第4話 「案内してあげる」
『オルテア』からタクシーらしき乗り物で運んでもらって約一時間。
俺は『ザッハルト』と言う街に連れてこられ、
「でっけぇえええ!」
ニアの住んでいる屋敷の前に到着した。
「こう見えて私、けっこう名高い家の生まれなのよ」
ニアは誇らしげな顔をして、「どうだ!」と胸を張っている。
もともとニアの胸が少し大きいこともあり、どどどん! と強調されて目のやり場に困った。
俺が困り顔で立ち尽くしていると、ニアは俺の手を引っ張って屋敷の中に招き入れる。
屋敷の入り口であるデカイ扉は、ニアが軽く手のひらで押しただけで開いた。
デカイ扉の先には、それはもう絢爛豪華なものよ!
玄関が超デカイ。
「でけぇ……」
「むむむ。それ以外の感想はないの?」
元の世界で小さなアパートに住んでいた俺からすれば、正直、それ以外の感想は出てこない。
強いて言うなら、煌びやかすぎて目が痛い、ということぐらいだ。
「今から、屋敷を案内してあげるね」
そう言ってニアは俺の手をむんずと掴んで引っ張り、屋敷の案内を始めた。
「ここがトイレね」
「でけぇ……」
「それで、ここがバスルーム」
「で、でけぇ……」
「ここが書庫」
「おお、でけぇ」
イギリスの大英図書館ほどの大きさではないが、この屋敷はその半分くらいはありそうだ。大英図書館はネットでしか見たことないけど。
「それで、ここが食卓」「ここがリビング」「ここもリビング」「こっちは倉庫」「ここは精霊の間」「それからそれから…………」
俺はリードに繋がれた犬に引っ張られているような感覚で、ニアに引きずり回されていた。
「…………疲れた」
でかい、いくら何でもデカすぎる。
もう、「でけぇ」を言うのは疲れた。
気前よくいちいち感想なんて言う必要もないのだが、「でけぇ」なんかでも言わないと、ニアが少し寂しそうな顔をするんだよ。
ほんとうに疲れた。
ニアが案内を始めてから、体感で二時間は経っている気がする。
俺をふり回している時のニアは、とても楽しそうにしている。
楽しそうなのは何よりだが。もう、勘弁してくれ。
「んで、ここが私の部屋で……。次で最後になるんだけど……」
ようやく終わりが見えた、と俺は内心ホッとする。
「こっちの部屋が、レイジの好きに使っていい部屋ね」
ニアにそう言われて、俺はさっそく入ってみる。
その部屋は、アパートの部屋と比較するのが失礼に思えるほどに広かった。
「こんな良い部屋を、俺の好きに使っていいのか?」
「気にしないで、持て余してた部屋だから」
そう言ったニアの横顔は、どこか悲しげに見えた。
「ああ! いいこと思いついた」
突然、ニアは何かを思い出したかのような声をあげる。
俺は嫌な予感しかしない。
「私がレイジに、街を案内してあげる!」
残念なことに、俺の予想は的中してしまったようだ。
とは言え、案内する時の、あんなに可愛く笑うニアを見てしまったら俺には断ることなんかできない。
「また、長くなりそうだな…………」
俺はニアに聞こえないぐらいの小声で、そっと呟いた。
「何か言った?」
「何も言ってないよ」
「それならいいけど……。街案内は明日の朝からね、今日はもう遅いから」
外を見れば、もう夕日が完全に沈みそうな具合で、次第に外は暗くなっていく。おい。二時間程度では済まされないぐらい時間が経っていたんだが⁈
「夕食にしようか!」
「わかった」
俺はニアに連れられて、夕食を食べにリビングに向かう。
数十分後、夕食を食べ終えた俺は早速自分の部屋に戻り、部屋のベランダから外を眺める。
異世界の空はとても綺麗で、満天の星が見える。
元の世界では滅多に見れないこの光景を、俺はしばらく堪能していた。
◆◇◆
『起きて、おーきーてー!』
ニアが、俺の耳元で叫んでいるのが分かる。
ああ、今日は街案内をしてもらうんだったか。
それはそうとして、腹部に何か乗っている気がするのだけれど…………。
「今起きるよ。それより、腹部に何か重いものが…………」
「重いってどういうことかなぁ? 重くないもん!」
もん、ってなんだよと思いながら俺は目を開ける。
まず最初に目に飛び込んできたのは、顔を紅潮させたニアが俺の上に馬乗りになっている光景だった。
………………へ?
