第3話 「ニア・クリューエル」
「…………ここは?」
目を覚ました俺は、腹部に多少の痛みを感じながらも上半身を起こして、自分の周りをぐるりと見回してみる。
白いカーテンに白い壁。白によく映える赤い花が植えられた花瓶が、窓際に置かれている。
そして俺は白いベッドの上にいて、白を基調とした落ち着いた部屋だとわかる。
ここは……病院か?
それ以外の答えは頭の中に浮かんでこない。
そして嫌な想像が頭によぎる。
「まさか……今までのは全て夢だったのか……?」
とりあえず、推理を開始する。
俺は何らかの事故で大怪我を負い、病院に運ばれて手術を受けたが、なかなか意識が回復しなかった。
そして今さっき目を覚ました。
あの怪物との闘いは、あの美少女との出会いは、意識を失っている間に見た夢だった。
この夢オチなら、全てが説明できてしまう。
「俺は、異世界なんかに行ってなかったというのか?」
今までのは全て夢だった。俺は、俺が思い描いた妄想を夢で見ているだけで、夢なんて叶っていなかった。
まぁ、夢じゃなかったら俺は死んでたかもしれないけど。
でもさぁ、こんなのってあんまりじゃないか?
やるせない気持ちが体の奥からこみ上げてきて、
「神様の……バカヤロォオオオオ! …………はぁー」
窓を開けて不満をぶちまけた。
あースッキリした。まるで便秘が治った時みたいだ、なんて事を考えていたら、ガチャッとドアが開く音がした。
きっと廊下を歩いていたナースが、俺の大声に驚いて様子を伺いに入ってきたのだろう。
どうせなら美人ナースがいいな。
「あなたねぇ、病院なんだから静かにしなさいよ。隣の部屋の人に迷惑でしょ? それに、『神様のバカヤロォオオオオ!』だっけ? …………くふっ、ふふふ、あははっ!」
空を眺めていた俺の耳に、聞き覚えのある声が入ってくる。
振り返ってみるとそこには、凛々しい瞳に端整な顔立ちの見覚えがある美少女が立っていた。
一際目を引く、真紅に染まったセミロングの髪が特徴的で、病院の白い内装によく目立つ、黒を基調にした大人っぽい服を着ている。
…………ナースじゃなかった。
っていうか、ここって異世界じゃねえか!
俺が異世界に来てしまったのは、夢ではなかった。
その事実だけで胸がホッとし、涙が出てくる。
そんな俺が感動に浸っている時。
「はい、りんご」と言って美少女はりんごを投げてきた。
ドスッと鈍い音をたてて、俺の腹部に着弾。
「うっ」
思わずうめき声がでる。
「お前さぁ、怪我人はいたわれよ! それに、せめてリンゴの皮ぐらい剥いてくれよ!」
気のせいだと思いたいが、腹部の傷口から血が少し出た気がする。
ほんと、シャレにならない。
「お前って呼ばないで。私にはちゃんとした名前があるんだから。つぎ、私にお前って言ったら、このナイフでリンゴの代わりに貴方の皮を剥くから」
「こえーよ!」
「兎に角、つぎ言ったら…………こう、サクッと」
そう言いつつ美少女はナイフを持ちながら、ゆっくりとにじり寄ってくる。
「いや、ちょっ、来ないでくれ! や、やめろ! あ、ああああ!」
「勘違いしないでよ、リンゴの皮を剥くだけよ!」
まぎらわしいんだよ! と心の中で俺は盛大につっこんだ。
ていうか、異世界にもリンゴってあるんだ。
◆◇◆
「私は、ニア・クリューエル。…………特別に、ニアでいいわ」
ニアはリンゴの皮を剥きながら、俺に名前を教えてくれた。
「俺は、八雲 怜治。……怜治でいい」
「ヤクモ・レイジ……あはっ。変な名前だなぁ」
「変とか言うな!」
「ひひっ、ごめんって」
ニアは笑いながら謝りつつ、皮を剥いて六等分したリンゴを皿にのせ、俺に差し出してくる。
「なぁ、この病院はなんていう名前の街にあるんだ?」
