第2話 「まさかの死闘」
「この辺り、……だよな?」
爆発音の近くまで来ているはずだが、特に事変の現場となっているような場所は周りには見られない。湖のあった場所に戻ろうかな。
そう思って踵を返した時。再び、耳を貫くような、高層ビルが倒壊した時のような轟音が俺の身体に押し寄せる。
「……下か?」
そう思って下を覗き込んでみると、異世界事変はまさに俺の立つ場所の下で起きていた。
どうやら自分の立っている場所は崖になっていて、異世界事変の現場から少し高いところに自分はいるらしい。
そして俺が目にしたのは、
「女の子と…………怪物が闘ってんのか?」
怪物VS怪物ではなく、女の子VS怪物だと誰が予想できただろうか。
さすが異世界。常識は通用しないというわけか。
「……って⁈ 負けそうじゃないか、あの女の子!」
俺がこの目で見る限り、女の子は絶対絶命の状況にある。ここからだとよく見えないが、所々服が破けている。
どうするよ、俺。あの女の子を助けるか?
戦闘力がゴミみたいな俺だけど、囮くらいにはなるか? でも、俺が確実に死ぬな。
どうする?
見捨てるのか? それとも助けるのか?
「くそっ! どうしたらいいんだ。何が正解なんだ?」
俺の心は、かつてないほどに荒波をたてながら揺らいでいる。
そんな、俺が迷っていた時だった。
『死にたく……ない。お願いだから、誰か………助けて』
突然に頭に、鈴の音のような声が響く。
「 これは……あの女の子の声?」
崖上とはいえ、女の子の戦っている場所とここでは距離がある。女の子の声が聞こえるはずがない。
でも、今はそんなことはどうだっていい。
俺は馬鹿なのか? 女の子がピンチなんだぞ。女の子が助けを求めてるんだぞ。
何をグズグズしてやがる、一切合切の思考を投げ捨てて、弾丸みたいに飛び出して助けてやれよ!
可愛い女の子は無条件に救われるべきだ! ……と思う!
次の瞬間。
俺の身体は木刀片手に、崖を飛び出して怪物に接近していた。
正直、やっちまった感が半端なかったが、これが俺の本心ならば仕方ない。
見た感じ、五メートルくらいのところから飛び降りたらしい。
人間やるときはやるもんだな。
グッバイ、俺の異世界生活!
「こっちを向きやがれ!怪物野郎おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
◆◇◆
怪物は頭上から迫ってくる俺の存在に気づいて、頭部をこっちに向けて咆哮を浴びせてくる。
『ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
俺は今ちょうど怪物の頭上にいる。
今こそ、古来から伝承されてきた剣術が役立つ時!そう意気込んで身体を縦回転させ、遠心力と速度をのせて木刀を振りおろす。
無名流 『髑髏砕き』
近所のおじさんから教わり、十年かけて鍛錬してきた剣術だ。
ただこの剣術に名前はまだない。故に無名流。
ならば、今ここで俺が名前をつけよう。この剣術の名前は俺の名字をとって…………、
八雲流と名付けよう。
「うぉおおおらぁああああッ!」
木刀は凄まじ勢いで、怪物の頭部に叩き込まれた。
だが、ガキンッという金属音と共に木刀は弾かれ、次にはビシッと不吉な音をたてて、自身の刀身に裂目を刻む。
「くそっ! 硬すぎだろ!」
その怪物の頭部を見てみると、明らかに頭部の皮膚は硬化している。
木刀を失ったら、その瞬間に死は確定しているようなものだ。
………もともと確定しているようなものだが。
どちらにせよ慎重に闘う必要がある以上、真剣に望まねばならない。
「バカじゃないの? どうして来たのよ!」
少しでも気を抜いたら死ぬ状況で、俺の背中に鈴の音のような声が投げかけられた。もちろん、助けようとしている女の子の声だ。
「助けるために決まってるだろ! いいから助けられてろ。というか、街に行って救援を要請してください、お願いします。いや、本当に死んじゃうから!」
助けに行ったら確実に死ぬとか言ったけど、そんな気は毛頭なかった。
異世界生活に別れを告げた気がするが、そんなのは忘れた。
(そろそろ行ったかな?)
