第8話 「甲斐性なしだけど……」
あの禍々しいレストランから数分歩いて、ニアの住む屋敷に到着した。
「いやー、今日は疲れたよー」
そう言い終えると、ニアは勢いよくリビングのソファーにダイブした。俺もそうしたかったがあくまで居候の身のため、ゆっくりとソファーに腰を下ろす。
ロアから渡された本はいつでもソファーで読めるように、脇のテーブルに重ねて置いておく。
食休みということで、俺とニアは少しの間ソファーで談笑しながら休憩することにした。
ほどなくして、ニアがソファーから気だるそうに立ち上がる。
「お風呂入ってくるね。……覗いちゃダメだよ!」
「安心しろ、俺はそこまで変態じゃない」
そこまで、と言ったのは俺が元の世界では健全な男子高校生だったからだ。それに僧侶じゃあるまいし、「俺は変態じゃない」なんて言えない。
かと言って、「俺は変態です」なんて言ったら追い出されかねない。
我ながらいい判断だと思う。
「私の裸、見たくせに……」
ジトーッ、とニアが見つめてくる。
ぐうの音も出ない。「興奮する」とか言っちゃったし。
「だ、大丈夫だから、早く入ってこいよ」
俺がそう言うと、ニアは脱衣所の方に向かっていった。
ニアが風呂に入ってる間、一人で屋敷を見て回ることにする。
懇切丁寧な説明を以前にしてもらっているのだが、俺にはこの屋敷に来てからずっと疑問に思っていたことがあるので見て回る。
その疑問は、この屋敷が静かすぎることだ。
普通なら、こういった屋敷にはメイドさんがいてもおかしくない。なのに、屋敷案内をしてもらっていた時には一人も見当たらなかった。
それどころかニアの家族すら見当たらない。
まあ、ニアの家族がいたら俺の肩身がさらに狭くなるから、いないのは好都合なんだけど。
ニアの家族はどこか遠くに出かけているのだろうか?
とりあえず、元の世界にいた頃のリア充の友人に教えてもらった言葉、『女の風呂は長い』が正しければ、ニアが風呂から上がるまでもう少し時間があるだろう。
◆◇◆
俺はなんとかニアが風呂から上がる前に、全ての部屋をダッシュで見終えた。
屋敷内を全力疾走したこともあり疲れ果てた俺は、今はソファーにだらしなく座っている。
屋敷を見て回った結果、収穫はあった。いや、最初からもしかしてと思っていた事なのだが……。
結論としてこの屋敷には、俺とニアの二人しかいない。部屋はたくさんあるのだが、ほとんどの部屋が殺風景で空っぽだ。
「いいお湯だったーー」
ニアがバスタオルを身体に巻きつけ、風呂からあがってきた。
ニアの胸に実った豊満な果実が、バスタオル一枚ということもあり、またまた強調される。
こいつ、俺のことを誘ってんのか?
なんて冗談はさておき。正直な話、目のやり場に困る。
「次、入って来ていいよー」
ニアはコップで水を飲みながら俺に言う。
「ああ、分かった……着替えってどうすればいい?」
異世界に急に放り出された俺が自分の服を持っているわけなく、今着ている服はニアの父の物だ。
俺はファッショナブルな男ではないが、同じ服を着るのはちょっと遠慮したい。
「そのことなら心配無用! 街案内してる時にレイジの服を買っておいたからね」
いつの間に買ったんだよ、と思っている俺をよそに、ニアはテーブルの上に置いてあるポーチを俺の目の前に持ってくる。
このポーチは街案内の時に、ニアが片見放さずに肩からぶら下げていた物だ。
「それで……俺の服はどこにあるんだ?」
「ここだよ!」
ニアは得意げな顔をして、例のポーチをポンポンと叩く。
いや、入らないだろ。…………入るの?
俺が不思議に思っていると、ニアはポーチを開いて中に手を突っ込んだ。
そして手を引き出してニアが取り出したのは、紛れもなく男物の服だった。一着ならまだしも、三着、四着、五着、六着……まだまだ出てくる。
最終的に二十四着、そのポーチの中から出てきた。
どうやって入ってたんだ?
さしずめ、元の世界で有名な国民的キャラクターの青狸が腹に装着しているポケットと、同性能と言ったところだろうか。
どうやら、この世界の魔法はとんでもないらしい。
…………まあ、最初から分かりきっていたことだが。
「何から何まで、本当にありがとうな」
俺が素直に感謝の言葉を述べると、ニアは少し顔を赤くした。
「わ、私の味がするからって、残り湯を飲んじゃダメだからね!」
「そんな特殊な性癖を、俺は持ち合わせてねぇよ!」
顔を赤くしたニアから、バスタオルを受け取り俺は脱衣所に向かう。
感謝されて照れるなんて可愛いな。
今度、感謝の言葉を言いまくって、ニアの顔を茹で蛸みたいに赤くしてやろうかな……。
……よし、俺も疲れているみたいだ。とっとと服を脱いで風呂に浸かるとしよう。
いそいそと服を脱いでいたら、鏡を見てあることに気がつく。
(もう治ったのか)
まだ数日しか経っていないというのに、腹部の傷が綺麗に治っている。傷痕もない。治療には魔法が使われているだろうから、改めて魔法の利便性には驚かされる。
「ん⁈」
俺の利き腕である右腕に傷痕らしきものがあった。
右腕も腹部と同じように、あのハイブリッド生命体にやられたのだろうか?