リンゴをシャリシャリ食べながらニアに聞いてみた。
「『オルテア』っていう街よ。あまりこの街に来たことはないから、詳しいことはそこら辺の人にでも聞いて」
やっぱりそうだ、俺はまだ異世界にいる。
それに、決定的な証拠として外を見ると、ドラゴンが飛んでいるのがわかる。
なぜ叫んだ時に気づかなかったのか。
そういえば、バカヤローとか言って悪かったよ神様。
「ああ、そういえば、レイジが私の裸を見た罰は、私を助けようとしてくれたことで帳消しにしといてあげる」
感謝してよ、と付け足してニアは笑う。
命を賭したのだから、お釣りがきてもいいぐらいだと俺は思うが、口には出さない。
「ついでに聞くけど、レイジってどっから来たの? あと、私のストーカーだったりする?」
俺は事実を包み隠さず言うか迷ったが、
目が覚めたら、異世界に来てました! とか誰が聞いても普通は信じない。
俺は結局、事実は話さないことにした。
「かなり遠い東の方から来たんだ。小さい島国だよ。そして俺はストーカーなんかじゃない」
東の方に島国があるかわからないが、きっと何処かにはあるだろう。
「へー、そうなんだ。それじゃあ、用事あるから帰るね」
ニアは興味がなさそうに生返事をして、ドアの方へ向かった。
そして、俺の方を向いて少し恥ずかしそうに
「あの時、助けてくれて……ありがと」
そう言って、ニアは俺の病室をあとにした。
(なんだ、可愛いところもあるじゃないか)
◆◇◆
俺が目を覚ました日から、一日経って次の日。
「うっ」
突然、腹部に果物の入ったバスケットが投げつけられた。
昨日と同様に、ニアのさしいれだ。
「なんだ、今日も来たのか」
「来てあげてるんだから、ありがたく思いなさい」
俺の腹に投げつけられたバスケットには、見たことのない果物が入っている。
トゲトゲしていて、見るからに禍々しい。
「これ食べれんのか? 毒入ってたりしないだろうな……」
「貴方の出身地には無かったの? まぁ、安心しなさい。普通に美味しいから」
本当だろうか? 半信半疑のまま、その禍々しい果物を口に運んだ。少し硬いが、あの時の木の実に比べたら食べれないことはない。そして……、
「うまい……だと……⁉︎」
「でしょ! ちょっと食べ辛いのが難だけどね。こんなに美味しいのに、私の周りの人は誰も食べないんだよ。店にも売ってないし」
頬を綻ばせながら、ニアはトゲトゲしい果実を口に運ぶ。
すごい絵面だ。
…………店に売ってないって、大丈夫なの?
「ああ、伝えることがあったんだ」
果実を食べ終えたニアが思い出したように話を切り出した。
「何だ?」
「えっと……その前に。今日、レイジは退院するでしょ。それで、退院した後…………予定とかあるの?」
今日退院なんて初耳なんだが……。
なんで患者である俺が知らないで、他人であるお前が知ってるんだよ。
「これといって、特に予定はないな」
「そう、なら良かった。予定がないなら、行くあてがないなら、…………私の家に来ない?」
ニアはニッコリと微笑みながら、俺にそう提案してきた。
「へ⁈」
ニアの言った内容が、突拍子が無さすぎて困惑を隠せない。
あれ、なんて言ってたっけ? もう一度聞かないと。
「今、なんて言っ……」
「『はい』か『イエス』の二択で選んでね」
「選択の余地がねえ! …………イエスでお願いします」
……俺は無一文だ。
退院して外に放り出されたら、行き倒れること間違いなしだろう。そう考えると、ニアからの提案は俺にとっては願ったり叶ったりだった。
やったー。寝泊りできる場所を確保したよ。
「そうと決まれば、早く行こうよ。ほら!」
ニアは太陽みたいな笑顔を浮かべ、手を差し伸べてくる。
俺は迷わず彼女の手を握った。