冬からのメッセージ
ちょっとだけ繋がってますが単体でも読めます。
暗闇に、幾つものオレンジ色や、紫色の光が、ふわふわと漂っている空間で、少年は、1人立っていた。
柔らかく優しい闇は、どこまでも続いていた。
自分が前を向いているのか、後ろを向いているのか、横を向いているのかもわからない暗闇なのに、不思議と、怖いとは思わなかった。
オレンジ色と紫色の光だけの空間には、かすかだが甘い匂いが漂っている。
どこかでかいだ事のある、甘くて懐かしい匂い。
秋になると、ひんやりとした風が連れてくる優しい匂い。
窓を開け放ち、この匂いが風に運ばれてくる事を待っていた記憶が不意に蘇る。
(僕は、なぜこの匂いを覚えているのだろう? そして僕は、さっきまで何をやっていたのだろう?)
思い出したいのに、思い出せない。
思い出せないことが悔しくて、少年は、ほぞを噛んだ。
相変わらず、オレンジと紫の光はふわふわと漂っている。
まるで誘うように、楽しげに。
上へ、下へ、とまるで踊っているようで。
ふと、何かが聴こえた気がして、耳を澄ますと、声が聞こえて来ることに気づく。
(……歌?)
歌だった。
誘うような、楽しげな歌。どこの国の言葉なのかも、男とも女とも分からないが
聴いたことのない美しい声だった。
光に触れてみようと、すぐ近くの紫の光に手を伸ばすと、歌声は光から聴こえてきている事が分かった。
指先が微かに触れた時、辺りに幾つも漂っていた紫色の光が
少年の触れた1つの光に集まり、あっという間に1つの大きな光になったかと思うと、人の形になった。
少年よりも身長はかなり高い。
「こちらの世界へようこそ。私の名前は『篝火』。こちらの世界の案内人です。」
光が消え、顔や姿がはっきりと浮かび上がる。
紫の光を纏う者は、篝火と名乗った。
黒の燕尾服を着た、金色の髪の毛に、銀の切れ長の目の、精悍な顔をしている。
少年は、少々冷たい人だという印象を受けた。
「えっ……? あの、僕の名前は……」
名前を言おうとして、少年ははっと気づいた。
名前が思い出せない。
自分が誰かもわからない。
「お名前は存じております。私の後についてきて下さいますか? 門は開けておいてあります。」
篝火は少年についてくるように促すと、くるりと背を向けてさっさと歩き出す。
少年は小走りで篝火の後を追った。
何とか篝火の隣に並んであたりを見回す。
紫色の光の正体は篝火だった。
では、オレンジ色の光の正体は、何なのだろうか?と少年は考えた。
「ねえ、篝火さん。このオレンジ色の光の正体はなんですか? 篝火さんと同じ人ですか?」
篝火は少し考えてから、口を開く。
「あの門をくぐれば、分かりますよ。」
彼は立ち止まり、少し先にある門を指差した。
少年を見て、ふっと微笑む。
冷たい人だと思っていたら、微笑むと優しい人だ、と少年は思った。
少し話をしてみたいと思い、門のことを聴いてみる。
「あの門は、何なのですか?」
少年は尋ねる。
篝火はチラリと少年を見ると、少し考えてから答えた。
「そうですね。簡単にいえば、あなたがいた世界とは、また違う世界。一生を終えた人たちが
来るところ、と言えばいいのでしょうか。」
一生を終える。その言葉に、やはり自分は死んでしまったのだ。と少年は肩を落とした。
肩を落とした様子を見て、篝火は少年に話しかけた。
先ほどよりも少し優しい声だった。
「あなたは、『三日月は星に焦がれている』という話を知っておりますか?」
突然問いかけられて、少年は顔を上げる。
三日月と言う単語が心に引っかかったが、なぜなのか思い出せず、少年は首をかしげる。
「知りません……」
篝火は少し微笑んでから、語り始めた。
短く、悲しい物語を。
―――星は、かわいらしくも美しい鈴の音色を夜になると奏でます。
その音色は幾重にも織り重なり美しい音楽と姿を変えていきます。
美しい音色は、聴く人すべての心を掴み虜にしました。
やがて、三日月もその音色を聴き、美しいと心の底から思いました。
