第29話 「精霊契約は計画的に」
空がオレンジ色に染まる夕焼け時、街を歩く人々が少なくなる時間帯に買い物は終了した。
「グリフさん、今日はありがとうございました!」
俺は精一杯の感謝を込めてお礼を言った。
「こちらこそ、今日はいい息抜きになりました」
グリフさんは照れ臭そうに少しはにかむ。
「それでは、私達はここらで。明日からも、アルバイト宜しく頼みますよ」
「お姉ちゃんとお兄ちゃん、またねー」
フィリアはグリフさんと手をつなぎ、つないでない方の手で、バイバイ、と手を振った。
今日の最後の最後で、お兄ちゃんと呼んでくれたことが最高に嬉しい。お姉ちゃん、と並べた時に、お兄ちゃんの方が統一性があっていいと思ったフィリアのファインプレーだろうな。
「グリフさんにフィリア、また明」
ゾクッ、と急に背筋に寒気が走り、俺は言葉を途中で遮られた。
ニアも俺と同じように何かを感じ取っているらしく、目つきが鋭くなっている。
俺がもう一度、別れの挨拶をしようとした時。
『ヴィィィィィィィィィィィィィィィィィィ』
と耳を劈くようなけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。
俺はこのサイレン音を学園の授業で一度聞いている。
このサイレン音は…………。
「凶龍警報ね」
隣にいるニアが、俺の言いたい言葉を代弁した。そのニアの表情は険しく。強い怒りの色を瞳の奥に見た。
「上だッ!」と誰かが声を上げる。
俺が空を見上げると、巨大な黒い塊が落ちてきているのが分かった。
「グリフさん! 避けて!」
ニアの叫び声が響くと同時に、巨大な黒い塊は俺の目の前にいるグリフさんとフィリアの真上に、
落ちた。
「くッ!」
巨大な質量の地面による衝突で舞い上がった土煙が視界を遮り、前方が見えなくなる。
「グリフさん! フィリア!」
あらん限りの声で叫ぶが、返答は返ってこない。次第に土煙が晴れていき、落ちてきた黒い塊を補足することができるようになる。
『グゥォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
巨大な黒い塊から発せられた咆哮が心臓を刺激して、目の前の巨大な黒い塊の正体を知って、俺の心臓が荒々しく脈を打つ。
空から落ちてきたのは、漆黒の巨躯を携え、朱色に染まった眼球を持った黒い竜だった。
「ッ!」
黒い竜の足下に、赤黒い液体が広がっているのが見えた。
「グリフさん! フィリア!」
俺は二人の安否を知るべくして叫ぶ。すると、今度は弱々しい声だが近くから返事が戻ってくる。
「お兄ちゃん」と俺を呼ぶ、フィリアの声だけが俺の耳に入ってきた。
「フィリア!」
俺はフィリアのもとに駆け寄る。幸いなことに、フィリアに大きな怪我は見受けられなかった。
「レイジ、フィリアを連れて逃げなさい!」
ニアの叫び声が耳に入ってくる。
俺がその声を聞いて声がした方を向くと、ニアが炎魔法の魔法陣を展開しようとしていた。
「お前何やってんだよ! 馬鹿なことは止めろ!」
俺がそう言うも、ニアは聞く耳を持ってくれなかった。
「誰か一人が、ここで足止めしないといけないの。私に家族を、これ以上失わせないで!」
「で、でも!」
「いいから、早く行けッ!」
「で……」
「行けッ!」
俺はフィリアを背おって、全力で走ってその場を離れた。
◆◇◆
「やっと会えた、邪眼の黒龍。私が殺してあげる」
ニアは黒龍を前にして、そう言い放つ。
ニア自身、本物の黒龍を見たことはなかったが、黒龍から溢れ出る邪悪な魔力がこの黒龍が邪眼の黒龍であることを語っていた。
ニアは炎魔法の魔法陣を展開し、第三段階、『ボルケーノ』を放つ。
見事に魔法は黒龍に着弾し、派手な爆発を巻き起こした。だが、黒龍は呻くことも動じることもなく、何事もなかったかのようにその巨躯を構えていた。