「え⁈ いや、な、何してんのさ!」
「私は…………重くなんかないもん!」
ふくれっ面のニアの右手から、ローズレッドな輝きが湧いて出る。あの怪物との死闘の時に俺の手や足から出てきた輝きと似ている。いやいや、冷静な分析をしている場合ではない。何やら、まずい事態になったように思われる。
「は、話をしようか」
「私は…………重くない!」
逃げろ、と俺の中の生物的本能が俺に訴えかけるが、時すでに遅し。放たれたニアの右手を、俺の目は捉えることができなかった
(グッバイ、俺の異世界生活……)
たぶん今回で二回目になるであろう、異世界への別れを心の中で告げ、俺の意識は遠い彼方に消えていった。
『起きて、おーきーてー!』
この声に俺はデジャブを覚える。
二度目を間違うことは許されない。
俺の持つ不可視の体力ゲージが、俺に間違えることを許してくれないからだ。
腹部の多少の重みを感じとり、さっきと同じ状況であることを確信する。
「今、起きるよ。にしても…………ニアは軽いなー。ちゃんと食事をとってるのか?」
「毎日運動してるからね。努力した甲斐があったよ〜〜」
ニアは満面の笑みを俺に向ける。その笑顔を見て、俺は胸を撫で下ろした。
殴られることはなさそうだ。
「えっと、その……さっきは、ごめんね」
ニアは申し訳なさそうな顔をしているが、俺には分かる。
必死に笑いをこらえているのが分かる。
口元をよく見てみると、少し口角が釣りあがっているし、確信犯だと認定できる。
まあ、それでも。故意ではなかったとは言え女の子に、重い、と言ってしまった俺が悪いわけだから許す。
「許す。それより、俺、何分気を失ってた?」
「五分ちょいかな?」
そんなもんか、と少し安心。三十分とか気を失っていたら、どこかヤバいところを殴られたのではないかと、病院に直行してた。
「いや、本当にごめんね…………。レイジが望むなら、その…………私、何でもするから」
ニアは上目遣いで、目を少し潤ませながら、俺に謝った。
なんていうか、いつもより可愛く見える。まあ、まだ会ってからそんなに経ってないけど。
それでも、ニアってこんな顔もできるのか、と俺は内心舌を巻いた。
「そんな気にしなくていいよ。俺にも少し非があったからさ」
「なに顔を赤くしちゃってんの? まさか、私の艶やかさに見惚れちゃった?」
「そ、そんな訳ないだろ! いいから早く街案内をしてくれ!」
ニアは、「はい、はーい」と言って俺の手を握り、昨日みたいに俺を引っ張っていく。
どうしてかニアが隣にいると、俺の調子が狂う。
◆◇◆
屋敷を出て、約束通りニアに街案内をしてもらっている。
「なあ、聞きたいことがあるんだけど……?」
俺は少し胸に引っかかっていた事をニアに尋ねてみることにした。そんな大事なことでもないんだけどね。
「何が聞きたいの? ちなみに私って頭いいんだけど、秀才に見える?」
残念ながら欠片もそうは思えないよ、と言いたかったが、機嫌を損ねて質問に答えてくれないと困るから、スルーの方向で。
「ニアが俺を殴った時のことなんだけどさ、ニアの右手から何か出てたろ? あれって何なんだ?」
「レイジの生まれた場所じゃ教えてもらえなかったの? ハブられてたの?」
ニアは愉快に笑いながらそう言った。
ああ、そうか。俺は異世界から来た設定ではなく、東の小島から来た設定だったな。
俺が無知なのがいけないとは言え、笑われるのはなんか癪だな。
「いや、俺って実は記憶を失っててさ。思い出せないんだ、昔のことが……」
いくらなんでも無理があるだろ、と俺は自分をたしなめたのだが、
「そうだったんだ……。なんか、ごめんね……」
予想だにしなかった反応で、俺は焦る。
空気が重い。
「じょ、冗談だよ。まぁ、今は理由とかどうでもいいだろ? とりあえず教えてく……ださい」
冗談をついたからか、ニアはジト目でこちらを見てくる。
冗談くらいいつもみたいに笑って流してくれよ。
「あれは、精霊の加護よ。『アシスト』とも呼ばれているわね」
ニアが、やれやれ仕方がない、といった感じで言った。
「精霊の加護か…………。どんな力なんだ?」
「まあ、ざっくり言うと、身体強化とか魔法強化っていう感じの力ね」
ということは、俺は身体強化された右手で殴られたわけか。
「あの時、ニアは『アシスト』を使って右手を強化したんだな……………。強化する必要ありましたかねぇ⁈」
「…………ノリで」
「ノリで⁈」
俺が、隣でにこやかな笑みを浮かべているニアに、ちょっとした恐怖を覚えた瞬間だった。
細身のニアであの威力だったのだ、もし大男だったら…………想像するまでもない。
そもそも、目が覚めたら自分の下腹部に大男が馬乗りになっている状況なんて、想像するだけで身震いがする。
ホモは絶対にダメだ。
なんて思ってたら、元の世界に居た俺の友達の言葉を不覚にも思い出しちまったよ。
『男にも、穴はあるんだぜ☆』
懐かしいな、あの頃が……。
「ねえ、聞いてる? ねえってば!」
「おっと、悪いな。ちょっとヘヴン状態だった」
「変なこと言ってないでいいから、街案内の続きを始めるよ!」
「へいへい」
「へい、は一回!」
「へい!」