しかし、まじまじと見たところ、どうやら傷痕とは違う何かのようだ。傷痕と言われればそう見えなくもないが、言われなければ綺麗な模様とも見てとれる。
「……何してんの?」
その声に後ろを振り返るとニアがいた。
きっとニアの瞳には、俺が自分の肉体を鏡でまじまじと見るナルシストに映っていることだろう。
実際そう見えるから、困ったものだ。
俺がズボンを履いているのが、不幸中の幸いだろうな。
「覗きなんて、いい趣味とは言えないぞ」
「水音の一つも立てないから、心配して見に来てやったの!」
顔を赤くして、ニアは言った。
裸を見られたのは俺なんだから、俺が顔を赤くしたいものだ。
「……傷が治ってよかったね。それはそうとして、とっとと風呂に入りなさいよ!」
「わかってるよ」
ニアが脱衣所から出て行くのを確認してから、俺はズボンとパンツを脱いで風呂場に入った。
「い〜い湯〜だ〜な。フフフン。い〜い湯〜だ〜な。フフフン」
ある程度肩までつかったら湯船から上がり、頭と身体を洗う。
銭湯じゃあるまいし、先に身体を洗う必要はないだろ。
リンスらしき物があったが、俺はリンスつけない人間だから使わなかった。
「おっ!」
元の世界でも常々思っていたことなのだが、風呂上がりの自分の身体が通常よりも引き締まって見えるのは何故だろうか。
(おっと、これじゃあナルシストだな)
ニアがまた心配して覗きに来て、また勝手に誤解をされるのは嫌だから、自分の肉体を眺めるのは止めよう。
俺は脱衣所でニアから受け取った服に着替え、タオルを肩にかけて脱衣所を出た。
「いいお湯だったよ。ところで、このお湯って何かに効能でもあるの…………?」
…………寝ている。
ソファーでニアが横になって寝ている。
(まぁ、あんだけはしゃいでたら無理ないか……)
「まったく、仕方ない奴だ。こんなところで寝てたら、風邪ひくだろ」
俺はニアをお姫様抱っこしてニアをニアの部屋まで持って行き、ベッドに寝かせてやる。このあとは……俺は自分の部屋に戻ってロアから渡された本でも読むとしよう。街のことだけじゃなく、この世界をもっとよく知る必要があるからな。
いつまでもニアに世話になってばかりというのも考えものだし。
「おやすみ、ニア」
「…………待って!」
俺がニアの部屋から立ち去ろうとした時、後ろから声が投げかけられ、それと同時に右腕が掴まれた。
今、この部屋には俺とニアの二人しかいない。
ニアだとすぐに分かる。
「なんだ、起きてたのか」
「私がお姫様抱っこされた時、軽く目が覚めたの」
今度からは、もっと優しく持ち上げるとしよう。
「それにしても、レイジって割と紳士じゃん。寝てる私を、ベッドまで運んでくれるなんて……。しかも、お姫様抱っこで……」
「褒めても何も出ないぞ。なにせ無一文だからな! まあ、疲れてるみたいだし早く寝ろよ。……おやすみ」
疲れてるようだからニアの眠りの邪魔にならないように、俺は部屋を早々に立ち去ろうとする。
「待って! ……もう少し、話そうよ」
しかし、再びニアに呼び止められた。
振り返るとニアは俯いていて、俺にはニアがいつもより弱々しく見えた。とりあえず、突っ立っていてもしょうがないので、俺もニアのベッドに腰を下ろす。
話といっても何を話せばいいのか、俺にはさっぱりだった。
とは言え、元の世界のリア充の友達が言うに、『話は女の子から切り出してくるのを待て』だそうなので、とりあえずニアが話を切り出すのを待つ。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
沈黙だ。沈黙が生まれた。
まるで、この世界に俺とニアしかいないような、そんな静寂が空間を満たしている。
…………気まずい。とても気まずい。
このまま沈黙が続くのは耐えられない。
仕方ない、俺から話を切り出すとしよう。ちょうど気になっていたこともあるし。
「そういえば、この屋敷って随分と静かだけど、お前の家族はどっか旅行にでも行ってるのか?」
「………………」
ニアは俯いて何も喋ろうとしない。
具合でも悪いのかと思い、顔を覗き込んで初めて気づいた。
「お前…………、泣いてるのか?」
「見るなぁ…………」
ニアは俺に泣き顔を見られまいとし、体の向きを変えて俺に背を向ける。
女の子を泣かせてしまった。
生まれて初めて、女の子を泣かせてしまった。
俺は何をどうすればいいんだろう。
慰めの言葉を掛けるのか?
それとも後ろから…………抱きしめればいいのか?
恋愛経験が皆無な俺には何をしたら良いのか分からない。こんなことなら元の世界でもっと恋愛してればよかった。友達のリア充にもっと話を聞けばよかった。
今の俺は、ニアに何もしてやれなさそうだ。泣いている後ろ姿を眺めることしかできない。
ござる口調で喋ることぐらいしかできない。無力だ、あまりにも無力だ。
あ、なんか目から汁が出てきたでござる。溢れてくるでござる。と、止められないでござる。とめどなく流れてくるでござる。
「…………って、なんでレイジが泣いてんのよ!」
俺が泣いていることに気づいたニアが身体をこちらに向けて言った。目の周りは赤いが、涙は止まっているように見えた。
「わ、分からないでござる」
「ござるって…………意味わかんないよぉ…………」
俺の手の甲に何かが落ちた。
…………涙だ。自分のではなく、ニアのだ。
ニアがまた泣き始めてしまった。
もらい泣きというやつだろうか?
そう言う俺も、まだ涙を流している。
こういう時はやっぱり抱きしめるべきなんだろうけど、さっき言った通り、今の俺には抱きしめることはできない。抱きしめる権利がない気がする。
でも、女の子の一人も慰められないような甲斐性無しな俺だけど、一緒に涙を流すことはできると思う。
だからせめて今は、同じ時間、同じ空間で、俺はニアと一緒に涙を流そう。