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これから西洋哲学を学びたいと思っているあなたへ。

作者: 舜風人

え?


そんなヤツいるわけないだろ?


活字文化の衰退は目を覆うばかりですよね。

今誰も本などという過去の遺物は読みませんよね?

まあ読むとすれば、、せいぜいが、、週刊誌と、マンガくらいでしょ。

かっては、趣味の王道は「読書」だったんですよ。

この場合の読書とは、、まあ、、いわゆる「小説」(文学)ですけどね。

小説を読む、物語を読む。

これは文字ができて以来の、、世界中のお楽しみ?だったのです。

古くはいわゆる物語文学ですね。今昔物語、千夜一夜物語、などの民話系ですね。

あるいは神話系、、ギリシャ神話、など、

聖書も広い意味では神話系?物語系でしょう?

そういう物語、、エアツエールンクが人々のお楽しみ?でもあったわけですし、もっと言えば人生の指針ですらあったのです。

つまり物語の中には、、哲学や思想、、宗教が秘められてあったのです。


ところが、、現代になると、、

そういう文字文化だけではなくて

映像文化、音響文化、というものが前面に出てきて、

文字文化は後方に追いやられてしまったんですよね。


文字文化はそれらの「添え物」でしかなくなってしまった、、と言ったら言い過ぎでしょうか?

かくして、、今や、、、、、


「趣味は読書です」


は、、、死語?とかしてしまったのです。



さて、、だいぶ前置きが長くなってしまいました。



こうした文字文化が衰退する中で、、

文学(小説)などの、比較的とっつきやすいジャンルですら、

今や衰退、、だれも小説など読まないという

大きな流れ?ですよね?

ましてそれ以上の、、思想関係など、、だれが読みますか?って言うことですよね?

思想は当然?言葉で言い表されます。

映像で思想を表現は、、、、できないでしょう?

音響で思想を表現する?   ムリでしょう?


思想(哲学)は、、というか、、


もっと砕いた言い方ならば、、、、


「あなたの思いはコトバでしか表現できないんだよ」


ということです。


あなたがどう思ってるか

どう考えてるか


それを固い表現で言うと、


それが思想(哲学)なんですよ。


誰だって、、だから、、哲学を持ってるんですよ。

ただ、、それが低次元か?

高次元か?


って差異だけですね。



またまた、、、前置き?が長くなってしまいました。


さて本題に入ります。


こんな活字文化衰退の真っただ中に

それの逆行して、

文字文化の精髄?ともいえるような

思想(哲学)を学ぼうなんて奇特なお方がいるとも思えませんが。

まあ


ゼロではないでしょう。

私の様に哲学フリーク?もいるわけですから。


そんなごく少数の哲学を知りたい?学びたい?という人向けに

じゃあ、、日本語で手軽に読める哲学書ってあるのか?

って話ですよね?

まあ哲学を学ぶ?っていう手っ取り早い方法は

有名な?哲学者の書いた原書を読むってことでしょう。

原語で読むのは、、まあ無理ですから日本語に訳されたもので十分です。

そういう翻訳書としては、

戦前に166巻という「世界大思想全集」春秋社、という西洋哲学の大翻訳全集が

ありますが、、まあこれはさすがに、、古すぎますよね?


今、、これからこの全集を見つけて、、買って、、読む?

という奇特なお方が。。もしもいたとしたら?

まあ、旧漢字、旧かなのオンパレードですから、

よほど語学力のある方以外は

不可能でしょうね。


そんな古い本ではなくて、、

これから哲学とか思想とかを学びたい?

という奇特なお方がいたら?

私のお勧めは


世界の名著、全66巻、 中央公論社   昭和45年


か、あるいは、、


世界の大思想   全45巻  河出書房  昭和43年



が、、今でも最も良書でしょうね。


いまでも?


そうです、昭和40年頃の翻訳書が今でも、、です。


現在、、こういう硬い?思想書の全集など


どこの出版社も出せないし、出す気もないですからね。

個々の学者の地味な研究書は細々と岩波書店などから出てはいますが、、

それらはほんと、マイナーの極みですから一般の手にわたることなどはゼロでしょう。


かって全盛を極めた「文学全集」ですら今や


まったく、どこの出版社も出せませんからね。


ましてや思想書の全集など、、出せるわけもありません。


昭和40年という古い時代ですが、

当時の一流の哲学者や翻訳家が訳してるので、

この二つの全集は今でも十分、通用しますし、

有益な内容だと私が保証します。

ある意味当時は哲学がまだ、、日本でも流行っていた?時期だったんですね。

だから当時の哲学研究の日本の学者って結構、優れた人が多かったです。

そのころが日本の哲学界の、ピークだった?と断言してもいいかもしれません、

今現在の日本の哲学界、、なんて、まるで、砂漠でしょう?