しかし、彼は、それを伝える術を持ちません。
言葉がなかったのです。
星たちも、その心を聞く術はありません。
何せ、彼らにも言葉などなかったのですから―――
何とも報われない話です。
と、やれやれと篝火は目を伏せため息をつく。
少年は何故か、その話に続きがあるように思えた。
篝火の話を聞き終えたと同時に、門へとたどり着く。
「さあ、私が同行できるのはここまで。
ここから先は、“私の相棒”が、お供いたします」
篝火は燕尾服を翻し、一礼をすると、指をパチンと鳴らし、紫の光となって暗い空へと消えた。
少年は、その幻想的な光景に目を見開いた。
まるで、1つのショーを見たようで、目を離せなかった。
門をくぐり、あたりを見回す。
とたんに、景色が一変した。
夕暮れの中にいるような、まぶしいオレンジ色へと変わったのだ。
「?!」
驚いていると、夕暮れよりも濃い、オレンジ色の光が少年の目の前で集まって人の姿になった。
オレンジ色の光が消えると、黒い燕尾服を着た、麦色の髪の人物へと姿を変えた。
「こんにちは! ここから先は、私『灯火』が案内します!」
底抜けに明るい灯火に、少年は面食らった。
「あ、ごめんね。こんなオレンジじゃ眩しいから元に戻すね」
パチン、と、灯火が指を鳴らすと、あたり一面、銀色の世界へと変わった。
灰色の空では星がシャラシャラと瞬いている。そして、空からは粉雪が舞っている。
灯火の周は、オレンジ色にぼんやりと明るい。
少年は目を丸くしてあたりを見回す。
「す、凄いですね! どんな魔法ですか?!」
灯火は少年を見ると、ニッと笑い、口を開いた。
「う~ん……簡単に言うなら、マジック。かな? 篝火はあまり使わないけれどね」
ふふふ、と灯火は笑ってから、少しまじめな口調で、少年に向き直る。
「さて、本題に入ろうか。少年! 君は、12年の生涯を終えて、こっちの世界に来たと聞いています。
この場所は、人生を終えた人が来るところなのは、篝火から聞いているよね?」
少年はコクリとうなずいた。
灯火は少し笑うと、少年の目線と合わせようと片膝立ちの姿勢になる。
灯火の方が、少年よりもずっと背が高かった。
「なら、話は早い。あなたに2つほど質問させていただきます。いいね?」
小さく、はい、と返事をした少年に灯火は口を開く。
「質問1つ目。貴方の名前も、記憶も、実は私が全て持っています。
どちらか1つだけ、貴方に返す事が出来ます。どちらを返してほしいですか?」
少年は、少し考えてから灯火に質問をした。
「どうして、どちらか1つだけなのですか?」
灯火は、少しずつ言葉を並べるように答えた。
「なぜ、どちらか1つなのかといいますと、名前と記憶、両方とも返せば、人格も、記憶も
全て生前と同じ状態に戻ります。しかし、それでは生まれ変わる事が出来ず
永遠にここにいることになってしまいます。」
それを聞いて少年は、少し考えてから灯火に再び質問をする。
「名前と記憶、それぞれどうやって違うのですか?」
灯火は、名前は、と前置きをして言った。
「名前には、自分自身の願い事と、思い出がこめられています。
名前を返せば、あなた自身の思い出は大体戻ります」
そして、と続ける。
「記憶は、自分自身が覚えていたこと。例えば誰が好きだった、とか、何が好きだった
誰と友達だったか……というものです。
記憶を戻せば、生まれ変わる時にあちらに戻るときの手がかりになります」
それを聞いて、少年はどちらを返してほしいか考えた。
記憶も名前も全て覚えていないはずなのに、断片的ではあるが
おぼろげに浮かんでくることがあった。
三日月に焦がれた銀の影の歌。
カリヨンの鐘の音。
黒い髪に、真っ赤な瞳。
おもちゃをちりばめたかのような、夜の遊園地。
彼の優しさ。青い瞳の彼の友達。
記憶がなくても、名前が思い出せなくても、分かることはたくさんある。
自分の中に残っているものは消えない。
心に残っているものは、決して消えない。
