エピローグ
「…………いたっ」
全身に走る激痛で俺はベッドの上で目を覚ました。
身体を起こしたのがベッドの上であることから、あの戦いの後、俺がぶっ倒れたことが容易に想像できる。
きっと、俺は病院にいる。
窓から外を見たところ、外は深夜のようだ。近くのテーブルに置いてある時計の短針が、午前零時を指していることから間違いない。
「……おんおんおん?」
俺はポスッと左手をベッドの上に置いたのだが、感触が柔らかかった。
ムニムニしている。揉んでみると案外心地良くて、俺はその柔らかい感触をじっくりと味わった。ムニムニの正体を確認したいのだけれど、頭が重くて、すごく眠い。
瞼が俺に、閉じさせてくれ! と訴えかけているようだった。
「だが断る!」
さて、ムニムニの正体を掴んでやろう。
俺は思いっきりシーツをひっぺがす、
「…………え」
筈だったのだが、俺がシーツをひっぺがすより早くシーツの中の正体がシーツを取っ払って姿を現した。
「…………ニア、何してんの?」
「それは、こっちの台詞よ」
シーツから姿を現したのはニアだった。そのニアは両腕で胸を押さえ、顔を赤く染めている。もしかして、あのムニムニはニアの…………。
「…………星が、綺麗ですね」
「誤魔化すな!」
いや、誤魔化すも何も、同じベッドに寝てるんだから不可抗力というものじゃないのか。なぜに俺が許しを請わねばならないのだろうか。
でも、ここで俺が謝らないと右ストレートが飛んできそだからな、とりあえず謝っておこう。
と思ったら、
「……まあ、今回はお咎めなしで、許してあげるけど」
「許された!」
よく分からないけど、許された。
ニアの気分がよい日で助かった。
「それより、身体の怪我は大丈夫? 痛くない?」
ニアは心配そうな顔をして俺に詰め寄ってくる。
互いの吐息がかかるぐらいに俺とニアの距離は近い。
「まだ少し痛むけど、大丈夫だよ」
俺がそう言ってやるとニアは少し安心したようで、安堵の表情を浮かべる。
「まあ、百を超える精霊と契約したレイジの身体は、精霊の身体に近いから寝てればすぐ治るか」
とニアは、ほがらかに言った。
ほう、俺の身体は精霊の身体に近いものとなってしまったか。ん、待てよ。精霊の身体に近くなったということは、精霊に性別の概念が存在しないように、俺の肉体も性別の概念を失っていたりするのか?
だとしたら、もしかして男に付いてる『アレ』が無くなってたりしてな。
……それは大変困る。
急いで確認しよう。
「…………よかった。ちゃんと付いてる」
ちゃんと『アレ』は付いてた。
性別の概念が無くなっているわけではなさそうだ。
「ちょっと! そういう事をするには順序っていうのがあるでしょ⁉︎ 例えば、…………キ、キス……とか」
「…………へ?」
ニアは少しずつ俺に近ずいてくる。
そして、俺とニアの互いの鼻の頭がくっつきそうにな程に、今のニアと俺の距離は近い。
どうしたらいいか分からず、俺が動けずにいると、ニアはそこから更に顔を近ずけてくる。
俺の額とニアの額がくっついた。
「……いいよ」
ニアは目を閉じて、艶めかしくそう言った。
俺も鈍感ではない、ちゃんとニアの言った言葉の意味は理解している。
上手くできるか不安だったが、俺はニアの唇に自分の唇を、
「お姉ちゃんとお兄ちゃん、何してるの?」
どうしてか、俺の右手側にフィリアがいた。
「「おおう⁉︎」」
そんな奇声を上げながら、俺とニアは反発し合う磁石のように距離をとった。
左手で柔らかい感触を味わっていた時、右手では、固いけど柔らかいといった不思議な感触を楽しんでいたのだが、まさかフィリアだったとはな。
右手側のシーツが少し盛り上がっている気がしていたけど、左手に集中したかったから無視していたが、こんなトラップが仕掛けられていたとは迂闊だった。
ん? もしかしなくても俺は、お巡りさんのお世話になるには十分な犯罪を犯していたような…………ばれなきゃいいんだよ。
「ねえ? 何しようとしてたの」
フィリアが俺に聞いてくる。
「俺とニアがしようとしてた事は、将来、俺とフィリアがするかもしれない事だよ」
黒龍との戦いで、俺の頭がおかしくなったかもしれない。
いや。悲しいけど、…………これが正常だったな。
「なら、将来、私もお兄ちゃんと、それする!」
「ちょっと待ってろ。今から、証明書作ってくるから」
というわけで、俺は病院のカウンターにペンと紙を貰いに行こうとしたのだが、部屋の出口にニアが仁王立ちしていた。ニアの右手はローズレッドな輝きを帯びている。
「…………そこを、どいてくれ」
「この……」
「いや、待って⁉︎ これでも一応、俺は怪我人ですよ⁉︎」
「ロリコンがぁああああッ!」
放たれたニアの渾身の右ストレートは、俺の腹部に綺麗に吸い込まれていき、俺の身体は宙に飛ばされた。挙げ句の果てには、腹部の傷口がバックリと開き、白いベッドを真っ赤に染め上げる。
後日、担当医師から、入院日数が一日増えることを告げられた。
原因は何かって? 決まってるだろ。
俺がフィリアの胸を触ったことについて、お巡りさんが説教しにくるのさ。
説教じゃ済まないかもな!
◆◇◆
俺がお巡りさんの説教を受けてから退院した後に、グリフさんの葬式が開かれた。貴族や王族までもがグリフさんの葬式に参加していて驚いたのを覚えている。グリフさんの店は国が引き取り、グリフさんが引き取っていたフィリアは、フィリアの希望もありニアが引き取ることとなった。
ただでさえニアの所為で賑やかだった屋敷は、更に賑やかになった。
精霊と契約して記憶を失った俺は、当然に両親の顔や友達の顔を思い出せないし、常にぽっかりと胸に穴が空いている気分だ。
でも、ニアやフィリアを見るたびに、そんな事はどうでもよく思えてしまう。
両親や友達の顔を思い出したいとは思うけど、今の俺にはニアとフィリア、そして俺が守った居場所がある。
胸にぽっかりと穴が空いたなら、この世界でニアとフィリアと一緒に、ぽっかりと空いた穴を埋めれるだけの思い出を作ればいいだけだ。
…………ロアのことも忘れてないよ。これからは頻繁に図書館に顔を出して、肉じゃがでも作ってやろう。
記憶を失ったのに肉じゃがを作れるのかって? 肉じゃがを作るのに必要なのは知識だから大丈夫。記憶を失って肉じゃがを作れなくなるなら、言葉も話せなくなってしまうよ。
……肉じゃがのことを考えたら、腹が空いた。
「お兄ちゃーん! 夕飯だから降りてきて!」
フィリアの元気の良い声が廊下から響いてくる。
「今行くよ!」
そう返事をして俺は階段を下り、リビングに向かう。
リビングに入ると、
「今日はハンバーグだから、期待してていいよ」
ニコッと可愛く笑うニアがキッチンに立っている。
俺が思うに、生きる上で一番大切なのは、大切な人がいるかどうかだと思う。
どの世界で生きるかじゃない。
自分が今生きている世界に、命を懸けてでも守りたい大切な人がいるかどうかなんだと思う。
俺はこの世界で、ちゃんと大切な人を見つけた。