今日本の思想界に誰かこれはという人材がいますか?

いませんよね?ゼロですよ。

まあこれは日本に限ったことではありませんが

思想の低迷は世界的な現象ですね。

これというのも、その一因は

1990年のソビエト崩壊によるマルクス主義の完全な。自己崩壊でしょうね。

これによって思想そのものが信用ゼロになってしまった。

ほかの思想とか宗教とかも含めて

もう誰も思想(宗教も哲学も、、)なんか信じるものか、という根深い思想全体への不信感が生まれてしまったからなのです。

こうして今やだれも思想なんか求めないし信じないし

哲学の黄昏が、、深まったという今現在でしょうね。

マルクス主義は悪夢だけだったし

実存主義は独りよがりのカッコつけでしかなかったし

まあ今思想をめぐる状況は、、まさに砂漠化?その者です。


というわけで、「世界の名著」シリーズが続々刊行されていたころがまさに日本の哲学界の絶頂期?だったのでしょう。ですからその鮮度?品質?は結構高いのですよ。

そういう訳で、

「世界の名著」や「世界の大思想」が古今の哲学の名著を翻訳して

これらの哲学書の翻訳が出て、、もう50年たってるわけですが、いまだ賞味期限内❓だといえるんですよ。


さらに、、ヨーク考えてください、

例えばプラトンの原書は、、今から、2300年前のものですよね。

だから?その日本語の翻訳書が、、別に、、50年前だってかまわないわけでしょ?

思想そのものに触れればいいのですから、トレンディな流行を追ってるわけじゃないですからね。むしろ哲学なんてものはですね。


古いほうこそが味わい?がある、、っていうのが真相なんですよ。


味わいって?オイオイ、、哲学はヴィンテージワインじゃないだろ。


と、、お叱りを受けそうですが、でも、味わいがあるのは古い哲学なんだから仕方ありませんよね。

いわゆる現代哲学とか現代思想なんてカサカサで、ドライで、無味乾燥で、つまらないものばかりじゃないですか。

古い哲学の方がしみじみしていて、、深くって、味わいがある、

これが真相なんだから、、そういうことですよ。

まあこういう哲学観?というのも、いかにも。日本人らしいウエット哲学観?なんでしょうけどね?


さて

横道にそれてしまいましたので本題に戻ります。


先の「世界の大思想」と「世界の名著」ですが、

二つとも一般読者対象ですから、読むに不自由はありません、

もちろん、新字・新カナです。


が、、そうはいっても、やはりここは、、

でも哲学書ですよ。いくら一般向けと言っても、やっぱり難しいですし

特にヘーゲルやカント、フッサール、ハイデッガーなどは難しいです。

スピノザやデカルト、アリストテレス、だって中程度に難しいですよ。

私事ですが、、今から50年以上前に私が若き哲学徒として

某大学の哲学科で、哲学研究していたころにゼミで、ヘーゲルの「精神現象学」

「フェノメノロギー・デス・ガイステス」の読み合わせをしたのですが、

そのとき副読本で使ったのが、この世界の大思想の、樫山欣四郎教授の訳した

「精神現象学」だったのです。当時のうら若い私にはとにかく小難しい内容だったという印象しかなかったですね。まあ20歳そこそこの当時の、私にヘーゲルの精神現象学がわかるハズもありませんよね?

その後、私がある程度、精神現象学を理解できたのは、イッポリットの「精神現象学の生成と構造」岩波書店刊、という分厚い2冊本を読んでからです。この2冊本、、今でも私の手元にあります。、


哲学科を卒業し、指導教授からは「きみ、大学院へ行かないかね」と勧められたのですが、

貧乏実家?そして苦学生の私には、選択肢は就職しかなかったのです、

思い返せば、、

その後16回も引っ越しして、、まさに流浪の人生を送ることになるとは。

そんな引っ越し人生で、買いためてあった思想書もいつしか、ほとんど紛失してしまいましたね。

でも不思議なことに、、この、イッポリットの「精神現象学の生成と構造」という、2冊本だけは今も残っているという不思議?ですね。



え?

