第21話 「認められるということ」
……五年前。
後に過去最大の悲劇と語られる竜種襲撃は突然に起きた。
生きる天災とも揶揄されるそれは、なんの前触れもなく、空から突然に落ち、突然に現れたそいつは逃げ惑う人々を踏み潰し、喰らい、焼き払う。
竜種が空から落ちてきたのだ。
竜が人々を殺していく様は、まさに地獄絵図だった。
もっとも国がその惨状を見過ごすわけもなく、すぐに討伐隊が組まれ、現地に派遣された。
しかし、討伐隊が現地に着くまでに一時間が必要だった。
一時間もあれば、竜は人々を殺し尽くすだろう。
全滅は免れないかと思われた。
そんな時に立ち上がったのが、当時、最高位の魔導師であったニアの両親と上級魔導師で構成されたメイド隊だった。
一対十。
しかし、数では魔導師に軍配が上がったが、竜の前ではそんなのは無意味でしかない。
最高位の魔導師のニアの両親と上級魔導師で構成されたメイド隊をもってしても、竜の力には遠く及ばなかった。
それでも、まだ生き残っていた人々が安全圏まで逃げ切る時間を稼ぐことには成功していた。
「君は逃げろ!」
ニアの父が魔術障壁を展開させながら、自分の妻に逃亡を促す。
「で、でも……。あなたを置いてはいけないわ」
ニアの母は頑なに断った。
それもそのはずである、竜の固有魔法〈ファイヤーブレス〉を全員の魔術障壁でやっと防いでいるといったこの状況で、もし一人でも欠けてしまったら、魔術障壁は砕け散ってしまう。
それは、一人のために九人が犠牲になることを意味している。
懇願するニアの父と、頑なに断るニアの母。
最後の夫婦喧嘩が行われていた。
最後になるであろう夫婦喧嘩の末に、ニアの母が折れかけた時だった。
「パパー? ママー?」
近くから聞こえてきた声に、二人は戦慄する。
父と母のことが心配になり、駆けつけてきてしまったニアの弟から発せられた声だった。
「なっ⁉︎ ど、どうして…………」
そう言ったニアの母は、一瞬だが気をそらしてしまった。
その瞬間、魔術障壁が不安定になる。
ニアの父が安定を取り戻そうと必死に魔力を送り込むが、もう手遅れだった。
竜のファイヤーブレスに耐えられなくなった魔術障壁はあっけなく砕け散り、灼熱の業火が辺り一面を包み込んだ。
即死だった。
ニアの両親、弟、メイド達は高熱の炎で肉を溶かされ、識別できない程にぐちゃぐちゃになっていた。
多くの人間を殺した竜はそれで満足したのか、大空に飛び去っていく。
それから程なくして、国の討伐隊が現場に着いた。
当然、竜は何処にも見当たらない。
討伐隊は本来の仕事を離れ、街に転がる骸を拾う。
そして、学校で待機させられていたニアのもとに届けられたのは、ニアの両親と弟が死んだという報告書のみ。
「ぁぁ……あ……あああああああああああああああっ!」」
喉が張り裂けんばかりの悲鳴が、学校内に反響する。
後に語り継がれる、邪眼の黒龍の竜種襲撃だった。
◇◇◇
「……一人に、しないで……」
彼女は、ニア・クリューエルは、今日も今日とて夢を見る。
その夢は、両親と弟が暗い闇の中に呑み込まれていく、悲しい夢。
暗闇の中、一人ぼっちになってしまう自分の姿が見える。夢の中での彼女は、孤独の中で一人すすり泣く。
「……レイジ…………そばに、いてよ………………」
その寝言を最後に、ニアはハッとしてベッドから起き上がる。
右手で頬をつたう涙を拭う。
「……最近、見てなかったんだけどなぁ。…………無茶しすぎだよ、レイジの馬鹿」
ニアにとっては久しぶりに過ごす、一人の夜だった。
◆◇◆
「んっ……」
ペシペシと頬を叩かれた気がして、俺は目を覚ます。
「レイジ、ようやく起きたわね。寝過ぎよ、寝すぎ!」
ニアがそう言いながら俺の顔を覗き込んでくる。
「……ここどこ?」
「ここは学園の保健室。まったく、丸一日寝てるなんて信じられない。……ちなみに〈マインド・ブレイク〉したレイジを保健室まで運んでくれたのはミラ先生だから、後でお礼言っときなさいよ」
「ああ、わかった」
俺がそう応じると、ニアは自分の教室に帰って行く。
時計の短針が十一時を指していることから、授業の合間の休み時間に様子見に来てくれたのだろう。
ニアが帰ってしまい、特にすることがなく俺は暇を弄ぶ。
丸一日寝たおかげで身体はすっかり元気になっているから、授業を受けに行こうかとも考えたが、どうせ俺は寝てるだけなので止めておく。
(……俺の魔法適性って、『妄想』だったよな)
暇を持て余した俺は、昨日の決闘のことを思い返す。
正直、今でも自分が勝ったことが信じられなかった。
特に、『妄想』の魔法を使い、デュランダルの幻想を木刀に纏わせることができたのが一番の驚きだった。
まさか本当に幻想が現実になるとは思っていなかった。
(まあ、あの状況でデュランダルを現実にできなければ死んでたわけなんだが…………)
それはそうと、デュランダルの幻想を纏った木刀はどうなったのだろうか?
