兄として
俺の名前はユーク。海樹の村シーフォ出身だ。
母さんは妹を産んですぐにお空へ上ってしまった為にずっと妹と二人暮らしだ。親父?親父は俺が5歳の時に旅に出たきり帰ってこない。
「親父。いつまでも母さんのこと考えてるくらいならまた旅にでも出たらどうだ?元々は冒険者だったんだろ?」
と言ってしまったのは他でもない俺なんだが。
「冒険を始めるきっかけは当時ギルドの受付だった母さんを口説く為だったんだよな……母さんと一緒になる時に冒険者を辞めて、また母さんをきっかけに始めるのも悪くは無いか……」
と言ってた翌日には「ちょっと行ってくる」の置き手紙を残してさっさと行っちまいやがった。
おっと、今頃どこに居るのかも分からない親父のことはどうでもいい。今俺は魔術学院行きの馬車に揺られている。
きっかけは妹のシオンだった。シオンは何でも出来た。母さんが居なかったのもあって、自分がしっかりしないといけないと思ったのかもしれない。知恵も回れば家事や力仕事だって率先してやるような妹だった。
このままじゃ兄としての俺の立場が無いと感じるのにそう時間はかからなかった。俺はシオンの目を盗んでは妹が出来ることを自分も出来るようになろうと必死に学んだ。
ただ、もうすでに少し諦めかけていることがある。妹は何よりも走ることが好きだった。そして俺も妹に負けじと一緒に走っていた。
最初のうちは良かったのだが、徐々に妹の才能が現れ始めた。
毎日同じ距離を走っていたはずなのに徐々に俺と妹のスタミナに差が出始めた。そのうち妹の走る速さがグングン上がっていき、汗ひとつかかないで俺から見えなくなるほど遠くに引き離された時、俺の心がポッキリ折れた気がした。
次の日から朝食を用意するようになったのはシオンと一緒に走れなくなった俺が一緒に走らないと言った罪悪感から始めたものだ。
走れないと言った時の妹の何とも言えない顔が忘れられない。妹も薄々分かっていたのだろう。あの苦笑いながらも慈愛に満ちた顔は俺にひとつの危惧感を与えたのだ。
俺が付いていけなかったのだ。これから先果たして妹に付いていける友人や親しい人は現れるのだろうか?
そうでなくても兄という一番妹に近しい立場に居る俺が妹と同じ景色を一時でも一緒に見てやれなくてどうするんだと。
そう思った翌日には村中の人に相談しながら妹の目を盗み学ぶことに専念した。
妹には村の手伝いをして生活費を稼いでいることになっていたが、村の人が上手くアリバイを作ってくれていたのだ。
実際に手伝いもして生活費を稼いでいたが、そのほとんどは妹と同じ景色を兄として見る為に費やした時間だった。
妹は物心ついた時から言っていた。「世界中を走って回りたい」と。
兄として心配だった。外の危険とか、そういった類いの心配ではない。
妹が外界に出ても自分と対等に分かりあえる人を見つけられなくて孤立するかもしれないことが怖かった。
俺の心配は所詮小さな村の中での視野しか持たない。しかし村の大人達が共感して、協力してくれる位にその可能性が妹にはあった。
俺は村の皆に勧められて魔術学院に行くことにした。
妹も魔術を少しは使えるが、その才能があるかと言われるとまだ未知数だ。『出よ海の脚』が使えるからといって魔術全般が出来る訳では無い、と思う。
魔術を使えば妹の速さに追いつける可能性があった。それだけでも俺が魔術学院に通う理由としては充分だった。
妹は俺が魔術学院に行くと言ったら、「私も行く!」と言い出した。そこまでは予想が出来ていた。しかし、学費を自分で稼ぐと言い出して1年間で稼ぎつつ歩きで魔術学院がある場所まで行くと言い出した時には頭を抱えた。
俺は妹の分まで稼ぐ勢いで村の仕事を手伝っていたのだ。
そうでなくても10歳になったばかりの妹にそんな過酷な旅をさせたくは無かった。
ただ、もう言い出したシオンの目は聴く耳を持つ気配がなくて……
もう過ぎたことだ。妹はもうすぐ10歳の誕生日を迎える。
絶対に妹のことだから無茶をするだろう。安全は祈るしか無い。むしろ今俺の方が祈られていそうだ。
それに妹には内緒にしていたが、昔まだ親父が居た時に時々やっていた剣術を見て俺は型をある程度覚えている。
村の中には親父の弟子も居たからこっそり稽古をつけてもらっていた。
学院に居ながら探すのは難しいが、もし親父が見つかれば親父からも教われるだろう。親父は凄腕の冒険者だったと聞いている。
学院に妹が来ていない1年間でどれほどの成長が出来るかは分からないが、妹とまた一緒に走る為に少しでも先を走るのが俺の今の目標だ。
馬車が揺れる。魔術学院で俺にどれだけのことが出来るかは分からないが俺は期待を胸に揺られていた。
次回はシオン主体のお話です。お楽しみに。