またまたあんた横道にそれてるって?


そうですよね。そもそも、、


これから西洋哲学を学びたいと思っているあなたへ。というお話のはずが脱線

また脱線で、


結局何が言いたかったのか?


私自身にもわからなくなってしました。


ところで、、

哲学を学びたいなら、大学の哲学科へ行けば最良だろ?ってハナシですよね?

独学で「世界の名著」シリーズなんぞ、

読んだって、なんぼのもんじゃい?

って言いたくなりますよね?

哲学科でお勉強すれば誰でも哲学者になれる?って。?


でも、


私自身が青春の頃に哲学者になりたくって、某大学の哲学科に行ってみて、

痛感したのは、哲学科出ても哲学者にはなれないな、、という事実でしたね。


哲学科ではさっきも言ったようにゼミでは、例えば、、ヘーゲルの原書を逐語訳するだけですし、

後は講堂での哲学史の講義とか、ドイツ語とか、

それだけですよ。

私あるとき思い切って「Y」という岩波全書にも著作がある当時の割と高名な指導教授に聞いてみたんです。

「先生こんな逐語訳ばかりしていて私は哲学者になれますか?」って。


そうしたら教授は言いました。

「きみ、哲学科でたって哲学者にはなれないんだよ」ってね。

それを聞いて私は目から鱗というか、、愕然としましたね。


そうだったんだあ、ってね。、翻訳家にはなれても哲学者にはなれない。


哲学って、、自分で思考して、自分で真っ白から組み立てるしかないんだってね。

ヘーゲルをいくら逐語訳しても、、翻訳家には、なれても、「哲学者」にはなれないんだってね。


独逸語いくらうまくなっても、それじゃあ、ただの翻訳家ですものね。、


でも日本のいわゆる「哲学者」ってこういう「翻訳家」だけの人って今に至るまで多いんですよ。自分の思想はゼロでもドイツ語がうまければ「哲学者」?として日本では通用するという面妖さ?でしょね?でも本当の哲学者って、、そんな翻訳なんかできなくっても自分の頭で考えて自分なりの世界観・世界像、認識論。存在論・言語哲学、

論理学を構築したら、、それこそが、、哲学者でしょう。


まあ、、こんなこともあって私はお金もないし、、大学院行く気も失せたというのが真相でしたね。卒業して、、そして就職、

それからの流浪の人生で、、16回も引っ越しするとは、


まあこれも人生ですよね。


そういう流浪の果てに見えてきたのが、

本当の哲学とはありていにもうせば、翻訳なんかしないで、


「世界の名著」でもいいから読んで、そこから、自分なりの思想を膨らませる方が正道なんだ」

という真理でしたね。


ドイツ語原文のヘーゲルを悪戦苦闘して翻訳するのが哲学じゃないってことですよ・。

それはただの翻訳家でしかない。哲学者じゃない、

そういう翻訳家が上手に?訳してくれた、邦訳書を読んで、そこから自分なりに思考して

膨らませることこそが本た王の哲学者だ、

それが真実だったのです。

というわけで?

大学の哲学科に行くよりも

むしろ、世界の名著でも読んで自分なりの妄想(じゃなくって思想)を膨らませる方が

1000倍マシだってことですよ。


大学の哲学科行って大失望した私が言ってるんだから、、これは真実ですよ。


そういうわけで現在という混迷と砂漠の中で

古き良き時代の哲学の原書を優れた邦訳本で読み

原鉱石を、掘り返して

そこのあなたが新しい時代の新哲学を打ち立てることこそが

求められてるのでしょう。

そういうわけでせいぜい、古今の哲学原書を読んで

そこから砂漠化したあなたの、、そして私の頭に、栄養を補給して

ますます混迷と迷走を深めるこの現代という時代の

人類の未来と世界の淵源を瞑想でもしましょうか?


というわけで、、、


今回はここまで、
















余計な付けたし(念のため)


哲学とは、いわゆる、西洋哲学のことであり、

インド思想や日本思想などは哲学とは言いません。

ウパニシャッド哲学とか

ベーダンタ哲学とか

正法眼蔵の哲学とか


まあ、、普通、そんな言い方をしますけど、、

ほんとはそれらは厳密には哲学じゃあないです。


哲学とはあくまでも古代ギリシャに発するところの

思想方法、、思想形態、、から受け継がれて

その延長線上にあるようなモノだけを「哲学」というのです。













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