第23話 「バイト始めました」
ニアとパーティーした日から数週間が経って、元の世界で言う日曜日のような休みの日の朝。
俺はいつものラフなティーシャツを脱ぎ去り、ピシッとした黒いスーツを着て、屋敷の前の大通りの一角のとある店の前に来ていた。
どうして俺がスーツを纏って休日に外に出ているのかというと、就職するにあたっての面接を受けるためだ。
急に就職活動を始めた理由としては、異世界に来てからけっこう経っているのに未だに無一文である事と、特訓の時にロアのストロベリーケーキを食べてしまった事への贖罪をするためだ。
具体的にどんな贖罪をするのかというと、ホールのストロベリーケーキをロアに献上しようと思っている。
俺の頭に、あの無表情なロアが目を丸くしている姿が目に浮かぶ。
元の世界ではまだ学生だった為、就職活動を経験した事はないがなんとかなるだろう。
(ふふ、俺の優れたコミュニケーション能力を存分に発揮する時が来たようだな…………)
初めての就職活動に緊張しながらも、俺はドアノブに手をかけて、店の中に入る。
「失礼します」
俺のイケボが店の中に響き渡る。
しかし、俺のイケボも虚しく、店の中には人が居なかった。
俺が店の中に人がいないのを不審に思っていたら、店の奥のほうから微かにだが会話声が聞こえてくる。
しっかりとは聞こえないが穏やかな内容の会話ではなかった、喧嘩でもしているのだろうか?
「うっせーよ、シジイ! バカ! どアホー!」
大声の罵詈雑言がハッキリと聞こえた。
突然、バンッ! とドアが勢いよく開かれ、俺の横を勢いよくブロンドヘアーの女の子が通りすぎて行く。
不思議に思いつつも前を向き直ると、ドアから頭を掻きながら年老いた男性が出てきた。
「おや、いらっしゃい。何を買うんだい?」
男性は俺の存在に気づいてそう言ってくる。
「あ、いえ。買い物ではなく、面接を受けに来た者ですが……」
「あ、ああ! 君がヤクモ・レイジ君かニアお嬢様から聞いているよ。さあ、こっちこっち」
思い出したように言い、俺を店の奥の部屋に招く。
店の奥は居住空間になっていて、落ち着きのある内装だった。
どことなく和風のようで俺は少し懐かしい気分になる。
「今、お茶を出しますから、座って楽にしててください」
男性の言った通りに俺はテーブルの横の椅子に座った。
少し待って、男性がお茶を持って戻ってきた。
緑茶だった。
「いやー、すみませんね。孫がお見苦しいところを見せてしまって」
「いえ、そんなことはないです。反抗期ぐらい誰にもありますから」
「はは、しっかりしていますな。さすが、ニアお嬢様の騎士だ」
男性は柔らかい笑みを浮かべて言う。
なんて優しそうな人なんだろうか、ニアにも見習って欲しいものだ。
「おっと失礼、自己紹介がまだでしたな。私はグリフ・ベルファウスト。これからよろしく」
「よろしくお願いします」
差し出された手を握り、俺はグリフさんと握手する。
グリフさんの手はゴツゴツしていて、男性らしくて逞しい感じがした。
「よし、早速で悪いが店番を頼んでもいいかな?」
「え、面接はいいんですか?」
いきなりのことに俺は少し驚き、質問に質問で返してしまう。
「ニアお嬢様のお墨付きですからね、面接をするまでもありませんよ」
グリフさんは優しい笑みを浮かた。
「そ、そんな。せっかくスーツを着てやる気を入れてきたのに…………」
面接をしないに越したことはないのだが、この日のために自己紹介の練習をニアを相手に何回もした俺としては、簡単にでもいいから面接をしてもらいたかった。
落胆する俺を見かねてか、グリフさんが質問をしてくる。
「それじゃあ、ヤクモ君の魔法適性を教えてもらってもいいかな?」
「え?」
「あ、ああ、嫌ならいいんだよ」
「そ、そんなことないです!」
まさか魔法適性を聞かれるとは思っていなかった。
もっと自分の性格や夢、特技が聞かれると思っていたのだけれど、こっちの世界ではこれが普通なんだろう。
質問に真実で答えようか迷った末に俺は、
「俺の魔法適性は、『ありとあらゆる果物をリンゴにする』魔法です」
と盛大に嘘をついた。
「へ? ………………ま、まあ、店番を頼むよ」
グリフさんは素っ頓狂な顔をした後、腑に落ちないような顔をしながらも、俺に店番を任せて何処かに行ってしまった。
…………嘘ついて、すみません。
「……………暇だ」
店のデスクに座りながら、ポツリと口から溢れる。
俺がグリフさんに頼まれて店番を始めてから、三時間が経とうとしていたが、暇すぎて死にそうだった。
客が来れば暇でなくなるのかもしれないが、三時間の間に一人として客は来なかった。
グリフさん自身もこうなることが分かっていたから、新人の俺に店番を任せたのだろう。
そもそも何を売っているのかさえ知らない。
……ちゃんと給料はでるのか?