灯火の目を見ると、少年は笑顔で言った。
秋の日差しのような、あたたかな笑顔だった。
「僕は、名前も記憶も、いりません」
灯火は少し驚いた表情を浮かべた。
「いいのですか?」
「名前も、記憶もなくても、心に手がかりは残ってますから。
そして、友達が、僕の名前を覚えてくれていますから」
少年の言葉を聞いて、灯火は微笑んだ。
「素敵なお友達ですね。あなたの心に残るほど、優しい方だったのでしょう。
分かりました。あなたの名前と記憶は、こちらで、銀砂に変えて空に撒いてしまいましょう」
自分の手のひらに、青白く光る丸い光を2つ、灯火は乗せると、ふっと、吐息を掛ける。
すると光は、幾千もの光の粒に姿を変えて、空へと舞い上がる。
「これで、あなたの記憶と名前は、完全に戻らなくなりました」
灯火がやたらと真面目に言ったため、少年は思わずクスっと笑う。
紫色の光が集まり、人の形になったと思うと、篝火が姿を再び現した。
「やれやれ。思い切ったことをしましたね。
記憶も名前も、どちらか1つでも戻してほしいとは、思わなかったのですか?」
篝火は、まだ微かに漂う光の粒を見て、ため息を吐いた。
先ほど、灯火が光にした、少年の記憶と名前だ。
「僕には必要ないって思いましたから。
大丈夫。名前も、記憶もなくてもまた会える自信がありますから。」
篝火と灯火、2人は顔を見合わせる。
どこから、その自信は来るのだろうか?
篝火が少年に向き直る。
「では、あなたに私からの質問があります。
生まれ変わるとするなら、何になりたいですか?」
少年は、生まれ変わるなら……と、俯いて考えた。
また、人間になろうか?
しかし、また、会いたい人に会えるとは限らない。
「何にでもなれます。人間でも、植物でも、動物でも。それ以外でも」
篝火の言葉に、少年は顔を上げる。
「何にでも?なれるの?」
「ええ、あなたの望むように。
その代わり、人間、動物、植物以外になった場合、数100年間は、その姿以外の
生は送れません」
顎に手を当てて、篝火は付け足した。
「苦しいよ〜? 自分は変わらないのに、周りの人はどんどん変わっていっちゃってさ。
だから、ここ数年は動物、植物以外に生まれ変わる人はいないのさっ!」
灯火は、篝火の肩に顎を乗せてふざけて言う。
篝火が、痛いからやめなさい。と、横目で、灯火に注意をした。
「どうなさいますか? しばらく考えますか?」
篝火の凛とした声が灰色の空間に響いた。
粉雪が舞っている景色を少年はずっと、ぼんやりと眺めていた。
それから、ハッとして顔を上げる。
「篝火さん、灯火さん。僕は、ね……」
少年は、しゃがんで下さい、と、2人にお願いをした。
2人は目線を合わせるようにしゃがむ。
少年は篝火と灯火に、自分が生まれ変わったらなりたいものを伝えた。
少年からなりたいものを聞いて、2人は顔を見合わせる。
「本当にそれでいいの?」
灯火は目を丸くした。
「良いんです。長く生きられるのなら、それで」
分かりました。と、篝火は口を開く。
「来世で、あなたの生きる道が、祝福されますように」
篝火が指を弾いて鳴らす。
少年は、体が少しずつ透けていくのが分かった。
「来世で、あなたの生きる道が、愛で満たされますように」
灯火も、篝火に続いて指を弾いて鳴らした。
意識がぼんやりする。
そして、2人同時に唱えたと思うと、2人の姿が紫とオレンジの光に変わり、少年の体を包んだ。
『あなたの生きる道に、無垢な、祝福の雨が降り注ぎますように』
紫とオレンジの光に包まれて、意識がなくなると同時に、少年の体が完全にその場から消えた。
冬。世界は銀色に包まれて、静寂が訪れる、寂しげな季節。川は凍りつくほどに寒かったが
雪は降らないこの国は、冬は、ただ寒いだけの物だった。銀の砂が輝く夜、
2人の青年は、片手の鞄に収まる荷物を手に、道を歩く。
罪人と呼ばれた2人は、国を追われた。
病気の子供の願いを叶えるために連れ出した2人は、罪人として名前を刻まれてしまったのだ。