黒龍はゆっくりと前足をあげ、勢いよくニアに振り下ろす。
ニアは魔術障壁を展開して黒龍の振り下ろしの軌道を変える。振り下ろされた黒龍の右前足は、地面を深く抉った。
……防げなくはない。
ニアは目の前の脅威に向き直る。
「竜対策が進んでね。あの時みたいに好き勝手はさせない」
ニアがそう言った時。
一人また一人と、どこからともなく姿を現わす人間達がいた。
その数、ゆうに百人を超えていた。
「この数を相手に、貴方は立っていられるかしらね」
彼らは各地から集まった、『竜狩り』。
『竜狩り』の集団と黒龍の血で血を洗う戦闘が始まる。
◆◇◆
「……ハァッ! クッ、ハァッ! ……アァ」
俺はフィリアの背おったまま、マラソンランナーばりに全力で走り続け、竜対策に設置された避難用シェルターのある場所に着いた。
シェルターの入り口である鉄扉をぶっ叩く。
「すいません! 入れてください!」
すぐに鉄扉は開けられた。
中から年老いた女性が出てくる。
「早く入りなさいな」
「ありがとうございます」
俺はシェルター内に入った。
全面コンクリートらしき素材で作られたシェルター内部はかなり広く、既にかなりの人数の人が集まっていた。毛布で身を包んで家族で身を寄せ合う人、恋人同士で抱き合う人、壁に背を預け俯く若者など様々な人達がいる。
その人達の顔は皆一様に、恐怖心からなのか険しい表情をしていた。
俺はフィリアを背中から降ろし、壁に寄りかからせる。
「これをどうぞ」
先ほど鉄扉を開けてくれた老女が、お茶の入っているであろう水筒を渡してくれる。
「あ、ありがとうございます」
水筒を受け取った俺はフィリアが寄りかかっている壁に向かう。
「フィリア、お茶を貰ったよ」と俺が声をかけるも、フィリアからの返答はない。顔を覗き込んでみるとフィリアの目は閉じていた。
気絶している。
俺も腰を降ろし、フィリアの隣で壁に寄り掛かる。
「……はぁ」
走って疲れたからか、はたまたニアのことを気にかけてか、口からため息が漏れる。たぶん後者だ。
俺の脳内であの黒い竜の姿が蘇る。教科書でしか見たことがないが、あの黒い竜は、邪眼の黒龍で間違いないだろう。
ニアの両親の仇であり、たった四年前に災いをもたらしたばかりの最凶の竜。その邪悪な姿を思い出し今になって足が震えだし、カチカチと歯が鳴るほどに俺は心から恐怖を抱いていた。そして、黒龍の足下に赤黒い液体が広がっている光景までもが鮮明に蘇る。
考えたくもないが、きっとあれは、グリフさんの…………血液だ。
みじかな人が死んだ。その事実は徐々に俺の心を蝕んでいく。突然の出来事で今でもにわかには信じられない。もしかしたら生きているかもしれない、そんな希望的観測も持ってしまう。
くそっ、どうしてグリフさんが…………。
時に厳しく、時に優しくしてくれたグリフさん。
本当ならあの黒龍をぶっ殺してやりたい、だけど、今の俺にはそれを実行できる力は無い。無力だ。俺はあまりにも無力だ。
情けない。ニアに、女の子に逃がしてもらう俺は、カッコ悪い男だ。
殴り飛ばしたい、何もできずに壁に寄りかかっている俺を殴り殺したい。
俺は……。
「ねえ、じいちゃんは?」
目を覚ましたのか、ニアが周りをキョロキョロしながら尋ねてくる。
「………………」
俺は何も言えなかった。
「ねえ! じいちゃんは何処にいるの?」
再度、涙目になりながらフィリアはすがるように尋ねてくる。
俺はフィリアを…………抱きしめた。
何も言えない俺は、無言で抱きしめることしかできなかった。ただただ抱きしめる。
フィリアが俺の胸の中で、嗚咽を漏らす。小さかった嗚咽は次第に大きくなり、いつしか絶叫に変わった。
「じいちゃん! 一人にしないでよぉぉぉおおおおッ! ぁあああああああああああッ!」
俺は更に強く強く抱きしめる。
◆
フィリアは散々に泣き明かした後、疲れて眠ってしまった。