後ろの方で、誰かが駆けていく音がする。
きっと、あの女の子が街に救援を呼びに行ったに違いない。そうだと信じたい。
彼女がいい子であることを願いながら、そう思った。
『ゴアアアアアアアアアアアアアッ!』
急に怪物は哮りだし、その口から炎を吐く。
「っ⁈」
予想はしていたけど、まじで炎を吐いてくるのかよ!
俺は愚痴りながらも炎ブレスの間合いに入らないように、怪物から距離をとる。
このまま逃げることも考えたが、奴に背中を向けた瞬間に追いつかれて炎ブレスを浴びせられるのでは、と考えると逃げるなんて選択肢は頭の中から消えていた。
こんがり焼けました、なんて勘弁だからな。
「…………え? こいつ、ドラゴン…………なのか?」
距離をとってようやく、その怪物の全体像を見ることができた。
異形と言うほどでもないが、ドラゴンとゴブリンのハイブリッドのような姿をしている。俺が思い浮かべていたドラゴンとは違って、かっこよさはあまり感じられなかった。
しかし、その姿から溢れる禍々しいオーラに思わず顔は苦渋をうかべてしまう。
その怪物は両腕が著しく発育していて巨大なせいか、両腕を地面に引きずっていて、両手には鋭利な爪が生えており、その爪からは金属のような硬い印象を受けた。
「はぁー。やるしかないんだよな…………」
逃げれない以上、この怪物との戦闘を避けることはできない。よくあるゲームの逃亡コマンドなど存在しない。
(俺の異世界生活は、初日からクライマックスってことか……)
でも、禍々しい怪物と対峙して一歩後ずさるも、心は決まっていた。
「かかってこいよ、怪物野郎」
◆◇◆
『ゴオァアアアアアアアアアアアアッ!』
咆哮と共に振り下ろされる巨木にも似た右腕は、地面を砕き、大地に亀裂を入れる。
「あんなのまともに受けたら、…………さすがに死ねるな」
『グオオッ!』
怪物は両腕と両脚を駆使して、その巨大な身体にみあわない速度で突貫してくる。
「っ⁈」
間一髪のところで横に飛んで、なんとか突進を回避することに成功する。
ただ、避けるので精一杯でまともに攻撃ができない。
そもそもの話、攻撃できたとしても『ひのきのぼう(仮)』でダメージが与えることができるかは定かではないが。
(せめて、刃が通ってくれれば…………)
そうこう考えている間も、怪物の突進、炎ブレス、剛腕の振り下ろしの猛攻は止まらない。
それに、怪物も馬鹿ではない。
攻撃が繰り返されるにつれて、心なしか怪物の攻撃の精度は確かに上がってきていた。
大地には幾つもの亀裂が入り、怪物の猛攻の凄まじさを物語っている。
「うおっと⁈」
つま先が地面の亀裂に引っかかり転倒してしまった。
怪物はその一瞬を好機と見て、右腕を叩きつけようと振りかざし、振り下ろしてきた。
(まずい……)
急いで回避を試みる。
だが、勢いに乗った怪物の右腕は目と鼻の先だった。
どう考えても、本来ならば避けるのは不可能。
そう、本来ならば不可能だった。
突如として、地面を強く蹴らんとしている俺の足から、淡いブルーライトのエフェクトが発せられた。
そして、地面を強く蹴った瞬間、常人ではあり得ない速さで横にふっ飛ぶ。
「へぇっ? ……ゴフッ!」
口から思わず素っ頓狂な声が漏れ、そのまま速度に乗った俺の肉体は近くの岩場に強く衝突した。
……何だったんだ今のは?