ガラス玉を投げられ体中が切り傷だらけになった。
罵声をぶつけられた。
ナイフを向けられた事もある。
黒髪の青年は、罰を受けるのは俺だけでいいと何度も叫んだ。
その横で、麦色の髪に、青の瞳をもつ青年は、自分も同罪だ、彼をどうか責めるのはやめてと何度も言う。
「知っているかい?俺には、異国の血が流れている。その血は、放浪の民の血なんだ。
どうせなら、2人で旅をしながら暮らそうよ」
と言って2人で荷物を片手に故郷を飛び出した。
彼は、混血児だった。彼の両親は、彼に旅の仕方を教え込んでいたらしく、
最初は慣れない事だらけで苦労こそしたものの、今はすっかり慣れた。
「この地方は雪が降らないねぇ。ああ、折角だから雪が見たいなあ」
紺色の空を見上げて、麦色の髪の成年が零す。
「そうだな。雪が見たいなら、北国に行くしかねえが、こんな時期に行くのは自殺行為だ」
「ハハッそれは嫌だなぁ。バン。俺はまだ死にたくはないよ」
バンと呼ばれた青年は、青い瞳をジロリと睨み、
「お前が言ったんだろうが、イムラン」
とバッサリと言った。
イムランと呼ばれた青年はハハハッと笑う。
「北にはまだ行くには早いよねっ!思い切って、遠くに行く?」
その言葉を聞いて、バンが、呆れた、という素振りを見せた途端、目の前に白い綿のようなものがちらついた。
「なんだ……? 綿みたいなものが……」
綿のようなものは、後から後から、舞い、降って来る。
「バン! これは、雪だよ! 雪が降ってきている! おかしいな……雪は曇っている日に降るはず……」
イムランが驚いて、声を張り上げる。
「これが、雪……」
ふわりふわり、留まることを知らずに雪は降り続ける。
バンは紺色の空を見上げ、目を見開いた。
雪が舞う中、白い、人の形をした靄が見える。
バンには分かった。
もう、この世にはいない、自分たちの小さな友達が、この雪を降らせているのだと。
遠くでカリヨンの鐘の音が聞こえる。
カリヨンの音と、雪に混じって声が聞こえた。
『バンさん、イムランさん。お久しぶりです』
「この声……ドロップ!」
イムランが驚いた声を上げた。
お互いに顔を見合わせたあと、同時に空を見上げる。
白い靄が、自分たちに手を振ると、すうっと、消えた。
バンが膝から崩れ落ち、ポロポロと涙を零しながら言う。
「そうか……雪になって、逢いに来てくれたか……」
涙が溢れて止まらない。
雪は、バンの涙に触れると、涙に溶けて、交じり合い、一緒に流れた。
イムランは、涙を堪えるように空を見上げた。
雪がイムランの頬に触れて、溶けて流れた。
「雪は、空にいる誰かからの手紙だって、そういうふうに言い伝える国があるって、母さんが言ってたんだ。
これは、ドロップからの手紙だね」
涙声で伝えるイムランに、バンは
「違う。この雪は、手紙なんかじゃねぇ。チビスケだ……」
と言った。
こんなに冷たい雪にならなくても良いのによ。
と付け足して、立ち上がる。
「おい、チビスケ! 聞こえているか? 俺らは元気だ! 逢いに来てくれて、ありがとうよ!」
空に、力一杯叫ぶ。
そのバンに、応えて返すかのように、風が雪を舞い踊らせた。
バンが初めて泣いた日の、孤独にぼんやりと霞んでいた三日月はもう、ひとりじゃない。
ーーー篝火さん、灯火さん。僕はふわふわと優しい、雪になりたいですーーー
冴え渡る銀砂が輝く夜空に舞う粉雪。
それはきっと、無邪気で優しい彼。
三日月に焦がれた銀の影は、今は三日月の周りを嬉し気に舞っている。
鈴の音奏でた星に焦がれた三日月は、今は優しい歌を歌う。
彼とともに歌い続ける。
連載を書かずに何を書いているか?と思われた方こんにちは。ミー子です。
企画小説のスピンオフとしてこの小説を完成させました。
何で続編なんか書いた! と、思われる方もいらっしゃるかもしれません。
けれども、とある歌を聴いた時、ずっと奥底にあった物を形にしたくて仕方ありませんでした。