俺が配布された毛布をフィリアに掛けてあげよとした時。
鉄の扉が開く音がした。まだ逃げ遅れていた人がいたか、そう思って扉の方を見た。
「……え?」
入ってきたのは、ロアだった。
まっすぐに俺のところへ歩いてくる。
そして、ロアは俺の前で足を止め、
俺の頬を強くぶった。
「はえ?」
どうしてぶたれたのか理由が分からない俺の身体は硬直する。
「『竜狩り』は、ほぼ全滅した。…………ニアが待ってる。貴方を待ってる」
ロアの言葉には棘があった。
「でも、俺にどうしろって言うんだよ。情けない話だが、俺には力が無い……」
『妄想』なる魔法適性こそ有しているが、魔力保有量が圧倒的に少ない俺では太刀打ちができ無い。黒龍の目の前でリンゴを作ればいいのか? それに、精霊の力を借りたとしても、一回発動しただけで〈マインド・ブレイク〉だ。どうしようも無い。
「ぶへっ!」
俺は再びロアにぶたれた。最初のより強かった。
ぐいっ、とロアに胸倉を掴まれる。ロアの顔が目と鼻の先にあった。
「…………私は知ってる、レイジが誰よりも強いことを」
「俺は強くない」
「……レイジは強い」
「強くない」
「レイジは強い!」
ロアの荒々しい声がシェルター内で反響する。俺はロアの怒声を初めて聞いた。
そして次には、ロアは泣いていた。
「私じゃ無理なの……」
ロアは俺の肩に頭を乗せて、泣く。
俺にどうしろって言うんだ。俺に、自ら死地に赴けと言うのか。
「お兄ちゃん。お姉ちゃんを、…………助けてあげてよ」
ロアの怒声で目を覚ましたのか、フィリアが目を覚まし、俺にすがるように身体を預けてくる。
お前は知ってるだろ、俺が果物をリンゴに変えることしかでき無いことを。
俺にはどうしようもないんだよ。精霊に力を貸してもらったとしても、デュランダルを一発振り抜くだけで〈マインド・ブレイク〉。そんなんで、国が手を焼いてる龍に勝てるわけないだろ。本当にどうしようもないんだよ。
ここで俺が助けに行って俺が死んだら、それこそニアが身を挺して逃がしてくれた意味がない。
俺が助けに行ったところで、意味がない。
「しっかりしろ!」
「痛っ⁉︎」
ゴンッ、と鈍い音がシェルター内で反響する。
突然、ロアがヘッドバッドをかましてきた。
続けざまにロアはヘッドバッドを何度もしながら、
「レイジのその命は、誰に助けてもらった? 初めて怪物と戦った時、貴方は誰に助けてもらった? 決闘の時、誰が貴方を奮い立たせてくれた? いい加減、今まで滞納してきた対価を支払う時じゃないの? とっとと……」
ロアは身体を後ろに反り返らせた。額からは鮮やかな赤い血が流れている。
「待て、ロア。額から血が…………」
「ニートを卒業しろおおおおおおッ!」
反動をつけて威力が上がったロアの渾身の頭突きが、俺の額に炸裂した。
目の前がチカチカと明滅する。
俺は後ろに仰け反り、倒れた。その上から覆い被さるようにしてロアが倒れ込んでくる。そのままロアは俺に抱きついてきた。
「痛い」
ロアが耳元で呟いた。
痛いなら最初からやるなよな。
「頑張りすぎなんだよ。それと、俺はニートじゃねえ。……ありがとうな、ロア。」
深呼吸をして、体勢を整える。
ニアは俺を助けてくれ、さらに居場所まで与えてくれた。服を買ってくれた。決闘に勝ったお祝いで、パーティーを催してくれた。いつも、美味しい料理を作ってくれた。なんだかんだ言って故郷が恋しい俺を、隣で励ましてくれた。笑顔で癒してくれた。
俺はそんな恩人を、大切な人を、見捨てるというのか?
《死にたく……ない。お願いだから、誰か………助けて》
突然、あの時のニアの声が脳内に響いてきた。
俺はあの時の、ニアが怪物に襲われている時何をした?
…………俺はニアを、助けただろ。そして、助けられた。
相手が違うから逃げるのか?
…………そうじゃないだろ。
女の子を見捨てていいのか?
