第6話 「クロロア」
俺とニアはメリーゴーランドから解放された後、気持ち悪くなってしまって部屋の中の机に突っ伏している。
「…………勘弁してくれ」
辛うじて俺は声を出す元気があるが、ニアはぐったりしていて起き上がらない。まるで、死んだ魚みたいだ。
ふと、俺はロアがこちらをじっと見つめているのに気づいた。
「あ、あのー。何か僕の顔についてますかね? ……えっと……、ロアさん」
「クロロア・エスペディート…………」
「え?」
「私の名前」
「あ、ああ! 俺は八雲 怜治。よろしく、クロロア」
何かの呪文だと思ってしまい、俺はメリーゴーランドの件もあったため身構えたが、その必要はなかったらしい。
ホッと一安心だ。
「ねぇ、あなたは……この世界の人間じゃないの?」
「へ⁈ クロロア、何を言って……」
「ロアでいい……。それでレイジは…………どうなの?」
こちらの世界の人は、互いの名前を親しく呼び合うのだろうか? ニアといい、ロアといい。女子をこんな風に呼ぶのは小学生以来だ。
中学生になってからは、◯◯さん、という呼び方しかしたことがない。
あとは呼び捨てだとか……。
あれ? そもそも女子と会話したことあったっけ?
いや、今はそんな事を思い出している時ではない。
俺はどう答えるべきか考え、ニアを一瞥してからロアに言った。
「ロアの想像通り、俺はこの世界の人間じゃないよ」
隠していても仕方がないと思い、俺は本当のことを言った。ロアがなぜ気づいたのかは今は置いておくとしよう。
「……ニアは知ってるの?」
ロアに問いかけられ、俺は思わず苦笑いを作ってしまった。
「ニアにはまだ言ってないんだ。隠す必要ないんだけどさ、なかなか言い出せないんだよ」
『実は嘘でした!』なんて、馬鹿みたいでなかなか言い出せない。
例えるなら、『あんたのことなんか、す、好きじゃないんだから!』と言ったツンデレ乙女が、ツンデレだとは知らなかった男から『そ、そうなんだ………』という反応を受けて、自分の本当の気持ちが言い難くなる感じだ。
俺は乙女じゃないけど、自分が乙女に成る妄想をしたことがあるから割とあってると思う。
「……それ何?」
ロアの視線はいつの間にか、俺が右手に持っている木刀に注がれている。
「元いた世界の『木刀』って言う、木でできた剣みたいなもんだ」
「ひび……、入ってる……」
「ちょっとした訳があってな」
木刀に入っているひびは、ドラゴンとゴブリンのハイブリッド生命体との戦闘によるものだ。
特に直せる方法があるわけではないから、ひびが入ったままの状態に甘んじている。
「それ、直せるよ……たぶん……」
「ほ、本当か?」
「……嘘はつかない」
「いやっほい!」
ロアの言葉を聞いて俺は思わずガキみたいに喜んで、笑ってしまった。
実はというと、この木刀は俺が祖父から譲り受けたものだ。ひびが入った時は悲しかったが、美少女を救った勲章だと思えば少しは気を紛らわせることができた。
しかし今まで大切にしていた為、やっぱり木刀に入ったひびは気になる。
毎晩、ひびを見るたびに枕を涙で濡らしていたのは内緒だ。
でも、木刀を直してもらえれば枕を濡らさずにすむ。
タダかな?
俺、金なんて持ってないぞ。
『友達の友達は友達』という言葉もあるからタダで引き受けてくれるよね、なんていう俺の妄想も虚しく、当然のような口調でロアに対価を要求された。
「……対価として、レイジの異世界に来てからのことと、来る前のことが知りたい…………」
ロアが金を要求するがめつい女でないことに、俺はひとまず胸を撫で下ろした。
「……あなたが元いた世界がどうかは知らないけど、この世界では対価は必ず要求される……。タダなんて甘い言葉は、この世界では淘汰されるべき言葉」
「りょ、了解です……」
ロアは少し強い物言いで、自分の心を見透かされたような気がした。タダほど怖いものはないと言うし、ロアの言う通りなのかもしれない。
与えられ、与える。というわけか……。
「それで……どうするの……?」
ロアが急かすように、俺に聞いてくる。
俺のことを考えて、ニアが起きる前に事を済ませたいのかもしれない。
「お腹……空いたから早くして…………」
俺のことなんて、考えてくれていなかった。
「その提案、受けるよ」
「…………場所をうつす……」
そう言ってロアが指をパチンと鳴らすと、二人の足下に突如として魔法陣が広がる。
魔法陣は次第に上に上っていき二人を飲み込んだ。
俺はあまりの眩しさに目をつむる。
そして、次に俺が目を開けると、さっきいた場所とは違う風景が目に映っていた。
無難に考えて空間移動の魔法とかだろうな。
「指ぱっちん一つでこれか…………凄いな魔法って」
「指ぱっちんは雰囲気の問題……」
ボソッと言ったロアの顔は少し赤みがかっている。
「指ぱっちん、かっこいいと思うぞ」
「うるさい……。早く始めたいから、それ渡して……」
俺はひびの入った木刀をロアに渡す。
ロアは木刀を受け取ると、ひびが入った箇所を軽く撫でた。
「……、直った…………」
「へ⁈」
ロアは俺に木刀を手渡してくる。
ひびのあった箇所を確認すると、確かにひびは無くなっている。
魔法ってこんなに便利なのか?
もしかしたら茶色の消しカスのような物を、ひびに詰めて直ったように見せているだけなのではないのか?
いろいろと思考を巡らせるが、木刀が直っているのは確かだ。
魔法の利便性に驚きを隠せないが、今は木刀が直ったことを素直に喜ぼう。
「木刀を直してくれて、ありがとうな。それで、対価として俺の話をすればいいんだよな?」
「そう……」
「それじゃあ、本当に初めから話していくぞ」
俺はロアがこくんっと頷いたのを確認して、俺は異世界に来る前のことを話し始めた。
話の内容はいたって簡単だ。
元いた世界では俺は学生で、常にここみたいな異世界に行く妄想をしていたこと。
この世界に来て、俺が変な怪物からニアを助けたこと。
ニアによる長時間の街案内のおかげで、俺の体力が残りわずかであること。
これらのことを大まかに話した。
「こんなもんでいいか?」
「……充分。それよりお腹すいた」
立てかけてある時計を見る限り、時間は八時をすぎている。
「そろそろニアが起きてもいい時間だよな、とりあえず戻るか」
「わかった……」
ロアが手を前にかざすと、再び魔法陣が足下に現れる。
「指ぱっちんはいいのか?」
「うっさい……」
魔法陣は再び上に上がっていき、俺とロアの体をすっぽりと飲み込む。そうして再び空間移動したロアと俺は、ニアが寝ている場所、ロアの部屋に戻ってきた。