五:俺だけの真実…誰にも知られたくなかった
「…………………………おい」
俺は地を這うような声で自分を組み敷く男を睨んだ。
「なに?」
にらまれた男は実に楽しげに笑っていて、それがまたいっそう小憎たらしい。
俺は眉間にまた皺を一本深く刻みこむと、更にトーンを落した声で言った。
「おい。本当にするのか?本気でやるのか?駒井、お前は正気か?」
何度も確認する俺は内心、冗談であってくれと思っている。
縋るような思いで駒井を見つめれば、駒井の口元は笑みをかたどっているのに、その表情だけでは冗談くさいのに、その目が本気だと語っている。
どうやら駒井は本当に本気でやるらしい。
「はぁ〜…」
俺は盛大なため息を隠しもせずに、駒井の目の前で吐き出した。
俺はいつこの男に火をつけてしまったのだろう。
駒井は意地悪い笑みを零し、俺に言う。
「渋谷、今更怖くなったの?」
その内容も意地悪かったが。
こいつの根は鬼畜なのか。
あの爽やかで地味に美形な駒井蓮壱は偽りだったのか。
一体どこへ行ったのだろう。
ちょっとばかり思考を現実から飛ばしてみるが、それでは今の状況は打破できない。
かといって、今更やめてくれと懇願するのも俺のプライドにかなり障る。
全く面倒な男に引っかかったものだなと、俺は自嘲気味な笑みを我知らずのうちに零していた。
「…やっぱり、やめとく?」
恐らく俺の諦めのこもった笑みを見ていたであろう駒井が何を思ったのか、先程まではかなり乗り気だったのに急にそんなことを言ってきたので、俺は目をしぱしぱと瞬かせた。
…どうしたんだろう。
俺は駒井の言葉を聞いて、その表情を見てそう思った。
駒井の顔が辛そうに歪められている。
どうして…そんな顔をするんだ。
俺の意思とは関係なく、気づけば俺は皮肉な言葉を吐いていた。
「怖気づいたのかよ?」
俺のその挑発するような台詞に駒井は一瞬肩をピクリと揺らしたが、何も言わず、俺の上からどいた。
「?!」
俺はさすがに目を瞠る。
駒井、どうしたんだよ…。
先程まではこれから駒井とする行為を冗談であってくれと願っていたはずなのに、今は違う。
今は俺に興味をなくしたわけではないはずなのに、視線を逸らされたことがひどく気に入らない。
ものすごく心が痛んだ。
それがどうしてかはまだ解らないけれど、今はただ俺に背を向ける駒井が悲しかった。
けれど、『まだ解らない』って…俺はいつか解るときが来るとでも思っているのだろうか。
俺は状態を起こすと、俺に背を向けてなにやら項垂れた様子の駒井になんと声をかければ良いかわからず、どうしようと迷った末、後ろからそっと優しく包み込むように抱きしめてみた。
「ッ!」
すると、駒井のからだがピクリと反応して、反射的に振り返りかけたのを遮って俺は言葉を紡ぎだした。
「なぁ、どうしたんだ駒井。俺、何かひどいことしたか?ひどいこと言ったか?」
そういいながらも俺は『…言ったかも』と逡巡する。
「駒井、俺さ…何でもしてやるから、お前になら何されたっていいって思えるから。だからさ、だから…頼むから、俺をちゃんと見てくれよ。お前に背を向けられると、なんだかすごく苦しい…悲しいんだ」
俺はぎゅうっと駒井を抱きしめる腕に力を入れて逃げられないようにした。
つい数分前まで自分を組み敷いていた男が万が一でも逃げるとは思ってはいなかったが、念のためだった。
駒井はどうすれば良いか困っている様子だった。
だから、俺は仄かな笑みを浮かべて駒井に言った。
「俺、駒井が今何思ってるか知りたい」
そういえば、駒井はおもむろに話してくれた。
「渋谷は誰にでも抱かれるのかって、思ったんだ。だから、俺があんなふうに迫っても誰でもいいなら許すのかなって、気づいたんだ」
そう零す駒井の肩が震えている。
俺は抱きしめる腕に力を少し加えて瞳を閉じ、厳かに答えた。
「…誰にでも抱かれないよ」
「でも、お前抵抗しなかっただろ」
その台詞に俺はもうとっくに整理されて過去の記憶として胸の奥深くにしまいこんでいたはずの日々を思い出す。
それは誰にも言えない関係。
それは己を偽ってのつながり。
それほどに大事で、側にいたかった人。
…今駒井に映ってる俺は、あの頃の俺から見たあの人と同じなんだな。
ふと、そう思った。
俺、最低だな。
俺はじんわりと熱を持ち出した瞼を硬く閉ざしたまま、俺を責めようとする自分を必死に抑えるような駒井からそっと腕を引いた。
「………」
「…………」
やがて、無言で駒井がゆっくりと俺を振り返り、向き合う形になるが俺は顔を俯かせたままで多分、駒井からは俺の表情は窺えないだろう。
俺は手のひらを拳に変えて膝の上できつく握り締めていて、駒井をちらりとも見ようとしない。
「………なぁ――」
「………なんだよ」
沈黙に耐えかねたのか、それとも間を見計らっていたのか、駒井が俺に声をかけてきた。
「俺さ、前にも言ったと思うけど…」
なかなか核心を言い出せずに言葉を切る駒井を俺は無言で促す。
「渋谷は矢上と出来てるって噂、あったって言っただろ。その真相を教えてくれないか?」
俺は驚いた。
――というか、呆れた。
この状況下でも、まだそれを言うか。
余程、駒井という男は好奇心大盛なのだろうか。
好きな奴の事だから知りたがっているのだとは俺は気づかなかった。
俺は俯いたまま、素っ気ない一言を駒井にぶつける。
「…そんなの、お前には関係ないだろ」
すると、駒井は絶対に引き下がらないといった体で俺に言い返す。
「さっき、『何でもする』って、言ったのは渋谷君尋だったよ」
「…………」
こいつ、人の揚げ足取るとは卑怯な…!
けれど、俺は確かに『何でもしてやる』と言っている。
今思えば、あれはかなり危険な台詞だったかもしれない。
自分を好きだとほざく男に向けて言う言葉ではないのだ、大体。
今回は完全に俺の掘った墓穴だった。
自分の言ったことには責任を持つと言うポリシーを胸に刻む俺はしょうがないと、小さなため息をひとつ吐くと、あまり人に知られて良いものではない真実を述べた。
「そうだよ。俺は…矢上浩介と関係を持ってたよ」
顔を上げて俺がぶっきらぼうに言い放てば、目の前の駒井がやっぱりと今にも言いそうな感じで、そして、嫉妬に歪められた顔がそこにあった。