「そんなことがあって、いいわけねえだろ!」
結論は出た。いや、最初からこの結論以外あり得なかった。…………ニアのいない異世界に、俺の居場所はない。
女の子二人にお願いされて折れたからじゃない。俺が、ニアを助けたい。恐怖で忘れていた、ニアが俺にとって大切な存在であることを。もう、忘れることは許されない。
「ロア、今すぐに地面にデカイ精霊契約用の魔法陣を描いてくれ」
「……わかった」
「フィリアは兄ちゃんの手を握っててくれるか?」
「わかった!」
俺は頭の中でロシアン少女、もとい精霊を呼ぶ。
するとすぐに、俺の目の前に精霊は姿を現した。
《ヤッホー。すごい事になってるね!》
「事情を知っているなら話が早い。今すぐに、ここにありったけの精霊を呼んできてくれ」
《…………ふーん、面白そうな事をしようとしてるね。わかった。すぐに仲間を集めてくるよ》
「頼んだ」
俺はそう言い、ロアの方に向き直る。
相変わらず凝ってるデザインだな、と苦笑する。
ロアは既に精霊契約用の魔法陣を描き終わっており、自慢げな表情 (ドヤ顔)で俺を見ていた。
あとは、精霊が集まるのを待つだけだ。
《いやっほーい。連れてきたよー!》
思いの外、早く連れてきてくれた。ありがたい。
フィリアには少し離れていてもらい、俺はロアの描いた魔法陣の中央に立つ。
「準備はできた。……今から、精霊契約を始める!」
俺がそう言葉にした瞬間、シェルター内が虹色の輝きで埋め尽くされた。
輝きは、様々な精霊達の持つ魔力の色だ。集まってくれた精霊を見渡す。ざっと見た感じ、二百以上はいそうだ。
俺は息をゆっくり吐き、そして空気を吸って声を荒げて言い放つ。
「精霊契約の対価は……この世界に来る前の俺の記憶の全て」
俺の言葉に精霊達の間で、ざわめきが起こる。
それもそのはず、契約すれば異世界の大量な情報、俺の十七年間分の記憶を手に入れる事ができるのだから。
そして、本で読んだ事だが、自分の記憶を対価として差し出した人間の前例はない。
そして、二桁を超える精霊と契約した人間も前例がない。
ざわめきが起こるのは必然だと思えた。
でも、これぐらいしないと、災厄をもたらした邪眼の黒龍には到底勝てない。
「契約の種類は永続契約だ。俺は記憶を差し出すんだ、文句は無いよな」
こっちは十七年分の記憶を差し出す。永続契約でなくても、十七年間は契約の効力が残ってないと割りに合わない。
俺の言葉に精霊達は無言になった。無言は肯定ってことでいいよな。
《僕を通じて、君の魔力の波長のデータを皆んなに送るよ。ふふ、二回目だね、僕と抱き合うのは》
すでに契約している精霊が、俺の抱擁を待っているのか手を広げてそう言った。
《少女の抱擁を味わいたいなら、いつでも呼んでくれていいからね。あと、ニア君の声真似したんだけど、似てた?》
精霊がケラケラと笑いながら言う。ってか、お前かよ。
「それもいいかもしれないけど。あいにく俺は、ロリコンじゃないんでな」
《ふふ。そうだったね。それじゃあ、始めるよ》
俺は精霊と二回目のハグを交わした。
頭の中から大切な何かがごっそりと、知識というよりは思い出に近い大切な何かが失われる感覚が襲うと同時に、異常なまでの大量な魔力が俺の体内を駆け巡るのが分かった。
契約が終わったことを感じ取った俺はゆっくと身体を離す。
精霊と身体を離した時に、俺の身体中から魔力が溢れ出てきた。
様々な精霊と契約した俺の魔力は、色と色とが重なり合った結果として、何よりも黒く輝く漆黒となっていた。
《魔力は君が望むだけ、契約の繋がりを使って君に送るよ。さあ、早く行ってあげな。君のお姫様が待ってるよ》
「ああ。出来すぎた英雄譚みたいに、格好良く助けてくる」
◆◇◆
俺は強く地面を踏みしめ、街中を疾駆する。二百を超える精霊の恩恵〈アシスト〉を受けた俺の足は一歩踏み出すごとに地面を抉り、加速していく。
「待ってろよ、ニア!」