心の中で口に出してみたが、今のが何かなんてどうでもいい。
基本一方通行の死亡ルートから分岐して、まさか生存ルートを進めるとは思わなかった。
少し右腹部が痛むが、死ぬよか何億倍もいい。
とりあえず、神様ありがとう。
自分の身に起きた奇跡をありがたく思いながら、次の攻撃に備えるべくして怪物を見据える。のだが……。
「え」
目線の先には当然のごとく怪物がいるのだが、怪物の様子がさっきとは違う。
「…………」
その光景に言葉を失い、唖然としてしまった。
遂には笑みが口からこぼれる。
「……はは。やっぱり、今日の俺はラッキーだ」
目の前にいる怪物は、先ほどの攻撃で右腕の付け根まですっぽりと地面にめり込ませていたのだ。
怪物は右腕を抜こうとしているが、なかなか抜けないらしい。
たが、怪物の力ならすぐに抜けることだろう。
そうだとしてもこれは、大きな隙だ。
(今しかない……)
そう思った瞬間、俺の体は勝手に怪物に迫っていた。
(この木刀が剣だったら。剣だったら…………)
攻撃手段は悲しいことに、この木刀しかない。
木刀の耐久性を考えると、なるべく柔らかそうな部位を狙うしかない。それなら、
(目のあたり……、眼球が柔らかそうか)
目を潰すことに少しためらったが、命の駆け引きに躊躇いはゴミでしかない。
勝てなくても引き分けに持ち込む必要がある。
その怪物の眼球に、「死にたくない」という思いを乗せて、一太刀を浴びせる。
木刀は………………弾かれなかった。
それなら、俺の全てを出し尽くす。
斬って!
斬って、斬って!
斬って、斬って、斬って!
こいつの命を刈り取るまで、斬り刻め!
(もっとだ……、もっと速く!)
そう強く思うたびに右手から、ブルーライトのエフェクトが発せられる。
しかし、今はそんなこと気にしている場合ではない。
剣撃は加速に加速を重ねていき、斬りつけるたびに剣撃はその激しさを加速度的に増していった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
怒号にも似た、怪物の叫びが大地を揺らす。
(いける……、いける!)
怪物の叫び声を聞いた瞬間、勝利を確信した。
周りが見えないほどに夢中になって、俺は剣撃をこれでもかと叩き込んでいく。
「くたばれぇえええええッ!………………え?」
そう言葉にした時、切り刻まれて赤く染まった怪物の眼球に光が戻ったのを目の端で捉えた。
次の瞬間、俺の身体は強い衝撃を受けると同時に、『ボキッ、バキッ』と骨が折れる音を虚空へと響かせる。
(ああ、ミスったのか俺…………)
心の中でそう思った時には、ぐにゃぐにゃになった身体は空中に飛ばされていた。
どうしてか空がとても綺麗に見え。
やがて、ドシャッと音を立て身体は地面に落ちた。
ボロ雑巾みたいになった俺の身体を中心として、どろっとした赤黒い液体が地面に広がっていく。
指一本さえ動かせない。
唯一不自由なく機能している目に映るのは、綺麗な空。
不思議と痛みは感じなかった。痛覚がオーバーヒートしたのだろう。
背中に地面から振動が伝わり、怪物がゆっくりと近ずいているのが分かる。
(グッバイ、俺の人生)
目の前に怪物の顔が迫る。
目をゆっくり閉じ、自らの死を受け入れようとした。
でも、簡単に死を受け入れるなんて怜治には無理だった。
死ぬのが怖くない人間は、もはや人間とは呼べない。
怜治は生にしがみつくのを絶望の淵でも、強く望んでしまった。
怜治は最後まで、人間であり続けた。
(死にたくない……まだ、死にたくない)
「死に……たく…な…い」
掠れた声が口から漏れるその時、
聞き覚えのある、鈴の音のような声が聞こえた気がして、俺は目を開ける。
そして次にはハッキリと耳に、その声は届いてきた。
「勝手にくたばったら、許さないんだからぁぁぁぁ!」
その声と同時に目の前を赤い光線が横切ったかと思うと、次の瞬間、目の前の空間が爆ぜた。あまりの衝撃に目を瞑った。
爆風で飛ばされた小石が身体にぶつかってくる。
『グオオオオッ!』と怪物の野太い悲鳴が聞こえ、目を開けると目の前には顔がただれている怪物の姿が映る。
その攻撃を脅威と感じたのか、怪物は俺に目もくれず、その場から逃げだした。
代わりに美少女が、俺の顔を覗き込んできた。
「あなたには、私の裸を見た贖罪をしてもらうんだから、絶対に死なせやしない」
美少女の瞳から水滴が滴り、頬をわずかに濡らす。
「救護班! 彼に回復魔法をかけながら、医務室に迅速に運びなさい!」
俺、助かったのかな…………?
美少女の凛とした声を聞いたのを最後に、視界はブラックアウトして、俺は気を失った。