに力強く押さえつけられている体をなんとかよじり、両腕を縛る駒井のたくましい手を振り払い、がばりと、勢いよく上体を起こした俺は思考がついていかない中で力いっぱい駒井の胸板を押した。


 それは、誰がどう見ても明らかな拒絶の意だった。


 「……渋谷――」


 駒井の静かな声が俺の名を紡いで、俺のしたことに驚くよりも判っていたといわんばかりの表情で俺を見ていた。


 「こ、まい…?」


 俺のほうがどうしてこんなにも動揺しているのか…。


 どうして駒井はそんな、諦めがついたような寂しげな表情で、穏やかな目で俺を見るのか。


 俺はその目から逃げたくて、顔を俯かせた。


 俺の頭では理解の域を超えていた。


 否。


 酷なことをしたと思っているのか、この顔は。


 「渋谷…ごめんな」


 俺が駒井の胸に手をつき俯いたまま、眉を下げ瞠目していると、突然突拍子もなく謝られて。


 その一言に俺の胸がどうしようもなく余計にざわついた。


 「な、にが…?なんで、謝んの?」


 謝られる理由がわからなくて、掠れる声を絞り出して聞いてみる。


 「…渋谷に酷いことしたから?」


 そしたら、疑問系にした答えが返ってきて。


 俺はばっと顔を上げて、駒井を見上げた。


 「何したってんだよッ…!?お前は何も悪くな――」


 言おうとした言葉は伝えたい人によって遮られ、


 「本当に?好きな人泣かしたんだよ、俺は」


 そして、優しい面持ちで指摘されたことに俺は間抜けな声を出す。


 駒井の腕がすっと伸びてきて、思わず目を閉じる。


 その指は俺の頬に触れた。


 「え?ぁ…――」


 そろそろと、瞼を震わせながら目を開けると、駒井の困った顔が真っ先に視界に飛び込んできた。


 どうやら俺は泣いていたらしく、駒井は涙を拭ってくれたようだった。


 「な?だから、ごめん。怖がらせてごめん」


 駒井は顔を背けて、謝る。


 「ごめん」を繰り返す。


 駒井にひどいことをしたのは俺のほうなのに、駒井が俺に謝っている。


 これは俺がそう思ってなくても、駒井自身が己のしたことを許せなくて悪いと言っているのか?


 俺は駒井に押し倒されたからって、泣いてたんじゃないんだ。


 確かに怖かったけど、ほんの少し駒井になら別に良いかなって気持ちも本当のところあったんだ。


 けれど、それはまだ駄目で。


 俺の気持ちがあやふやなままで一線を越えてしまったら、どちらかが絶対に離れていくんだって、俺は身をもって知っているから。


 だから、俺は泣いてたんだと思う。


 俺も駒井が好きだけど、駒井が俺に抱く好きとは少し違う気がして。


 もう少し友達でいたくて。


 出来れば友達であって欲しくて。


 駒井みたいに今の関係を捨てて、それよりも親密になるのが怖くて。


 それ以上を、素直に純粋に選べなかった。


 望まなかった。


 一年前までの俺は、その親密以上の関係をずっと欲しがってたのにな。


 いざそれが自分の前に転がってくると、俺は困惑するばかりで選ぶことを怖がる。


 駒井が俺を好きだって言ってくれるのは嬉しい。


 だけど、俺はその思いに今すぐには応えられなくて、そしたらきっと多分、悲しかったんだと思う。


 だって、俺はまだお前と友達のままでいたいと思ったから。


 俺はたまらなくなって、叫んだ。


 「ちがっ…違うんだ!お、俺のほうこそ謝らなきゃなんないことしたんだ…。むしゃくしゃして、何も考えずに挑発して、それでお前を…」


 「らしくないよ、渋谷。お前はもっと傲慢だったろう?謝るなよ…。俺が惨めじゃんか。お前はだめだと思ったから、拒んだんだよな?だったらさ、渋谷は俺のためにもその意志を貫いてくれ。絶対に俺へ謝るな!」


 それは、駒井の精一杯の強がりだとすぐに判った。


 「ッ…!?ご、ごめ――」


 「はいはい。ストップ、ストップ。謝るなって言ったそばから口にすんな、ばか。それともなんだ?お前は俺を馬鹿にしたいのか?」


 駒井が肩を竦めて、微苦笑しながら明るくそう言った。


 その表情が胸に突き刺さる棘みたいで、ちくちくと俺の小さな心に傷を作っていく。


 「違う!!俺はそんなつもりじゃ…ッ!」


 「うん。判ってるよ、違うって事くらい。ずっとお前を見てきたんだから、そんな奴じゃないって自分が一番よく解ってる」


 「駒井、お前ずっと…って――」


 「ずっとさ。ストーカーみたいとかって言うなよ。俺、ストーカーはしてないから」


 「…言わないよ」


 「うん。じゃあさ、これからも普通に接してくれるか?」


 「お前さえ、よければ俺は…そうしたい」


 「そうか。ありがとう、渋谷」


 そして、駒井は絶対に謝るなを俺に何度も念押ししながら、そのくせ自分は最後まで俺に『ごめんな』を繰り返し、俺たちはお互いに顔を背けてお互いを見ないように保健室を後にした。

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