俺が周りを見渡すと、木刀はいつもの状態で近くに立て掛けてあった。
デュランダルの幻想を纏ってはいない。
所詮は幻想。きっと纏っていられるのに時間制限があるのだろう。
(……この魔法、今も使えるよな)
不意にそんなことを考えた俺は、ニアが持ってきてくれたであろうあの禍々しい果物を一つ手に取る。
(……リンゴになれ)
俺は果物を手に持ち、リンゴを思い描く。
すると、強烈な疲労感が俺を襲うのと同時に、あの禍々しい果物はリンゴに変わった。
正確には変わったのではなく、あの禍々しい果物がリンゴの幻想を纏ったわけだ。
魔法自体は上手くいったが、問題は残っている。
問題とは、強烈な疲労感が俺を襲ったことだ。
おそらく魔力が急激に失われて引き起こされた現象だが、リンゴに変えるだけでこのありさまである。
なんとも情けない話だ。
次に俺は、リンゴの幻想を纏った果物を齧ってみることにした。
しゃりっ、と音が鳴る。
味はリンゴと遜色なかった。
俺はその事に驚きつつ、今度は外部から影響を受けた部分が媒体に影響するのかを確認する事にする。
数分待って、リンゴの幻想が解除され、元の禍々しい果物にもどる。
(……おお!)
禍々しい果物には、くっきりと俺の齧った痕が残っていた。
なぜか少し感動した。
(……もっと色々な事に応用が利きそうだな)
俺は胸を躍らせながら、思考を巡らせる。
新しい玩具を与えられたガキみたいに、俺は時間を忘れて色々考えていた。
色々考えた末に満足した俺が時間を気にした時は、もう午後の授業が始まる頃だった。
何を言ってるかさっぱりわからない授業を受けても無駄だが、暇すぎて死にそうだった俺は授業を受けることにした。
俺はいつものように、教室に入る。
入った瞬間、
「ヤクモが帰ってきたぞ!」
「めちゃくちゃかっこ良かったぞ!」
「ねぇねぇ、惚れてもいい?」
「俺、男だけど…………お前と一夜を過ごしたいと思った」
クラスメイトからの激励が俺に送られた。
「……あ、新手のイジメか?」
俺は困惑を隠せない。周りのクラスメイトの満面の笑顔が、俺の困惑を更に加速させた。
この異様な光景を不気味に感じた俺は教室から逃げだし…………たかった。
妙にガタイの良い大男が俺の肩に腕を回し、俺を捕縛する。
「こらこら、逃げ出すなって。これはイジメじゃねえ。皆んな、あの決闘を見てさ、お前のことを認めたんだよ。お前なら、ニア様の隣にいてもいいってな!」
ガチムチの大男が良い笑顔を俺に向けながら、そう言った。
周りのクラスメイトも、ガチムチの大男に賛同するように首を縦に振る。
俺は、すんなりと手の平を返す人間の醜さを垣間見たが、不思議と悪い気分ではなかった。
…………それはそうとして、ガチムチの大男の腕が俺の肩からいつの間にかに離れていて、俺の尻に手が伸びてきている気がするのは気のせいだろうか。……気のせいだと思いたい。