などと考えていたら、ぐぅ〜、と俺の腹が鳴った。
時計を見れば、普通の生活リズムの人間ならほどよくお腹が空いてきて、昼食を食べたくなる時間帯にさしかかっていた。
(……昼飯どうしようかな…………?)
あー。腹が減ってしょうがない。
腹が減りすぎて腹と背中がくっつく、なんていう誇大表現をしたくなる気持ちが今ならわかる。
客が来そうにないからといって、店番を放り出して外に昼飯を買いに行くのは新人の俺がやっていいことではない。
いや、新人でなくてもダメだ。
それに給料はまだ出てないから、買いに行っても無一文の俺は昼飯を買えない。
つまり、詰んだ。完全に詰んだ。
今の俺にできる最大の努力は、エネルギー消費を抑えることができ、なおかつ空腹の辛さから逃げることができる睡眠しかないだろう。
(…………グリフさん、おやすみなさい)
「……腹が減りすぎて寝れん!」
空腹の辛さから逃げるもなにも、まず空腹が辛すぎて寝ることができなかった。
時計を見ると、店番が始まってから四時間が経過しようとしていた。
俺の空腹もいよいよ俺を殺しにかかってきている。
(し、…………死ぬぅ)
腹が減りすぎてデスクにうつ伏せになっている時だった。店のドアが勢いよく開けられる。
客が来た、そう思って俺は上半身を起こす。
「じいちゃーん。お腹すいたー!」
元気のよい声で入ってきたのは客ではなく、四時間前に俺の横を走り抜けていったグリフさんの孫娘だった。
ほどよく焼けた褐色肌に、一切のくすみのない金髪ショートヘアーの持ち主だ。
褐色肌に金髪というと、ギャルを想像するだろうが、目の前にいる少女はギャルと形容するのが失礼な程に美しかった。
勘違いされては困るが、ギャルという存在が一概に美しくないとは言っていない。ただ、俺としてはギャルは下品で美しくないと思うが……。
これはあくまで俺の主観だ、全世界のギャル好き共よ、俺に拳を向けるのはやめろ。石を投げるのをやめろ。
ギャルの話は置いておくとして、それにしてもこの少女は美しい。
俺の好みとしては、黒髪ショートヘアーに褐色肌の合わせ技が至高なのだが、金髪ショートヘアーに褐色肌の合わせ技もなかなかにそそるものがある。
服装は短パンに半袖のティーシャツと動き易そうな格好で、元気の良さそうなところもポイントが高い。
是非とも今すぐにでも俺の妹になって欲し…………。
「……じろじろ見んな」
俺の際限のない思考が少女の可愛らしい声で遮られてしまった。
「言っておくが、ロリコンではないからな」
身の安全を考えて、俺が悪いお兄さんでないことをアピールしておく。
少女はロリコンの意味が分からないのだろう、「ロリコン?」と小首を傾げている。
その仕草がまた可愛らしい。
必死に心の中で、「俺はロリコンじゃない!」と自分に呼びかけて理性を繋ぎ止める。
「うちのお客さん?」
警戒しているのか、少女はじっと俺のことを見る。
「いや、俺は客じゃなくて、今日からこの店で働かせてもらう優しいお兄さんだよ」
そう言うと、「ふーん」と言って少女は俺の隣のイスにどかっと腰をかける。
警戒レベルが引き下げられたようでよかった。
「ねえ、名前は?」
「え、あ、ああ、ヤクモ・レイジだよ!」
あまりにも突然すぎて驚いてしまった。
驚きすぎて、せっかく練習した自己紹介を披露するタイミングをまたもや失ってしまう。
悲しいことに、神様は俺にちゃんとした自己紹介をさせてくれないようだ。
「私はフィリア・ベルファウスト。よろしく、レイジ」
フィリアはそう言って手を差し出してくる。
周りに警察らしき人影がないのを確認してから、俺は握手をした。
するとフィリアは突然に立ち上がり、ズバッと指をさして言った。
「店長の孫娘権限でレイジに命令する! お腹空いたから、冷蔵庫の中の余り物で何か作って!」
◇◆◇
「いや、急に言われても…………」
唐突に店長の孫娘権限を行使してきたフィリアの大胆さに驚きつつ、命令に対して俺は戸惑う。
グリフさんの孫娘であるフィリアがいいと言ったのだから、冷蔵庫の中の物は好きに使ってもいいのだが、いかんせん俺の料理のレパートリーは少ない。
はたして、冷蔵庫の中の残り物で俺は料理ができるのだろうか?
答えは『否』だ。きっとできない。
フィリアには悪いが、グリフさんが帰ってくるまで待ってもらうとし……、
「レイジお兄ちゃんの手料理が食べたいなぁ。お願い! お・に・い・ち・ゃ・ん♡」
……ぷつん、と俺の中で何かが切れた。
「ふははははははッ! かわいい妹のようなフィリアの為なら、お兄ちゃん頑張っちゃうぞぉおおおおおおおおッ!」
全速力でキッチンに向かう。
不思議なことに、俺の体は俺でも止めることができなかった。




