2周目 1
熱で部屋がモヤモヤしている気がする。
窓を全開で開け放ち、扇風機を強にしているが汗がとめどなく流れ、その度に首に巻いたタオルで顔をごしごしと擦る。
俺の部屋に空調はない。
なんの嫌がらせなのか室外機を設置するスペースがないのだ。
おかげで北向きのこの部屋は夏は蒸し風呂と化し、冬は室内で白い吐息が出る極寒の地獄になる。
『大学受験を成功させて絶対に一人暮らしをしてやる』
これが高校3年生当時の勉強へのモチベーションだった。
まぁネット脳に侵された俺は自分の実力を過大評価し高望みしすぎて追加で一年、劣悪な環境で勉強することになるのだが。
そんな忌まわしき部屋で俺は今ノートに考えをまとめていた。
まず結論から言うと俺は『タイムスリップ』をしていると思われる。
オフィスで倒れ、自分の部屋で目覚めた後トイレに行き、手を洗おうとして目にした鏡の中には10代後半の自分の姿があった。
ぶよぶよしていたお腹周りは引き締まり、疲労とストレスで隈の絶えなかった濁った眼は輝きを取り戻し、くすんでいた肌はピチピチになっていた。
何を言ってんだこいつはと普通なら思うところだが、俺だって意味がわからない。
あまりの出来ごとに鏡の前で頬を叩いたり、後ろ側はどうなっているのか確認しようとしていると
「男のナルシストはきもいわよ、邪魔だからどきなさい。」
心臓がまた止まるかと思った。
オカンがいた、めちゃくちゃ若い。
「い…そ、そういうのじゃないから」
テンパリながらもとっさにそう答えると
「あっそ。」
まるで興味がなさそうに洗面台のタオルを取り上げ、洗濯機に放り込みバタバタとどこかへ行ってしまった。
それを見送ったときの俺の顔は怯えていたと思う。
理解を超えた超常現象が起こっていた。
その後、俺も恐る恐るリビングに移動し、出勤前で新聞を読んでいる親父も確認、当然のように見た目は若返っている。
俺はなるべく平静を保ちながら声をかけた
「おはよう。」
「おう、一馬。おはよう。」
声にも張りがある。まさにに働き盛りという雰囲気、昔の親父だ。
「今新聞読んでる?ちょっと俺にも見せてほしいんだけど。」
「珍しいな、勉強嫌いの一馬君が。」
ニヤニヤしながら俺のリアクションを求めているのがわかるがそれどころではない。
親父の手元からひったくるように新聞を奪うと一番上の日付に目を飛ばした。
2004年 8月 21日
3度見したが間違いない、はっきりとそう書かれていた。
「ありがと…」
そういうと新聞を返し、返事を待たずに部屋へと戻った。
もう確信に近いものはあったが、最後の確認をするべく充電器に刺しっぱなしにしていた携帯に手に取ると間髪いれずにネットを起動、本日 日付 で検索をかける。
結果は新聞の日付欄と同じだった。
2004年 8月21日である。
確認が済んだ後、数日様子を見るためおとなしくしていたが一向に夢から覚める気配はなかった。
ぼろが出ないように体調が悪い振りをしつつ、クソ熱い部屋に引きこもりテレビを見て情報収集に努めた。
世間はアテネオリンピック一色だった。
そして柔道で、水泳で、砲丸投げで、俺の知っている日本人選手が俺の知っている通りの結果を出していった。
間違いない。
興奮で身体が震えた。
俺は『タイムスリップ』をしている。
そして今に至るという訳である。
「あぁーー全然思い出せねぇ!!!」
社会人になってから気付いた素晴らしい学生の夏休み、俺は部屋で一人絶叫する。
お隣さんにどう思われようと知ったことではない、どうせすぐ引っ越してしばらく空き部屋だ。
気になることは沢山ある。
なぜこんなことが起こったのか、この世界は前の世界との差異はないのか、過去の知識は通用するにだろうか、○トリックスみたいに電脳世界で気持ちいい夢を見せられているのではないか。
考えだしたらキリがないので出来そうなことから一つずつ解決していくことにした。
まず最初に始めたのは覚えている限り『未来』の出来事をノートに書きだすことだ。
これから俺が『過去』の世界でどういう生き方をするかはまだ決めていない。
だが記憶が新しいうちに何かに記録しておく必要があるだろうと思った。
どう生きるにしたって未来の情報は役立つはずだしな。
未来の重大な出来事の結果を知っている。
これははっきりいって最強である。
もし俺が知っている通りに世の中が動けば株やギャンブル、方法はなんだってあるだろう。
大金持ちになることだって簡単だ。
そんな妄想に夢を膨らませつつ大まかな事件を一つ一つノートに書き記していく。
サッカーW杯などのスポーツの結果、各国歴代トップ、大企業の躍進、凋落、災害、政治的大事件、芸能…。
丁寧に細かく覚えていること何でも書きこんでいく。
しかし早速問題が発生した。
2010年代まではよかった、しかし2000年代となると記憶が曖昧になりすぎてほとんど覚えていないのだ。
「むむむむーん。」
唸りながら必死に思い出そうとする。
頭をべしべしと叩いてみる…が結局ダメ。
「しゃーない、直近のことについてはリアルタイムで観察しながら思い出したらって感じかなぁ…」
そう呟いてノートを閉じる。
ふと、つけっぱなしにしていたテレビから知った声が聞こえる。
有名若手実業家特集として2017年でも有名な人物のセレブな生活ぶりが紹介されていた。
「この人テレビ局買収しようとした後、粉飾決済で逮捕されて、モヒカンになるんだよなぁ…」
もちろんそんなことを今の段階で知っているのは俺だけである。
そう、俺だけなのである。
この事実に言いようもない全能感を感じ、俺はノートに『未来』を書き込む作業を再開した。